最近はもっぱら事務作業が多い。それなのに、このままいつも通り飯を食っていいものか。今日の定食は……。そろそろ本格的にカロリーを気にした方がいいだろうな。などと考えているのは、若干いつものベルトの位置がきつく感じるから他ならない。


 それはさて置き。思わず二度三度耳を疑ったのは、昼飯を食べ終え火影室に戻る途中のこと。饅頭屋の三件先の店先で見覚えのある後ろ姿に目が留まる。

「やっぱりここはガツンとアピールしないとな!」

 そう口にするのはこの店の店主。そして、その言葉に返事をするのは一人の女の子だった。

「そうですよね、やっぱりパンツはこの色がいいですよね!」

 おかしい。ここは確か昨日まで画材屋であり、そして今日も、画材屋だと見える。さっきの会話を振り返り聞き間違いかと思うが、またしてもこの場に似つかわしくない単語が飛び出した。
「パンツは重要ですからね」
といって、その彼女—— は右手を見つめた。その手には発色のいい絵の具の瓶が握られている。「でもこの色、ちょっと派手すぎませんか?」と言うは少し困った顔をしたが、オレからすればもっと困った顔をしてもいいと思うのだ。だがそんな事を口にする訳にもいかず黙って様子を見ていると、隣を歩いていたはずのシカマルが一歩先を行き、「こんにちは」と店主に声をかけた。それに反応したのは店主だけではなかった。
「あ、シカマル! ねえ、やっぱりパンツは派手なのがいいかな?」
 平然と話を続ける彼女にシカマルは一瞬眉を寄せた。ああ、そうだ。シカマルならきっと、……。
「そりゃ、パンツはトラ柄って決まってるしな」
と、オレの予想を見事に外し、平然と答えた。しかもトラ柄だと? 最近の若者はどうなってるんだ、と、ここまで考えて話の全容を知ることとなる。

「鬼のパンツったら、それしかねーだろ、普通」
 悩む必要なんかあるかよ、とシカマルはやや呆れたように言う。
「そうだよね、やっぱり、黄色と黒だよね、黄色はこれがいいと思うんだけど、シカマルはどう思う?」
「どっちでもいいんじゃねーか?」
 黄色は黄色なんだから、と面倒くさそうに言ったのが彼の運の尽きだったようだ。
「それは違うぞ、シカマルくん。向日葵色と檸檬れもん色が同じなんてそんな馬鹿な話があるか? そしてこれは黄色じゃない。菜の花色だ」
 確か10年前にも同じことを説明したはずだ、と言い出した店主を見て、シカマルはやっとそれが失言であったと気づいたようだった。
「六代目様、ちょっとシカマルくんをお借りしていいですか?」
 ひょいと通路側に顔を出した画材屋の店主はメガネの位置を正した。確か、シカマルは午後からは事務作業だったと記憶している。なんの支障もないだろう。
「どうぞ、こちらはお構いなく」
 すると、この声に反応したはぱっと振り返ったかと思うと笑みを浮かべ会釈した。
「六代目様、こんにちは! 今日は外出されてたんですか?」
「さっき昼飯を食ってきたところでね、その帰り」
「あ、そうなんですね」
 そして、オレがの手を見たのに気づいたのか、「あ、これはですね、」と言って話し出す。
「今度、読み聞かせ会をするんですけど、どんな色がいいかなと思って相談をしていた所だったんです」
 話を聴くと、図書館で未就学児向けの読み聞かせ会をするのだという。題材を聞いてオレは納得した。本は『泣いた赤鬼』。どうやらポスターを作るつもりでいるらしく、遠くからでも目立つ色を考えていたらしい。黄色でもたくさんあって悩むんです、と言ってまた真剣には瓶を見つめた。
「六代目様は、どっちがいいと思います? パンツの色」
「……菜の花色が、いいんじゃない?」
 そう言いはしたが、内心はシカマルと同意見である。ここでどっちでもいいなんて言ったらオレまでシカマルと同じ目に合いそうだ、そう感じたのだ。そして思う。この会話だけを聞いた人は何を思うのだろう。
「そうですよね、こっちにします」
 はうんと納得したように頷いた。そして、ポケットから財布を取り出す。小ぶりの女物の財布……。もしや、自費で買うつもりなのだろうか。
「それ、経費で落として問題ないんじゃないの?」
「そうなんですけど、前期の予算はもうギリギリなので。それに、これは私の趣味みたいなもんですから」
 なんてこった。は度々こういう事をしているようだ。さすがにこれはまずい。かといって、木ノ葉図書館だけ経費を大幅にオーバーしていい訳でもない……。
「必要なものって、それだけ?」
「はい。とりあえず、これだけです」
「そう。あ、すみません、いくらですかね?」
 オレがポケットから財布を出すと、途端には慌てた。
「ろ、六代目様! それは困ります、私が出します!」
「それじゃオレも困るのよ。まさか自費で出してるなんてさ」
「でも、……あ! じゃあ今回はひとまず買うのは止めておこうと思います」
「それじゃ、パンツの色はどうすんの?」
「えーっと、じゃあパンツは白と黒で! ホワイトタイガー柄ってことで!」
 白と黒。ホワイトタイガー柄のパンツ。なんか小洒落た鬼になりそうだな、なんてそんなことはどうでもいい。それに、やっぱり鬼のパンツは黄と黒のトラ柄じゃないと格好がつかないだろう。とりあえず、ここはササッと支払うしかない。そう思ったオレはさっと50両差し出して、の手に無事菜の花色を握らせた。
「ほ、本当にいいんですか?」
「ああ、いいの。言ってしまえばオレの給料も経費なんだから、そこから出したと思えばいいじゃない」
と、言ったものの、こんな事を言ってしまうと忍の給料はもちろん、の給料だって全部経費になってしまうが、そんな細かな事を考えている者はいないからよしとする。
「ありがとうございます、六代目様」
 は頬を緩め、とてもうれしそうだった。これは絵の具。ラーメンより安い。しかもこれは自分のものではなく、ポスターを描くための絵の具だ……。
 そうこうしている内に、店主によるマンツーマンの色の勉強会は終わったらしく、「あれ、まだ居たんですね」という補佐官はやけに疲れた顔をしていた。

「なあ、シカマル」
「何ですか?」
って、確か専門書籍担当だったはずだけど、変わったの?」
「いえ、変わってないと思いますよ」
と言って、すぐに言いたい事がわかったらしい。
「ああ、あれは本に興味をもってほしいとか何とかで、まあ、あいつも言ってましたけど、趣味みたいなもんっすよ」
 読み聞かせやら紙芝居やら色々やってるみたいですよ、とシカマルは言った。
「へー、結構がんばりやさんだねぇ」
「なんだかんだ言って真面目ですからね、あいつ」
 ただ、黄色はやっぱり黄色で向日葵色だろうが檸檬色だろうが素人には判別つかないし、そもそも蒲公英たんぽぽ色しか黄色と呼べないなんてありえない話で、というか、黄と黒でトラ柄に見えればなんでもいいと思うんですよ、と言ったが、もはやそれはオレに言ってるのではなく、完全な独り言だった。というのも、オレはオレで別のことを考えていたからだ。最近のこはすぐ好きだの嫌いだの言うな、と思う。だから、いつぞやが言っていたことも殆ど、というか、全く気にしていなかった。何しろその話をしたのは書籍購入予定リストを提出したばかりのことで、それが大幅に予算を上回っていた事もあって、ああそういうことか、と思ったのだ。だが、今思えば、ひょっとするとあれは……。

 『私、六代目様の事が好きです!』

 いやいや、そんなはずがない。やはり、あのときの方便だろう。一時の気の迷いですらないに違いない。でなければ、あんなに潔く告げる者がどこにいようか。
「そんなことあるわけないでしょ」
「そうですよね、やっぱ黄色は黄色、それしか考えられねー」
 そんな事を言いながら、オレとシカマルはそれぞれ執務室のドアを開けたのだった。



□ □ □




 そんなこんなで、それから一週間ばかり経った頃。公務を終え、火影室に戻る途中のこと。町内のとある掲示板を目の前に足を止めた。
「これが例のポスターか……」
「そうみたいですね……」
 じっとそれを見つめた。そしてオレは思う。果たして店の前であれだけ悩んだ意味はあったのだろうか、と。だがそれを言ってしまうと人としてどうなのかと思う。だからオレは黙っておいたのに、シカマルはいとこだからなのか、全く躊躇うことはなかった。
「さすが、画伯だな」
 そう言って、溜息をついたのだった。まあ、日時と場所はわかる。読み聞かせが『泣いた赤鬼』だと言うこともわかる。ポスターとしては問題ないだろう、これは絵画コンクールではない、読み聞かせの日時を知らせるポスターなのだ。ちなみに読み聞かせ会は今度の土曜日、13時。
「一回行ってみたらどうですか?」
「オレが?」
「名目は、アカデミーの特待生探しとかで。火影が来るって知ったら、子どもは喜ぶんじゃないっすかね?」
「そういうもんかねぇ?」
「そういうもんっすよ。それに、子どもの発想はなかなか面白いですよ」
 シカマルはそう言ったが、そういうもんなのかどうか、今一オレにはピンとこなかった。一般の小さな子ども達が集まる場所に行く機会はあまりない。一回くらい行ってみてもいいか、と、なぜだかこのときそう思ったのだ。

 そして、読み聞かせ当日。何も知らせないのは悪いだろう、そう思って前もって館長に伝えていたはずだ。オレが図書館に行くと、は目をパチクリさせて一瞬身動きが停止した。その傍らで、「あ、火影様。お疲れ様です」とごく普通に言ったのは、の同僚の女の子だった。火影そのものなのか、それともオレそのものに、なのかは不明だが、とにかく全く興味がないのだと直感的に思った。あの冷めた目はなんとなく覚えがあるのだ。その様子を見ていると、多少はの反応がかわいいもんだと思うわけだが、いくらなんでも慌て過ぎだろう。「絵本が無くなった!」と言っているが、今、の左脇に挟まっているそれは何だというのか。そんな彼女の様子にも慣れているのか、同僚が「脇にあるよ」と、至って冷静に教えていた。「あ。」と一人恥ずかしそうにするの姿が見えた。


 それからしばらくすると、「こんにちは」という声を皮切りに、次々と子ども達が図書館にやってきた。アカデミーに通う子より背丈も小さかった。まるで保育所にでも来たかのようだ。いつも来る子なのか、一人の男児が自分の席だというかのようにピタッと前の席に座った。保護者は読み聞かせがはじまるとそっと退室するのがルールのようだ。いつの間にか静かになった小部屋には、優しい声が響いた。絵本といえど、鬼の絵。小さな子なら泣き出してしまいそうな形相をしている。それなのに、の声を聞いていると、メソメソ顔の子どももすっかり話に夢中になるのだから不思議なものだ。
 
 その話が終わると、子ども達の感想発表会のようなものが始まった。それを聞いていると、シカマルの言っていた事がわかる。赤鬼視線でみるのか、青鬼視線でみるのかで意見が分かれる。忘れてしまった何かを思い出させてくれるような感覚がする。純真無垢とはこんな感じなのか、と一人物思いにふけっていると、誰かが言った。
「鬼のパンツはどうしてトラ柄なの?」
 ハート柄や手裏剣柄だっていいよねと言うのだ。
「それは鬼のパンツは虎の皮で出来てるからだよ」
 虎の皮? クマの皮じゃダメなの? と言ったのは誰だったか。
 ほとんどの質問に答えていたが少し戸惑ったような顔をした。まさか、パンツについて聞かれるとは思いもしなかったのだろう。子ども達のなんで攻撃に合うを見て、つい、口を出してしまった。
「鬼が出入りする場所に鬼門という場所があってね。そこが北東、北は丑、東は寅。つまり、……——
 子どもというのは時に冷酷である。「そうなんだ!」と関心を示したのはのみ。肝心のパンツの話を聞くこともなく、子ども達はすっかりその話題に興味を無くし、話題はなぜか自分のパンツの話になっている。今日は何とかレンジャーのパンツだと自慢げに話す男児が数人居る。どうやらそれが最近の子ども達のブームらしい。知ってるかと聞かれたものだから、何も思わず素直に「知らない」と言ったのがまずかった。オレはただ突っ立っているだけなのに、代わる代わるやって来て、その何とかレンジャーとやらについて散々聞かされる羽目になった。未知の体験である。そして、その何とかレンジャーについてそこそこ詳しくなってきた頃。「ねえねえ」と、また一人男児がオレのズボンを引っ張った。またその話か。もうわかったよ、と言いたい所だが、手招きをされると断れない。どうやらしゃがめということらしい。そして、いっちょ前に耳に手をあて、ヒソヒソ話を持ちかけてきた。

「あのねー、火影さま」
「んー?」
「あのねー、火影さまはおねーちゃんのはうさぎちゃんだと思う?」
「んー……?」
「うさぎちゃんじゃなくて、いちごかな?」

 オレは子どもの世界というのは狭いものだと知る。この男児にはうさぎちゃんといちごしか選択肢がないようだ。だが、世の中には色んなパンツが—— なんて事を言える訳がない。 そして、「おねーちゃんはどっちも違うと思うよ」とも言えない。そんな事を言ってしまえば今度は「じゃあ、どんなのだと思う?」と言うだろう。もちろん、それに答えられるわけもない。それに答えてしまえばオレは火影で居られない、というよりオレの人生そのものが色んな意味で終わるだろう。そして、困ったことにこれは何の話だとすっとぼける事もできないのだ。オレは今試されているのか? 火影たるものどんな質問にも答えるべし。……そうなのか?
 と、そんなことを考えている間に別の話になっていて一安心する。子どもの移り気に感謝したのは言うまでもない。しばらくすると、保護者がやって来て読み聞かせ会はぼちぼち解散となった。手を振りながら、ほっとひと息つくと、またしてもオレのズボンは引っ張られた。
 さっきと同じく、「ねえねえ」と言うわけでもない。だが、何か言いたげな澄んだ瞳にじっと見つめられれば無視できるわけもなく。よっこらせと言いそうになりながらしゃがみ込むと、意思が伝わったのが嬉しかったのか、すんとした表情に笑みが浮かんだ。「あのね、」と子どもの弾む声を聞いて、小さな手に耳を傾けた。

「六代目さま、あのね」
「んー?」
おねーちゃんはね、——

 別にそれを聞いたからと、一々驚くほどオレは若くはない。何てことはない、精々何とかレンジャーの知識がすべてすっ飛ぶ程度だ。子どもというのは純真無垢である。だが、時にそれが災いするようだ。そもそも、なぜその事を知っているんだと思えば、この瞳をもつ一族は決まっている。この歳で? と疑問を抱くものの、その事実を確認する術がない。だが、この男児が嘘をついているようには思えないのだ。当然、ここでオレがすべきことは一つだった。
「そうかー。でも、それはオレと君の秘密にしておこう。それより、君は今いくつかな? アカデミーに興味ある?」



 読み聞かせは好評だった。保護者たちはほんの少しだが息抜きをできたと喜んでいた。今日のお話はどうだった、と言いながら仲良く帰っていく姿は微笑ましいものだ。
 言ってみれば、あれはもらい事故のようなものだ。そうだとも。

「六代目様、今日の読み聞かせ会いかがでした?」
「んー、なかなか良かったと思うよ?」
「本当ですか! よかった〜」

 しかし、だ。
 こうして、にこやかに話すの顔をまともに見る資格がない気がするのはなぜなのか。

React3.純真無垢の弊害について考える