「例の件、よろしくな。あと、くれぐれも失礼のないように」
 カカシさんは火影なんだから、とシカマルはいう。
 今日は里の外に日帰り出張。わざわざ早朝から私の家に立ち寄って釘を刺しに来たのだ。
「わかってるよ、気をつけてね!」
 いってらっしゃいとひらひらと手を振っていとこを送り出す。シカマルは返事代わりに片手をあげ、門を出て行った。
 この日、私は気合が入っていた。この後六代目様と一緒の仕事が入っているのだ。
 早朝の一仕事を終えた私は足早に火影室を目指した。
 旧書庫に入るくらい子どもでもできること。六代目様も一緒、心配無用。




「六代目様、おまたせしました」
 火影室に入ると、書き物をしていた六代目様は顔をあげた。机の上にはいつにも増して書類の山が。まるで木ノ葉を囲む山脈のように六代目様を包囲していた。
「あー、悪いけどもう少しまっててくれる?そこのソファー……本の上でもいいからさ」
 六代目様がちらりと見た簡易的な応接セットは全て書類と本に埋もれていた。仕事が立て込んでいるのは一目瞭然だった。すぐにでも目的地へ行くつもりでいた私は拍子抜けする。
「わかりました」
と返事をしたものの、さすがに本の上には座れない。辛うじて空いている部屋の中央に身を寄せた。書き物をしている六代目様が真正面に見える。
「もうすぐ決算でね……おまけに稟議書の締め切りに他国の輸入承諾書やら関税率の算出結果、アカデミーの願書とか上忍推薦書もあって、この前の会談の結果報告も、あとはえーと……まあいいか」
 兎にも角にも六代目様はご多忙。私に説明しているのか、予定を確認しているのかわからない口振りだった。こんな時にシズネさんやシカマルが居ないのはかなりの痛手に違いない。
「六代目様、私にもお手伝い出来ることありますか?」
 差し出がましいと思いはしたが黙って書類の山に囲まれて突っ立っているのは憚れる。幸いにも六代目様は気を悪くする風でもなく、猫の手でも借りたいってこの事だよね~、などと言いながら指示をくださった。
「んー……あ、そうだ。、そこの給湯室にある冷蔵庫の羊羹食べて、あと、一緒に入ってるよもぎ茶も飲んでね。もちろん、嫌いでなければ」
「わかりました」
 六代目様のお役に立てれば、と、私は言われるがまま冷蔵庫から羊羹を取り出した。きっと感想を求められているのだろう。以前、甘いものが苦手な六代目様に代わって自分が食べる事もあるとシカマルが言っていた。新作の試食や品評会の品の感想を述べるのも仕事だ、とも。書き物や書類チェックは限度があるが、食べることなら私でもできるし、問題ない。

 羊羹は真空小分けタイプ。ラベルには『岩羊羹』とある。聞いたことのない品名だ。『特選よもぎ茶』は缶のボトルに入っていて湯呑み要らず。蓋付きで実に便利。因みによもぎ茶の効能は“浄血・増血作用、デトックス、リラックス、美容効果など”があるらしい。
「では、いただきます……」
 羊羹の周りは固め。中はしっとりとした餡で程よい甘さ。胡桃のようなものがカリッとしてくせになりそうな食感だ。そして、特選よもぎ茶を口にする。なかなかの渋い味だが木の実の風味とよく合う。御茶菓子にはぴったりだ。一体どこの店が?とラベルの裏面を見ると土の国とあった。木ノ葉は羊羹もお茶も美味しいけれど、この羊羹とよもぎ茶はかなり相性が良い。
 私が羊羹を完食した頃、六代目様が椅子から立ち上がった。結果報告をしなければ。


「六代目様、完食しました」
「あ、どうだった?」
「羊羹は胡桃のような木の実が入っていて食感が良く、渋めのよもぎ茶とよく合います」
「そう、口に合ったならよかった。じゃあ、そろそろ行こうか」
「え、行くんですか?」
「そうだけど?」
「あの、羊羹と特選よもぎ茶は?」
 例えば、レポートとかそういった書類は必要ないのだろうか。
「え? ああ、気に入ったなら持って帰っていいよ。まだ沢山あったでしょ? シカマルもそんなに食べるタイプじゃないようだし。五代目が来たらあっという間に無くなるんだけどね」
 待たせて悪かったね、と六代目様はおっしゃる。

 多忙な六代目様を手伝うつもりが、私はとても間抜けなことをしてしまったのだと気づいた。なぜなら、あれは新作の試食や品評会の品ではなく、岩隠れの里のお土産……。
「……ご、ごちそうさまでした」
 私は明らかに浮き足立っていた。六代目様と書庫に行くのが楽しみで仕方がなかったのだ。



□ □ □




 木ノ葉の里には図書館から始まり、様々な書庫が存在する。例えば古文書の保管庫に、アカデミーの図書館。巻物や資料集などがある。そして今回向かうのは、木ノ葉の里で最も古いと言われている書庫。その場所は普段はもちろん、ここ数年の間、誰も足を踏み入れていない。図書館の館長でさえ記憶は曖昧だった。館内に長いこと鍵だけ保管され続けているその場所を確認するのが本日の目的だ。

、鍵は持ってきた?」
「はい、もちろんです」
「五代目が言うには、中は空っぽらしいんだけど……」
 六代目様は鍵を受け取ると、図書館の裏手にある御堂を見つめた。
「ちょっと失礼しますよ」
と、御堂の格子扉を一枚ずらす。中に入り、手前から二枚目の床板に触れた。それを剥がすように持ち上げると地下に続く階段が現れた。木ノ葉の里にはこのような歴史的産物がまだ残っている。
「すごい……」
「狭いな。危ないから、はここで待ってて」
 そう言い残し、さっそく六代目様は足を踏み入れた。私は懐中電灯を預かり、代わりに中を照らす。
「さてと……よっこいしょおおおぉ!?」
 聞いたこともない六代目様の声。きっと足を滑らせたんだ!私は慌てて六代目様を掴もうと手を伸ばした。だか、見事に空振りする。急いで前のめりになって頭から階段に突っ込んだ。この際、手じゃなくてもいい。六代目様のどこかしらを掴んでおけば何とかなると思ったのだが、どうにも変だ。六代目様のことだから途中で止まりそうなものだし、私は階段で頭を強打してもおかしくないはず。なのに、ずるずると滑り落ちる。例えるなら、かなり滑りを良くした公園の滑り台。悪く言えば傾斜のついた落とし穴。そうしている間に、ポケットに入れていた口紅が抜け出て転がっていく。イニシャル入りのお気に入りが……それがあっという間に見えなくなった。六代目様をお助けするはずが、いつの間にか私もその流れに加わっていて、あったはずの木造の階段はすっかり消えている。そこはどこを見ても真っ暗だった。
 そこで私は重大なミスに気づく。六代目様を掴もうとして、放り出してしまったような気がする。懐中電灯がない。


「あー……、怪我してない?」
「はい、大丈夫です! 六代目様こそお怪我はごさいませんか?!」
「オレも大丈夫。ただ、から預かった鍵を落としたみたいで……いやー、参ったな……」
 最後まで握っていたはずなのに、とその声は途方にくれていた。
 というのも、ここは何も見えなかった。真っ暗闇も良い所で、六代目様がどこに居るのかもわからないのだ。
「とりあえず、探します!」
 きっと近くに落ちているはずだ。私は四つん這いになって探し初めた。とりあえず地面は平坦だというのはわかった。床は板張りのような質感だ。ざらざらとしていて随分埃っぽい。いでよ鍵!とかなんとか言って出てきたらとっても楽なのに。何にしても早く鍵を見つめて用事を終わらせなきゃならない。
 ここかな、あ、こっちかも。
 突如ゴッという鈍い音とともに「アダッ!」と言う声がした。しまった!
「す、すみません六代目様、大丈夫ですか?」
「そっちこそ……」
 あろうことか、私は六代目様に頭突きをしてしまった。私の石頭で六代目様にたんこぶを作ってしまったかもしれない。最悪だ。暗闇は危険だ。早く見つけなきゃ!そう思った矢先、妙なものが通り過ぎる気配がする。明らかに目の前を往復している。いつもなら殺虫剤なしでは何もできない私だが今日は違う。六代目様が害虫に刺されたら大変だ。何とかしなければ。バシバシともぐらたたきのようにしていると、またしても六代目様の悲鳴を聞く事になる。
「いッ!」
「六代目様?!」
、それオレの手……」
「えっ!ご、ごめんなさい!」
「とりあえず、手当たりしだいに何かするはやめよう……怪我する」
「すみません……」
 もしかして、今日は厄日なの?



「六代目様、本当にここは書庫でしょうか?」
 私の声は妙に反響した。相変わらずの部屋は暗闇のまま。そのうち目がなれるだろう、そう思っていたのにぼんやりとしたシルエットすら見えなかった。
「書庫ではあるけど、兼避難用って感じがするな……」
 六代目様の声も妙に反響している。直ぐ側にいるかのように聞こえるのが、手探りで探しても気配はない。六代目様は壁を叩いて確かめているらしく、コンコンと音がした。
「でも、地図には載ってないですよ?」
 図書館には見取り図と一緒に敷地内の地図がある。毎日のように見ているのだから間違いない。誘導すべき避難所は別の場所となっている。
「地図は更新されるものだけど、載ってないのなら初めから描かれてないんだろうね」
 私は「参ったな」という六代目様のお言葉を今更ながらひしひしと感じた。
 私は六代目様と二人きり。更にここは、密室だ。


「さて、どうしようかね?」
と、本当に困っているのかそうでないのかわからない声で六代目様は呟く。さっきから印を結ぶのだが、まったく何も起きないのだと。六代目様曰く、壁に何か仕込まれているらしい。おそらく外敵からの攻撃を防ぐためだろうと。
「昔は戦争ばかりだったからね……こういうからくり式の部屋は多かったのよ。例えば、大名の屋敷とか」
「大名様の? 忍を雇ってるのに、以外に原始的なんですね」
「けどね、時にはそっちのほうがいい場合もあったりするわけよ」
 私はいわゆる先人の知恵というものを身をもって体験したようだ。

「物は試しか。」
 六代目様はそう言うと何かをした、ようだった。見えないのが惜しい。すぐにボフッと音がして六代目様の安堵の声を耳にした。
「また変な場所に居るな、カカシ」
 中年のおじさんのような声がする。助けにきてくれたのかもしれない。すぐに六代目様は説明を始める。
「ちょっと困ったことになってさ」
「昔から困った時しか呼ばんぞ」
「まあ、そうなんだけど……」
 誰と話しているのだろう? そう思っていると、そのおじさんが私に話しかけてきた。
「お前、奈良一族の者か」
「はい。どうして知ってるんですか?」
 私はこのおじさんを知らないのに。どこかで会ったことがあるのだろうか。だが、この暗闇では何もわからないはずだ。
「一族の匂いはわかりやすい」
「え?!」
 しょっちゅう鹿に餌をやるから獣の匂いがするのかもしれない。私はとっさに腕の匂いをかいだがさっぱりわからなかった。昨晩念入りに塗ったボディークリームの香がかすかにする程度だ。
 大体の話を聞いたおじさんは「じゃあな」と言ったきりだった。またボフッと音がすると、沈黙が訪れた。てっきりここから出してくれるのだと思っていた私は肩を落とした。
「六代目様だけでも連れて行ってくれたらよかったのに……」
「それはちょっと無理かな」
「どうしてですか?」
「彼らは別の場所に住んでるから」
「そうなんですか」
 シカマルの言う通り、館長にも付いてきてもらえばよかった。木ノ葉図書館の名で菓子折りを持っていくべきだろうか。
「六代目様、さっきの方はどこにお住まいなんですか?」
「それがオレも詳しい所は知らないんだよね。秘密主義なんだって」
 しかし、おじさんが姿を消してしばらく経つというのに何の音沙汰もない。コツンとかドカドカっとか何か音がしたらいいのに何もないのだ。すると、ごそごそと身動きをする音がした。
「とりあえずも座ったら?」
「あ、はい」
 注意を払い床にしゃがもうと手をついた。その瞬間、心臓がぞわりと毛羽立った。
「……ろ、六代目様」
「んー?」
「手の甲を、なにかが這っているような気がするんですけど……これは……気の所為でしょうか」
と、六代目様に告げたところでどうしようもないことを私は呟いていた。明らかに何か居るのだ。もぞもぞっと何かが手の甲を這うのだ。まるで手足の長い昆虫のような……。
「とりあえずはじっとして。動いたらダメ、いいね? 今そっちに行くから」
「わかりました」
 私は言われた通り動かなかった。変わらず六代目様も手探りで探しているらしく、時折「ん?」「あれ?」と独り言が聞こえた。私も六代目様を探したい気持ちはあったけれど、言付けは守らなければならない。しかし、手を付いて膝を浮かしているのはなかなか辛い。しかも、困ったことに手足がふるふるしてきた。今にもひっくり返って尻もちをついてしまいそうだ。
「あ、ここに居たのか」
 よかった、六代目様だ。
 ほっと息をついた途端、バランスが崩壊した。

「わっ!」
「お、っと」

 この状況はまさにあの時と同じだ。アカデミーの玄関先で本を抱えて躓いた、数年前。当然ながら、私は今本を抱えていない。だから、六代目様の胸板が……顔が、すぐ目の前にある。
「相変わらずそそっかしいね、は。前歯だけじゃすまなそうだな、とかね」
「え、」
 六代目様が話す度に振動が伝わってくる。私の異常な程のドキドキも伝わっているかもしれない。と思うと更にドキドキが増した。早く離れなきゃ!
「あ、あの……すみません!」
 慌てて立ち上がろうとしたが、足がもたついてどうしようもなかった。手をつこうにもまた六代目様の悲鳴を聞くことになりそうな気がしてならない。そんな事をしていると、ぐっと上体が引き上げられた。
「あ、ありがとうございます……」
「さてと……そろそろ本当に出ないとマズいか。仕事も山積みだし」
 ここが暗闇でよかったとつくづく思う。
 たぶん、六代目様は目の前にいらっしゃる。向かい合ったまま、暗がりでもわかるくらい近距離だった。早くここから出なければならない。残念ながら、特選よもぎ茶のリラックス効果はまるで感じられなかった。ただ血中濃度は上昇しているような気がする。頬が火照っているのはわかっているし、心臓もさっきからずっとドキドキが鳴り止まない。こんな時は深呼吸だ。まずは落ち着いて、それから六代目様を……。
 ガチャガチャと音がしたのはその時だった。慌てて振り向くと、眩しくて目がくらんだ。

「カカシ」
 おじさんの声だ!
 と思ったのに、そこには一匹の犬が。そしてその隣には青年が立っていた。図書館によく調べ物に来るサイくんだ。どうしてここがわかったのかと聞くと、忍犬と一緒に匂いと生体反応をたどってきたのだと説明してくれた。手の甲を這っていたのはサイくんの忍術のネズミだったということもわかった。よかった、嫌な虫じゃなくて。
さんも一緒……」
 サイくんはぽつりと呟くと、私と六代目様を交互に見つめた。
「ということは……ボクは邪魔なのかな?」
 と、サイくんが首をかしげるので私は困った。というのも、サイくんは正直だ。正直で素直だからいろんな事をすぐ口に出してしまう。彼は私とカカシさんが一緒にいる理由を聞かされていないのだ。案の定「え?」と六代目様が間の抜けた声をあげた。
「どうしてよ? 呼んだのはオレなのに」
 六代目様は不思議そうにする。
 サイくんは純粋な方だ。だから、絶対に言うと確信した。しかし、それは今ではないと私は思う。
「どうしてと言われましても、さんは六代目が——
「サイくん、助けてくれてありがとう!」
 無理やりかぶさったのが良くなかったのか、六代目様はキョトンとした。
 サイくんの顔が無になったが、「いえ、大したことではないので」と、特に気にしていないらしく話題は別の話に変わった。おじさんの正体は忍犬だった。それを知らずに私は人間だと思っていたと告げると、忍犬のパックンさんはふんと鼻を鳴らした。そして、一番笑ったのは六代目様だった。
「だからあんな事言ってたわけね」



 それから数日後の朝、机に小袋が置いてあった。ワイン色の不織布袋。見覚えがあるような、ないような。間違いだと思っていると、どこかで見た書体で私宛だと書かれている。こういう物は一先ず不審物として届けると決まっている。
 でも……開けてもいいかな、いいよね?
「わぁ」
 袋の中には口紅が入っていた。私のお気に入りだ。しかも、二本もある。一本は私が買ったもので、もう一本は新品。
『中身が折れていたようなので。 カカシ』




 … 余談だが、あの日、予定通り帰郷したシカマルは私の家に押しかけてきた。てっきり手土産でも持ってきたのかと思ったのに見事に手ぶらだ。そして、「本当に何もなかったんだよな……?」としきりに聞いてきた。もちろん私は何もないと答えた。無事、何事もなく旧書庫の調査は完了した。現に当日付で旧書庫は埋め立てることが決定した。理由は子どもが入ったら大変だから。と、はっきりと説明したのに、シカマルは私の口元を見て変なことをいう。
「カカシさんのベストに……」
「ベストに、どうしたの?」
「……いや、オレの勘違いだ。じゃあな」
 彼は首を傾げて帰宅した。朝に塗った口紅はすでに取れていた。それをいい事に少しだけ嘘を吐いてしまった。ただ、少なくとも彼が想像しているようなことは何一つしていない……と思う。
 そして、サイくんとパックンさんには菓子折りを持っていこうと思った。名は「奈良」で。
 六代目様へのお礼は何がいいだろう?

Act.7 拾得物は速やかに返却すべし