6月生まれのあのこ

?」

 その声に、彼女は視線を上げると「あ、カカシくん」と呟いた。
 土砂降りの中、傘もささずにとぼとぼと歩いていたの姿は街灯に照らされ妙に目立った。そうしている間にも、容赦なく雨は降り続いていた。


「なんかごめんね」
 は髪の毛をタオルで拭きながら部屋の中に入ってきた。すぐに家に着くから、もうすぐ止むから、と言う彼女をカカシは半ば強引に家に招いた。もちろん、『自分の家が近いから』という理由だけではなかった。

「はい。これ飲んで温まってよ」
「牛乳……」
「牛乳じゃない。カフェオレ」
「カフェオレってコーヒー牛乳でしょう? やっぱり牛乳」
「あのね……」
「あーはい、いただきます」
 彼女は2つ上の先輩だった。なのに、時々下忍の世話でもしている気分になるのはなぜなのか。「あれっ、けっこう美味しいね」と言いながらそれに口をつける彼女をカカシはじっと見つめた。

 は昔から何を考えているのかわからない人だった。カカシが彼女と出会ったのは、人と距離を置いていた頃。
「へー、あなたがカカシくん」
 そう言って、面を取った女がだった。男女問わず、皆カカシと呼び捨てにしていたのに、彼女だけがまるでアカデミーの少年に声をかけているかのように「カカシくん」と言った。困ったもので、何度否定しても彼女は聞く耳を持たなかった。そのむず痒いような恥ずかしいような、照れくさい感覚にカカシが慣れるまで、だいぶ時間がかかった。

「なんであんな所歩いてたの?」
 カカシの質問には「あ、あれね〜」と他人事のように呟いた。
「ちょっといろいろあって、ちょっといろいろ片付けてたら雨が降ってきてね」と、全く回答になっていないことを平気で言った。昔とちっとも変わらない様子は懐かしく、少しだけ寂しくもあった。

「その“ちょっと”は片付いた?」
「うん。そうじゃないと帰ってこられないでしょう?」
 そう言って、彼女はカフェオレに口をつけた。
「そう言えばね、池の近くに紫陽花が咲いてたよ」
 —— そんな時期だっけ。
 カカシはそう思いながら、窓の外を見つめた。外はだいぶ小雨になっていた。
「それ、どこに咲いてたの?」
「池の近く」
「だから、どこに?」
「だから、池の近くに」
「池なんてそこら中にあるでしょ」
「池って言ったらあそこしか無いと思うのに」
 カカシくんだったら分かると思ったのに、そんな声が聞こえてきそうだった。彼女はマグカップをテーブルに置いた。
「そんな池なんてあったっけ?」
「あの、池だよ、ほら、あの——
 答えを言われる前に、カカシは彼女の口を閉ざした。

「……第三演習場の裏側、でしょ」
「……そう、第三演習場の裏の池」
 何するの、と慌てた素振りもみせない。急なことだと言うのに、は至って冷静にカカシの事を見ていた。
 はほかのくノ一とは全く違った。尊敬の眼差しを向けてくることもなければ、色めいた視線を送ることもなかった。
「じゃあさ、カカシくん。今度一緒に見に行こうよ」
 何気ない一言だというのに、どうしてこんなにも胸が躍るのだろうか。

「それって、デートってことでいいの?」
 またつれない返事を聞く羽目になると分かっているのに、カカシはそう言わずにはいられなかった。
「そう、かな」
 その一言をカカシは何度も心の中で確かめた。
 そうかな。じゃあそういう事でいいよね。そうだとも。
 数秒の間に何度も——
 気がつけば、とっくに日付は変わっていた。

「誕生日おめでとう」
 カカシの言葉に、は珍しく「覚えてたの?」と、驚きの表情を見せた。

 数年前。「ちょっと来て、カカシくん」と言うと共に、演習を放り出してこそこそと二人で向かったのは第三演習場の裏側だった。紫陽花を見つけたは「今日、私の誕生日なの。ラッキーだよね」と言ってそれを眺めていた。綺麗だね、また見れるかな。そんな事を言っていた。まるで子供のようにはしゃいでいたかと思えば、召集がかかるとさっさと任務に向かったがとても印象に残っていた。

 忘れるわけがなかった。
 いつかまた、一緒に見よう。
 そう思っていたのだから。


「じゃあ、私帰るね。ありがとう」
 徐に立ち上がったをカカシは引き止めることはしなかった。「泊まっていけばいいのに」そう言えばよかったと分かっている。
 だけど、これくらいがちょうどよかった。雨はすっかり止んでいて、軒下へと雫が落ちた。

「楽しみにしてるね」
 その一言は彼女だけのものではなかった。

 が出ていった後も、部屋にはカフェオレの香りがほのかに漂っていた。
 「けっこう美味しい」と言っていたそれを一口含むと、想像通りのほんのり甘くてビターな味がした。

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