9月生まれのあのこ

 確かに「今日はの要望を叶える日」とは言った。
 言ったが——



 どこに行きたいかと尋ねると、は目を輝かせ「カカシの家」と言った。家に行っても何か面白い物があるわけでもない。なのに、にはそんな事は関係ないらしく、「久しぶりにごろごろしようよ」と言ってきた。約束通り、の要望を叶えるべく家に来たが、何かをするわけでもなく、ただ布団の上でごろごろ寝転んでいる。それでもはご機嫌だった。左腕を抱きしめるようにして、こちらを見てはにこにこしている。


「なんですか?」
「さすがに、ちょっと暑くない?」
 窓は開け放っているが、日中はまだ残暑の名残りがある。ほんのり汗ばんでしまうような天気だった。
 だが、彼女はそうでもないようだ。「え、ちょうどいいよ?」と言って、カカシの肩に頭を乗せた。その様子に、思わず頭を撫でたり頬をつついてみたい衝動に駆られる。まるで犬のよう、いや、猫か、……いや、ならウサギだろうか。そんな事を考えながら、カカシは右手の愛読書に目を通した。
 時折、ふわりと風に乗って優しい甘い香が漂ってくる。一人の時は決してないものだ。

「ね!」
「ん?」
 突然の顔が目の前に現れる。やっぱり、ウサギでもなく、犬だ。しっぽを振る人懐こい子犬のようだとカカシは思った。
「夕方になったら商店街に行かない?」
「商店街なら今からでも行けるでしょ」
「今はちょっと早すぎるんだよね」
「そうなの?」
「そうなの」
「なら、仕方ないねぇ」
「仕方ないよね」
 は二度と頷き、またゴロンとベッドに転がった。何か思い出したのか、ふふっと小さく笑う。
「にやにやしちゃってどうしたのよ?」
「にやにやなんかしてないよ〜」
 急にカカシの腕が軽くなったと思えば、は天井を見つめながら、鼻歌を歌いだした。はじめこそ、家でごろごろするなんて勿体無いと思ったが、今は甘い香りと可愛らしい声のする休日も悪くないとカカシは思った。

 時間はあっという間に過ぎていく。
 心地よい風が部屋に入り込んだ。それは少しだけ秋の訪れを感じるものだった。
「そろそろ出かけようか」
 カカシが愛読書を閉じると、すぐにはベッドから居りて、手ぐしで髪の毛を整えた。
「何買うの?」
「ひみつ」
 いつもとほとんど変わらないはずなのに、はとても楽しそうだった。


 ずらりと並んだ書籍に指を滑らせ、カカシは一冊の本を手にとった。
 二人で商店街に向かったはずなのに、カカシは一人本屋で待つことになった。目的地に到着した途端、彼女が「ねえ、今日は別々に回ろうよ」と言いだしたからだ。今日はの要望を叶える日だ。言うことを聞かないわけにもいかない。

「カカシ、おまたせ〜!」
 戻ってきたは買い物袋を下げていた。右手を見てカカシは不審に思った。が下げていたのは雑貨屋の袋でも洋服屋の袋でもなく、普通のビニール袋。
「じゃあ、用事も済んだし帰ろうか」
「もう帰るの?」
「うん。それでね、今日は私の家に行ってもいい?」
「りょーかい」
 せっかく商店街に来たというのに、は甘味処に行くわけでもなかった。こっちのほうが早道だからとめったに通らない裏道を歩いていく。手を差し伸べてみると、「どうしたの?」という視線がカカシに向けられた。
「今日は特別な日だから」
 空いた方の手をにぎると、は誰が見ても分かるような嬉しそうな顔をした。
 一週間前まではまだ明るかったはずなのに、家に着く頃にはすっかり日は沈み始めていた。


 家に入ると、はキッチンに直行した。何をする気なのかとキッチンの様子を窺うと、エプロンをつけたに「カカシは座って待っててね」と追い出されてしまう。どうやら夕食を作る気のようだ。
「ほんとに手伝わなくていいの?」
「うん。カカシは座ってゆっくりお茶でも飲んでて」
 だが、落ち着つはずがない。
 気付かれないようにこっそりとキッチンを覗き込むと、とんとんと食材を切る音とともに、の鼻歌が聞こえてくる。すぐに戻るつもりで居たのに、ひとつひとつの動作を目で追いながら見続けてしまう。そこにはふんわりとした特別な空気が流れているようだった。




「やっぱり旬物は特別おいしいね」
「確かにね」 
 ナスの味噌汁にサンマ。夕食はカカシの好物だった。
 サンマは旬なだけあって程よい脂とふっくらとした身をしている。焼き加減も塩加減もちょうどいい。
「でも、なんで今日このメニューにしたの?」
「カカシの好きな物を一緒に食べたかったの」
 今日は特別な日だから、とは笑みを浮かべた。


 —— 今日はの喜ぶことをしようと決めていたんだけど……

 も同じく慌ただしく殺伐とした日常を送っているに違いない。
 それなのに、こうしていると自分たちが忍であるということを忘れてしまいそうだ。少なくとも、この一瞬だけはそう思わせてくれた。



「あれ、こんな時間に誰かな?」
 チャイムを聞いたは慌てて玄関へ向かった。するとすぐに戻ってきて、心底不思議そうに「カカシが、カカシに渡しといてって?」と巻物を差し出してきた。
「ああ、ありがとうね……」
 それを受け取ったカカシが印を結ぶと、は驚いた顔をした。

「今日はの誕生日だからね」
 前もって準備しておいた誕生日プレゼントだ。渡しそびれるなんてことはあってはならないのだ。それを受け取ったは「これは幻術?」と呟いた。
「幻術はさっき解いたでしょ」
「あ、そっか……そうだったね」

 はずいぶん長いことそれを眺めていた。しばらくしてやっと実感が湧いたのか、頬を緩ませた。

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