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 カカシが居候を始めた日から二回目の月曜の朝。
 いつもの電車に乗り込むとまた一週間が始まるのだと実感する。
 オフィスへ入り机に向かうと、珍しくメモが置かれていた。月曜の朝から……。は心の中でため息をつき、それを広げた。


 昼休みに入るなり、お弁当箱を持ってオフィスを出たは職場近くの広場へ向かった。こちらに向かって手をふる人物がいる。だいぶ前にここに来て待っていたのだろう。
「あ、待たせてごめんね」
「お疲れ様、久しぶりだね」
 営業部は大変と聞く。しかし、は山田がそんな愚痴をこぼしたのを聞いたことがなかった。そんな彼を見ていると、嫌なこともがんばろうと奮起させてくれた。にとって、言わば戦友のような、そんな存在だった。
「あ、でも電車の中で一度会ったか」
「え、あそうだね。でも、どうしたの? メモ書きなんか珍しいね」
「ああ、ちょっと早朝に事務所に用があってさ」
「へー、そうなんだ。相変わらず忙しいの?」
「まあまかな」
 山田はコンビニ弁当のフィルムを剥がし、割り箸を割った。それを見て、もおもむろに持ってきたそれを広げると、彼は想像していた通り驚いた表情をした。だが、出てきた言葉はが思っていた事とは違っていた。
「弁当、本当だったんだ」
「え?」
 お弁当のことを知っているのは、隣の机の先輩社員だけのはずだ。“本当”とは。まったく箸が進まなくなったに気がついたのか、山田は焦ったように言った。
「あ、いや! 別に変な意味じゃなくって先輩から聞いてさ、この前の飲み会のときに、たまたま」
「ふ〜ん、私が弁当って、そんなに珍しいんだ」
「そうじゃなくて……ちょっと意外だったっていうか」
 きっと山田は新入社員の時の腕前をしっかり覚えているのだろう。包丁でじゃがいもの皮を剥いていた時の恐ろしい手付きも。
「弁当、上手だね」
 その言葉に、は掴んだばかりの卵焼きを落としそうになった。
「え、……そう?」
 変な汗が出てくるのは気の所為ではない。何しろ、このお弁当は——
 いっその事正直に言ってしまうべきか。「これね、私が作ったんじゃなくて、同居人が……」そんなことを言ったら変な話になってしまうかもしれない。山田の事だ「同居人って?」と聞いてくるに決まっている。彼はが一人で住んでいることを知っている。それに、家族がいないのも知っていた。

「それでさ、さん」
「え、あ、はい」
 —— しまった……。
 彼が心配そうにしている理由が分からなかった。
「大丈夫なの?」
 弁当を食べながら、山田はこちらを盗み見た。
「は? あ、えっと……」
さんらしくないっていうか、」
「……山田くん、それ何の話?」
「料理が苦手なさんがそんなに頑張るって、その人怖いの?」
「怖くないよ。っていうか、この弁当は、……その前に誤解してる?」
 山田は優しくて、気さくでいい人だと思っていた。
 だが、たまにこうやっておかしなスイッチが入る時がある。まさに今、その状態なのだとは悟った。山田の言う『その人』というのが誰を指すのか、想像するのは簡単なことだった。
「何かあったらすぐ言って。俺、さんの力になるよ」
 まるで見えない敵に立ち向かうかのごとく意気込みを見せる彼に、何かあったらね、とは曖昧に答えたのだった。





 月曜日は疲れる。今日みたいなイレギュラーな出来事が起こった日は特に。
「ただいま〜」
 今日の出来事をカカシにも話してみようか。
 そう思いながらが玄関のドアノブを握ると引っかかるような音がした。鍵が掛かっていた。

 鍵を開けると、部屋は真っ暗だった。
 人の気配がまるでない、この静まり返った部屋に、なぜこんなにもどきどきしているのか……。
 荷物も置かずにはリビングへと足を向けた。

 テーブルへ視線を向けると、そこにはメモがあった。
 今朝も似たようなことがあったばかりだと言うのに……。
 そう思いながら、は恐る恐るそれに目を通した。

『夕食は冷蔵庫です』
 
 見慣れない文字をみて冷蔵庫を開けると、その上段には手作りの料理が入っていた。
 そっと扉を閉めると、リビングの椅子に腰をおろし、そのまま突っ伏した。
 一週間前まで、当たり前だった静かな部屋がなんだか物寂しい気がしてくる。

 出ていくなら、もっと他にも言う言葉があるのではないだろうか。
 例えば、お騒がせしましたとか、お世話になりましたとか……。

 動かなかったのか、動けなかったのかわからない。脳裏には様々なことが思い浮かんだ。



 時計の秒針の音がする。
 目を覚ました瞬間、は自分がどこに居るのかわからなかった。
 しばらくして、ここが自分の家のリビングだと気がついて、すっかり固まった節々をほぐすように、はゆっくりと上体を起こした。
 ずるっと何かが肩から滑り落ちたのを感じ、足元をみると、ブランケットが落ちていた。
 慌ててリビングのソファーを見ると、そこにはカカシの姿があった。

「カカシ……」
「こんな所で寝ると、また風邪引くよ」
 カカシはいつもと変わらずのんびりとしていた。
「……出ていったんじゃ、なかったんだ」
「ああ、ちょっと出かけててね。あれ、朝言わなかったっけ?」
と言うカカシの言葉には混乱した。今朝は慌てていた。ほんの少しゆっくりしていただけなのに、あっという間に家を出る時間になっていたのだ。だから、曖昧に返事をしてしまったかもしれない。
「なんだ、そうだったんだ……」
 心底ほっとしたのか、急にお腹が空いてきた。夕食も食べずに寝てしまった。服もそのままだ、お風呂にも入らなければならないということに気がつくと、は慌てて寝室へ向かった。
「なんだ、……」
 一人きりになった途端呟いたその言葉は、殆ど無意識だった。


 用意されていた夕食を食べながら、は今日の話をカカシに話した。
—— それでね、山田くんって入社した時から正義感が強くて、『さんはゆで卵を剥いてミニトマトを洗って待機だ』って言うの。ひどいよね。私だってレタスやキュウリならカットできるのに」
 この夜、は饒舌だった。新入社員研修の出来事を話してみせると、カカシは「その彼の意見にオレも賛成だけど」、「そう」「それは大変だね」などと、熱心にその話に耳を傾けていた。
 ひとしきり話した後、久しぶりに紅茶でも入れよう、そう思って立ち上がった時だった。
 —— 
 そう言われた気がして、振り返った。
「なんか言った?」
「いや、……明日はの好きなものを作ろうかと思ってね」
 何がいい、と言うカカシは目を細めて微笑んだ。
 この時、僅かにもカカシの瞳がどこか悲しげに見えたのを、ただの勘違いだと思った。
 もしかしてと、考える事を拒否していたのかもしれない。



 その数日後。
 はたけカカシという男は忽然と姿を消した。何の前触れもなく。別れの言葉もなく。

 あの日から、二週間が経とうとしていた時だった。