8月生まれのあのこ
朦朧としていたこともある。
「カカシさん」
昨晩、病室に入ってきたのはだったようだ。
「今年で何回目だと思います?」
口を動かしながらもはテキパキと仕事を進めていた。昨晩の慌てっぷりとは正反対だ。体温計を脇に差し込み、血圧を測ったかと思うと、点滴の交換を始める。
「オレだって来たくて来てるわけじゃーないんだけどねぇ……」
「当たり前です」
そう言うと、はバインダーの書類に必要事項を書き込んでいた。開け放たれた窓から、からっとした風が病室に入り込むと、ひらひらとカーテンを揺らす。カカシはそのカーテンの端くれに視線を向けたまま呟いた。
「もしかして、怒ってる?」
「……怒ってますよ、見てわかりませんか?」
と、は分かりやすくむくれた顔をした。
それはそうだ—— 。
『今年は向日葵畑を見に行こう』
そう、一週間前に約束したばかりなのだから。
なのに、言い出しっぺがこの有様ではどうしようもない。ひらひらと不規則に舞うカーテンの隙間から、真っ青な空と入道雲が顔を出すのをカカシはちらりと盗み見た。夏真っ盛の今日、おとなしくベッドで寝ていなければならないのは、良いのか悪いのか。
「あと5日は安静ですからね」
釘をさすようにはカカシにそう言った。影分身でも使ってどうにかならないかと思案するが、それもお見通しらしい。は患者の悪巧みも逃さない優秀な看護師だった。
こうなってしまうと、どうしようもないのはわかってはいるが……。
カカシは小さくため息をついた。
「気になる事でもあるんですか?」
「ま、ちょっとね」
「ダメですよ、病室を抜け出そうだなんて」
「でもね……」
ちょっとくらいいいでしょ、と言いかけてカカシは口をつぐんだ。が今にも泣きだしそうな顔でカカシの方を見ていたからだ。
「カカシさんはなんにもわかってない……」
「だから、ごめんって」
「謝ったってどうにもなりませんよ」
「それもわかってるよ、」
でもね、と言いかけたカカシは口をつぐんだ。
怒った顔をしたの瞳からほろりと涙がこぼれた。
「ごめん、。オレのせいで、向日葵畑も……」
今日のような快晴は向日葵もとても映えるに違いない。
申し訳なさそうにするカカシに、はぽかんとした顔をした。
「……ひまわり畑?」
「だって、見に行くって言ったでしょ」
「やっぱり、なんにもわかってないんですね」
「え?」
「まさか、それで怒ってるとでも思ったんですか?」
というはやや呆れたような声で呟いた。
「いや、今日は、」
「私は今日じゃなくても怒ってますから」
今日じゃなくても、明日でも、明後日でも、とは言った。
「どれだけ、私が心配したと……。ひまわり畑なんか、生きていれば来年だって行けるんですから」
その声にカカシはようやく意味を理解した。確かに心配はしているだろうとは思っていた。だが、こんなに怒るとは思っていなかったのだ。
の涙を拭いてあげることもままならないだなんて……。
「ごめんね、」
「……」
「看護師さん」
「なんですか」
「その機嫌はどうやったら治りますかね?」
その問いかけに、は少しばかり間をおいて呟いた。
「……こうしたら、治るかもしれませんね」
「そうですか」
「そうです」
「誰か、入ってくるかもよ?」
「誰も入ってきませんよ」
窓枠を通して聞こえるのは、今夏を生き抜くセミの鳴き声と子供達のはしゃぐ声。まるでこの空間だけ、透明な何かで覆われているかのように、それらが一瞬遠のいた。
こんな所を誰かに見られでもしたら——、
カカシはそう思いながらも、今は拒否することすらできなかった。拒否しようとも思わなかった。
「—— まだ言ってなかったよね、誕生日おめでとうって」
「はい。でも今聞きました」
は顔上げると、照れたように微笑んだ。
いつも抱きしめるのは自分の番で、今日はの誕生日で……。なぜ、こんな時に限って体が動かないのだろうか。
そう、カカシが悔やんだのを、彼女は気づいてるのかいないのか……。
「いつからそんな悪い看護師になったの」
何食わぬ顔で面会謝絶のカードをしまう彼女にカカシが声をかけた。すると彼女は「カカシさんの時だけですよ」とすました顔で呟いた。
次は二時間後に来るという。
今日の埋め合わせはどうしようか。
だが、その前に。
この体が自由になったら抱きしめよう、しつこいくらいに—— 。
そんなことを思いながら、
カカシは一人、不規則に揺れるカーテンを見つめた。