—— 家に泊める? 誰が、誰を?
男の言葉は予想外過ぎた。あり得ない。しかも、二週間だなんて……。一日、数時間たりとも嫌にきまっている。誰が好き好んでこんな身元もわからないような外国人コスプレイヤーを家に上げるのだろうか。
自分の人生は、平凡でつまらないかもしれない。たまには刺激的な事があってもいいんじゃないか? そう、思わないこともなかった。
だが、いくらなんでもこれは刺激が強すぎる話だ。下手したら逆にこっちが捕まるかもしれない事案である。しかも、あっちは男でこっちは女。スマホは壊れている……。せめて抵抗はしておこうと、は必死になった。
「嫌、絶対に嫌です。何言ってるんですか、警察に言いますよ」
「その”ケイサツ”とやらにはさっき言ったんじゃなかった? しかもそれ、あきらかに壊れてるよね」
男の言葉にはぐうの音も出なかった。圧倒的に不利なのはこちらの方には変わりない。だが、
「あ、あなたもしかして、泊まってるホテルに戻るのが面倒でそんな事言ってるとか? 無理、日本の女はそう簡単に騙されないんだから」
こんな時は断固拒否することが大切だ。ちょっとでも気を許したと思われたら弱みに付け込まれるのだ。
「とにかく、私はあなたを家に泊めるつもりはないから。他の人にお願いしてみたら?」
そう言い残し、は散らばったバッグの中身を拾い上げると駆け足でマンションのエントランスへ向かった。てっきり追ってくると思ったが、物分りはいいらしく、「なら仕方ない、ここで待つか」そう呟いたのを耳にした。
(そんな事言ったって、無駄なんだから……。)
はキーを通しながら、自動ドアを通り抜け、ほっと息をついたのだった。
転んだ拍子で伝線したストッキングにため息をついた。今日おろしたばかりだというのに、もう使えなくなってしまった。そして、ポケットの中からもう一つの使い物にならなくなったそれを取り出し、更に最悪な事を思い出した。コンビニの袋が見当たらないのだ。あの場に忘れて来たに違いない。
「もう、最悪……」
こんな時はさっさと風呂に入って寝たほうがいい。
やや乱暴に脱衣所のかごへ衣類を放り込むと、はバスルームへ入った。
それにしても、あれは何だったのか……。
洗面台の前。は鏡に写った不思議そうにしている自分を見つめた。ドライヤーで髪の毛を乾かしながら、さっきの出来事を思い返す。
あの時、早く家に帰ろう、そう思って急いでいた。
そしたら……、そしたら。
いや、さすがにそれはない。やはり見間違いだ。急に飛び出してきたのはあっちの方だ。そう思いつつも、どこかすっきりしない。
あの困った顔、途方に暮れた顔。
嘘にしては、……。
もしかしたら、何らかの事情で本当に家がないのだろうか……。
だからと言って、家に上げる必要などどこにもない。その辺りの大学生が声をかけるかもしれない。はそう思い直し、ドライヤーのスイッチを止めた。
そこで、ふと思う。本当にあんな所で朝まで待つ気なのだろうかと。しかも、あの格好。
この辺りで声をかけるのはなにも大学生だけではない。
急いで適当な服を着たは、恐る恐るエントランス側の窓を覗いた。
すると、案の定と言うべきか、困り果てた顔の警察官があの男に話かけていた。その様子をみていると、なぜかリビングのインターホンが鳴った。
「はい……」
「あの、西区交番のものですが、よろしいですか? 今、お宅のマンションの前に居るのですが、お知り合いの方が—— ……」
「いえ、その人は…………今、行きます」
悪い予感は的中する。気がついた時には、はそう返事をしていた。
「いや〜、本当に警察が来ちゃったもんだから」
「……」
エントランスの自動ドアには、へんてこな格好でやけに馴れ馴れしくご機嫌な男と、定番のビジネススーツを着た女が不機嫌な顔をして写り込んでいた。
自分には全く関係のない話。むしろ被害者と言っていい。それなのに、この男が警察に主張し続ける限り、結局警察から問い質される羽目になるのだ。そんな面倒事で休みが潰れるのは避けたいものである。
(まあ、いいか。一晩くらい泊めても)
これはただの気まぐれであり、同情なんかではない。がため息をついても男は気にする様子もなかった。
部屋の前まで来たはあることを思い出し足を止めた。
「ちょっと片付けるから、ここで待ってて、……待ってなくてもいいけど」
「了解。ちゃんと待ってるから安心して」
その言葉に、は更にため息をついて部屋の中に入った。靴を脱ぎながらふと思う。あんなコスプレ男が部屋の前に居るのが隣近所に知れたら……。普段は気にもしないのに、この時ばかりは妙に近所の住人のことが気になった。片方だけ脱いだ靴をもう一度半分だけ履き直し、は玄関のドアを開けた。
「やっぱり、ここで待ってて。でも、私がいいって言うまで絶対入ってきちゃ駄目だから、絶対」
玄関でちょこんと立っている男をできるだけ視界に入れないようにしつつ、部屋干ししていた衣類を急いでクローゼットにしまった。
玄関に戻ると、男は腕組みをして考え込んでいて、さっきのおどけた様子はどこにいったのかと不思議だった。
「……どうぞ」
「お邪魔します。あ、お世話になりますかな」
男は再びエントランスで見せたような笑みを浮かべ、一歩足を踏み入れた。