空蝉-四章-
「もしかしてカカシさん、今日の組み合わせは初じゃありませんか?」
意外と言わんばかりに話すのは神月イヅモ、中忍である。彼の相棒のはがねコテツは珍しく席を外しているようだ。おそらく、五代目の無茶難題に付き合わされているのだろうとカカシは思う。
「んー、そうだったっけ?」
「はい、オレこういうの覚えてるんですよ」
「そりゃ優秀だ」
いえいえとイズモは謙遜しつつも満更でもなさそうな顔をする。
「さんといったら昔……あ、来ました」
イヅモが向ける視線の先をカカシが見やる。
この一週間、カカシはあらゆる心配を想起させていた。例えば、同行を拒否されたり単独行動を希望するなど。どこで聞きつけたのか「お前、今度と任務らしいな」と白々しく言ったアスマの意味深な表情しかり、また同じくして「ないと思うけど、妙なことしたら承知しないから」と言った紅の顔も含め、忘れてはならないことだ。そしてたまたますれ違ったガイはやたら大きな声で「アー忙しいなぁ!」と独り言を漏らしていたが、その意図は不明である。
それらを知る由もないはいつもと変わらぬ様子でやって来た。集合時刻には余裕があったが、は律儀に頭を下げる。
「遅れてすみません」
「まあまあ、そんな畏まらなくても。オレもさっき来たところだからさ」
にっこり笑ったカカシを見たは背嚢の肩紐をぎゅっと握りしめる。
「宜しくお願いします」
「こちらこそ」
「では、さっそくですが」
と、は素早く忍具ポーチを広げる。ベテランの忍ともなれば基本である『忍具の確認』は省略する者もいるが、彼女はそうでないようだ。
忍の所持品には個性が見える。例えば、流行りものが好きな者は商人の売りつける新商品を必ず入れていたり、はたまた自分の得意ばかりを集めるあまり、忍具に偏りが出る者もいる。その点は特性を知るという意味において基本的な物が多く、目立った品は見当たらなかった。強いて個性と言うならば、太もものホルダーに手裏剣が容量いっぱいに詰まっていることくらいなものだろう。ホルダーの隙間から見える刃はかなり切れ味が良いと見え、いつぞやに見かけたときよりも鋭さが増している。しばし沈黙したカカシに不安を抱いたのかは言った。
「あの、もしかして足りませんか?」
「いや、これだけあれば充分でしょ」
ごく普通のやりとり。カカシはナルトたちと同行していたときと同じく、普段通りにポーチに蓋をした。もそれを目で追うと同様、ポーチの位置をただす。そして揃って二人は前をむいたまま、次の動作を思案した。そして口を開いたのはカカシだった。
「そういえば、は行く前に何か言ったりするの? ほら、ガイは派手に言うじゃない? アオバたちはどうだったかオレは知らないからさ」
円陣を組む、掛け声をかける、任務後の約束事など。いわゆる、ゲン担ぎのことだ。
「いえ、私はとくにありません。カカシさんは?」
「そうねぇ、オレは……」
大抵は遅刻から始まるため、部下の文句と共にスタートする。任務後にナルトたちへラーメンを奢ることになっていたことは多々あるが、その場合9割ドロンすると決めている。よって、
「ないな」
きっぱりと言い切ったカカシをはどのように受け取ったのか、
「…………そろそろ、行きましょうか」
控えめな声で先を促した。
事前確認として格好ばかりに広げた地図をポケットにしまい、カカシは背を向け門番たちへ手を振る。
—— そういえば。が昔ここで何だったんだ?
その疑問は宙に浮いたままとなり、二人の忍の姿を確認した門番は帳簿の《出立済み》に印を残した。
任務は極めて順調に思えた。だがが話したのはそれきりで、微かな足音だけが二人の間を繋いでいた。カカシがそれとなく横目で様子を覗えば、淡々と足を進めるが視界に入る。忍として模範となる姿といっても良い振る舞いだ。むしろ静かすぎるほどで、気を抜くとまるで一人でいるように錯覚した。もしや単独任務と変わらないつもりでいるのではないか……そう思わなくもないほどに。仮にが「アナタとは口を利きたくありません」と堂々と宣言したとしても、この任務が中止されることはない。各々の責任で任務を遂行するだけだ。その場合、帰還した後に五代目火影の長くくどい説教がセットになるが。
「今日は、お天気に恵まれてよかったですね」
任務に集中していた。
言い換えれば、すっかり気を抜いていた。
あまりにも不意だったのだ。
「あぁ、ちょっと晴れすぎかもね」
空を見上げた瞬間「眩しい」と思ったのがそのまま口にでた。それが不満のように聞こえたかもしれない。は話しかけたことを悔いたのか、口を一文字に結んだ。こちらは青空に似合わず曇天のような重たい空気をまとっている。これにカカシは若干の“ミス”を否めなかった。
—— ま、任務は数日あるわけだし……。
里を出て数時間。四方に気を配りながらカカシの意識の着地点は常に隣にあった。
「カカシさん、そろそろ休憩しませんか? 日没前に寝床を決めておくのも良いと思うのですが」
カカシがわずかな日の傾きを意識した頃。この先は沼地が続くので、とはポケットから地図を出した。今、足をつけている地面は乾いており、周囲の草木の様子を見ても同様に見える。しかしよく凝らせばわずかに遠くから湿気った土の匂いがカカシの鼻腔をかすめる。カカシはの地図を覗き込んだ。もちろん地図には沼地であることは一つも記されていない。森林である印が小さくぽつんとあるのみである。五代目火影はこの任務の人選に関して頓着がないように言っていたが、実はそうではなかったのかもしれない。これまで相談なしに来れたこともその証だろう。いざという時にどちらが先導するか、それさえ決めないまま出発したが、存外悪くないようにカカシは思う。
「そうしようか」
「はい」
の声は相変わらずこざっぱりとしていたが、今回は気にならなかった。それからはどちらが言うでもなく、休息に向けて支度をする。黙々と作業を進めていると、何をするにも指示を出し、時にはブーイングを受ける。そんな自分を思い出し、カカシは奇妙な心地がした。単独任務では気にもしなかったことだ。今は大人二名、そこそこの経験者である。当然ながら周囲に罠を仕掛けるのもスムーズであり、
「さすがに糸は絡まないか」
ぽつりとこぼした独り言が不釣り合いだった。それが耳に入ったらしく、の手が止まる。
「……ナルトくんたちは絡ませるんですか?」
「そうなのよ。なーんか張り合っちゃってさ。で、晩飯が遅くなる」
そして空腹でさらに険悪になる。その賑やかな様子を想像したのか、はふふっと笑った。それからはっとした顔で言う。
「ごめんなさい、茶化そうとしたわけじゃないんです」
カカシは何気ない思い出のつもりだったが、は失言と捉えたらしい。
「ま、そういうときもあったってだけでさ。ところでは晩飯何持ってきたの?」
「はい、私は日向の方に美味しいお米をいただいてそれを……」
おにぎりまたは炊き込みご飯。カカシの中で瞬時にイメージが膨らむ。
「……持ってきたつもりが、玄関に置いてきました。あっ、乾パンと兵糧丸もあるので支障はありません」
「なるほどね」
の耳がみるみる赤くなっていく。幸いにも此度の任務はさほど厳しいものではない。一晩分のズレなどどうにでもなる。あとは気持ちの問題であり、カカシは自分の持ち物を思い返したが、生憎、米を入れた覚えはなかった。そうこうしていると居た堪れなくなったのか、
「わ、私、なにかとってきますね」
「ちょっ、お待ちなさ……いって」
それは届かず、はそれらしい方角へ行ってしまった。カカシが分身に追わせるべきか悩み「彼女は上忍」と自分に言い聞かせること数十分。おまたせしました、との左手には膨らんだ布袋があった。思わずカカシは色の変わったそれを凝視する。ぽたぽたと何かが滴っている。が“とりにいく”というのでてっきり山菜の類だと思っていたが、違っていた。
「それは?」
「ヤマメです。カカシさんはお好きですか?」
「焼いたら美味いよね」
「よかった、思ったより大漁で」
近くに清流があったことを思い出しながら、カカシは胸を撫で下ろしたのだった。
尾行や追跡。任務上、火を扱うのは躊躇うこともあるが今回は良しとした。適当に拾い集めた不揃いな枯れ枝が音を立てて燃える。その様をカカシはぼんやりと見つめた。向かいに座るも同じようなもので、時折、竹串を回して魚の面倒を見ている。
「はいつもこんな感じなの?」
「いつも?」
「一人で任務に行くとき、あるでしょ」
任務の過ごし方について聞いているのだと知ると、は少し考えるように言った。
「時々……。いつもじゃないですよ、ほんとうに時々ですから。カカシさんはやらないんですか?」
「んー、あんまり」
「そっか、そうですよね……」
他の人は違うのか。そんな声ではわかりやすく気を落とす。しかしカカシにそれを悪くは思えなかった。暗部時代は空腹を気にした覚えはない。スリーマンセルなどの小隊ならまだしも、一人ともなれば尚更だ。理由の一つに危険を伴うことが多いこともあるが、単純に関心が薄かったのかもしれない。ただ、体力を保つためだけの食事は味気ないものだと記憶している。そのような機会は少ないに越したことはない。カカシは「これ焼けてますよ」と差し出されたそれを受け取りながら、は忍の中でも比較的健全であると感じた。
「カカシさん、お塩足りてますか?」
「いい塩梅よ」
「この岩塩も日向の方にいただいたんです」
「へー、どおりでね」
本当のところを言えば岩塩の良し悪しなどあまりわかりはしなかった。だが、ヤマメは焼いて食べるのが良い。そして一人よりも二人のほうが美味しいはずだ。もちろんも忍である以上、決して気楽でいるわけではないことはわかる。それを思うと案外彼女は、
「はタフだよね」
そのような考えに至る。えっ、と顔を上げたの頬は炎の熱で赤みを帯びていた。
「ヤマメ釣りのことなら偶然です」
「それもそうだけど、いろいろとさ」
「そんなことないです、私は」
「はい、こっちどうぞ」
カカシがこちら側の串を取ると、炭となった魚の尾先がはらりと落ちた。
「ありがとうございます……」
は何か言いたそうな顔をして、それを頬張る。そして三口程口を付けてその手を下げた。
「私はただ、やれることをしているだけです。だからカカシさんが思うようなことは……」
「それでも、オレはそう思うよ」
ヤマメ釣りだけじゃない。はじまりはどこか。
が初めて暗部を訪れたあと時。それともずっと前からそうだったのだろうか。近い内に思うところを聞いてみるのも良いかもしれない。とりあえず、今は目の前のことが最優先ではあるが。遠くから感じる気配が人ではなく獣であるのを確認し、カカシは二本目のヤマメに手をつける。そしてなんとなく思った。「これは譲りたくないんだよね」と香ばしく焼けたヤマメを見て、小さく呟いた。