どんなに優秀な忍でも、怪我をするし、病気にもなる。そして、それは彼らにも言える事なのだが、どうしてこうも意地を張るのだろうかとカカシは思う。誰が見てもとても三日寝ただけで治るものではないというのに。
「これくらい大した事ではない」
と、目の前の犬、いや、忍犬は前足をぶらりとしてみせた。
「めっちゃくちゃ腫れてるから。痛いでしょ?」
「カカシ。ワシは忍犬だぞ。これくらい、なんてことないわい」
「あーそう。そんじゃ、これはどうなのよ?」
カカシは前足を掴んでみせた。すると、案の定、忍犬は掴んだ手に牙を剥いた。かれこれ十年以上の付き合いだというのに。忍犬というのは犬使いの主である忍に従順ではないのだろうか?とカカシはぼんやりと思った。
そんな感じのやり取りを何往復もした所で腕の中で暴れるのを宥めながら連れてきたのは忍御用達の動物病院だ。
「あ、カカシさん。こんにちは。パックンもこんにちは」
と、受付に出てきたのは。いががされましたか、と、ふわりとした声色に問いかけられ、カカシは思わず口が滑りそうになった。きっとシャツの袖を噛まれていなければ、すらりと話してしまっただろう。腕の中で隠していた腕を出すように声をかける。
「任務中にちょっと……ほら、」
「そうでしたか、ご苦労様です。……ああ、こんなに腫らして。痛かったね?」
「……」
よしよしと素直に撫でられる様を目にし、カカシはため息を漏らした。後でじろりと睨まれるが怖くもなんともない。「少しお待ちくださいね」と診察室に消えていくを見て、ふんっと鼻を鳴らすのはカカシの相棒であるパックンだ。
「なんだ」
「いやね、犬でも鼻の下のばすもんなんだと思って。」
「……何の話だ」
「あ、そうだ。オレもいつも世話になってるし、たまにはよしよししてやろう……、って冗談だから」
ワンっとわざとらしく吠えるのがおかしくてたまらない。はいつもパックンを「お利口さんだね」と言って頭をなでる。普段は「忍犬だ!」と豪語するパックンが、この時ばかりは無言を貫き言葉通り“お利口さん”を貫くのだ。というのも、たまに吠えれば、
「大丈夫だよ、もうすぐ先生に診てもらえるからね」
と、こんな風にやって来る。はパックンが話せる忍犬だと知らない。それを良いことに、「あ、お水がほしいのかな?ちょっと待っててね」と甲斐甲斐しく世話を焼かれるのを楽しんでいる。その様子を見ていると、どこか腹ただしい気分になるのだ。きっとそれは自分と比べてしまうからだろうとカカシは思う。思い出すのは、先日病院で世話になった時のこと。正直、点滴ばかりでげんなりしていた。「何か食いたいな…」と本音を漏らすと、「まーだ駄目ですよ!」といつもの看護師に怒られた。食いたいなと言っただけで食べていないのに、怒られた。それに比べて、ここは天国か。のような看護師に巡り合えれば入院生活も楽しいだろうと想像する。いっそのこと、怪我をしたのは任務ではないく、そのお礼の肉に先手でがっついて飛び込んで滑ったからだ、と、本当のことをバラしてやろうかとさえ思うのだが、ここは世話になっているという恩で持ちこたえる。
そうこうしている内にパックンの診察の番がやってくる。
「あら、パックンが骨折なんて珍しいね」
と、獣医はレントゲンも取らずに呟いた。一応、とレントゲンを撮り終えるとさっさと処置を始めた。目が合えば優しく微笑むを見るとやはりここは天国ではないかと思うのだ。
「あ、そうだ。パックン、反対側の足の爪整えとこっか? いいですか、カカシさん?」
「あ、お願いします」
「はい、おまかせください」
そう言って、はにっこり微笑んだ。だがふと思う。足の爪を切るのに確認が必要だろうか、と。しかし、それを問う必要はなかった。
「この前黒丸くん、あ、犬塚さんちの忍犬です、ご存知ですか?」
黒丸と言えば、片目に眼帯をした大型犬で勇猛な性格の忍犬。
「ええ。まさか怪我したとか?」
「いえ、健康診断です。今日はお母さんじゃなくて、娘さんのハナちゃんと一緒に来てくれて。診察が終わって、今みたいに爪を切ろうとしたら『商売道具だからやめてくれ』って、怒られてしまいまして」
「あー、確かにそうかもね」
「それで、一応聞いてからと思ったんです。黒丸くんって面白いんですよ、もうちょっと強い差し歯はないか、とか色々先生に言い出して。私はそういうのにちょっと疎いもので。色々あるんですね」
そんな話をしながらも、はテキパキと爪を整えていた。そして、「はい、出来ました。お疲れ様です」と、パックンの手を優しく撫でた。
「……羨ましいか?」
が居なくなったらすぐこれだ。カカシは心の中でため息をついた。「いや」と返事をしたが、正直な所実に羨ましい。オレが犬で怪我をしたら絶対ここに来ると思うよ、とは言えず、カカシは無言を貫いた。
「はたけさーん」
の声だ。会計をしようと席を立つ。パックンは大人しく玄関で待っている気のようだ。どこまでも“お利口さん”だった。
「では、丁度いただきます。これは痛み止めです。何かあったら何時でもお電話くださいね」
「どうも」
「あの、カカシさん」
「ん?」
「これ、よかったらどうぞ。あ、人間用です。手、爪の所を怪我してません?」
「え?」
右手をみると、確かに爪の辺りに切り傷があった。不思議なもので自覚した途端にヒリヒリと痛みだした。
「あ、もちろんお代は要りませんから」
は僅かに頬を染め、珍しく慌てた。
「……ありがとう。ところでちゃん ——」
お大事に、と言うの声を聞きながら、カカシはひらひらと手を振った。
「なんだ?」
「ん?」
「ご機嫌だな」
「そう? それよりこれ。ちゃんから。『早く良くなってね』だって。」
受け取ったパックンはとても上機嫌に忍犬の暮らす街へ戻っていった。
とりあえず、家に帰ろう。その足取りは軽い。確かにパックンが言うようにカカシの機嫌は最高に良かった。
『楽しみにしてます』
と、微笑むを思いだせば、ご機嫌にもなるだろう。それに、やっぱり人間でよかったと思った、だなんてとてもじゃないが忍犬に言えるわけがない。
「あ。」
そのつぶやきに返す者はいなかった。カカシは家路を逸れ、街中へと足を向けた。
それはとても重要なことだった。
映画の下調べをなくしては薬のお礼という名目の映画デートは成し得ないのだ。
先手は打った。あとは運に祈るばかりだ。
まさかその頃忍犬界で、パックンだけずるい!から始まり、肉球マッサージ、ノミ取りブラッシング、普通になでなでしてほしい…など要望多出。「オレも怪我しょっかな〜」などと邪な事を考える者が続出しているとは考えもしていなかった。
後日。
「カカシ! オレたちも健康診断が必要だと思うんだ!」
と、キラキラした目で訴えられる。