13

 の聴取が終わったと知らせを受けたのは、すっかり日が昇った正午過ぎのことだった。

—— 一応、これも見舞いになるのか? 
 そう思ったところですでに病室の前。カカシはとりあえず話を聞くだけだからと、その扉を開けた。

「気分はどう?」
 その問いかけに、大丈夫です、と答える彼女はどこか不安げな表情をしていた。まさかと思いながらも聞いておかなければならない。
「自分がどうしていたとか、覚えてる?」
「いえ……。研究成果を実践してみようとした事は覚えています……」
「そう。なら、いいんだけど……」
「すみませんでした」
 という名のくノ一は、うなだれ、口を噤んだ。
 天文部がまさかあんな実験をしていたとは、あのことがなければ気づかなかっただろう。『術式一つで異世界に行ける』なんて現実離れした事を誰が考えるのかと思う。しかし、こうして現にそれを実行してしまった女が居るわけで、それで何がわかったのかといえば、とんでもない場所を見てしまった事だった。だが、彼女はあの世界の出来事を何一つ覚えていなかった。それによって、一番最悪なことが自分の身に降り掛かってくるわけである。あの世界のことを証言できる唯一の人間が自分になるとは……。
「研究もほどほどにね」
 カカシはあの世界がどうだったか、誰にも言うつもりはなかった。きれいさっぱり忘れたという事にしておけば、全て丸く収まる。カカシはそう考えていた。その反面、を覚えている理由を確かめる術を無くしたことになる……。

「あの、カカシ上忍……」
「なに? オレ、ちょっと忙しいのよ。午後から任務が入ってるもんでね」
「そうですか、すみません。ただ、一つ聞きたい事が……」
「だから、どうしたの」
 言い方がまずかったのか、怒られると思ったのか、はしどろもどろに口にした。
「あの、私の近くで、同じ年頃の女の子……見かけてませんよね?」
「え?」
「誰にも言っていないんですけど、もしかしたら、あの子も巻き込んだんじゃないかって」
「巻き込む……何を、」
 そこまで口にして、カカシは息を呑んだ。まさか、そう思いながらも次の言葉を考えた。
「ごめんなさい。私、……」
 とんでもないことをしたとわっと泣き出した彼女にかける言葉は見つからなかった。こんなに焦ったのはいつぶりだろうか。嘘だったと言ってほしいとさえ思った。だが、彼女の言う事が、本当であるならば、すべて辻褄が合うのだ。
 
「まったく、何してくれちゃってんの……」
 カカシの呟きを自分へのものだと受け取ったのか、彼女はごめんなさいと大粒の涙を流した。
 


 の話は衝撃的ではあったが、またあの世界に行って連れ帰る。それだけのことじゃないか、とカカシは自分に言い聞かせた。この事実を火影に報告して、どうするかはそれからだと。

—— というわけでして」
 カカシの報告を受けた火影は大きなため息をついた。
「全く、手間ばかりかけさせおって。早急に連れ戻すしかなかろう」
 イライラを隠しきれていない火影に、天文部の男は大汗をかいた。顔は真っ青だ。その事に気がついたカカシは嫌な予感しかしなかった。これからこの男が告げようとしている言葉を冷静に聞いていられるだろうか、そう思わずにはいられなかった。
「それが、火影様……」
「あ?」
「あ、あの術は、もう使用できないと思われます、たぶん」
 体に似合わず小さな声だった。バラ柄のハンカチで何度も額の汗を拭いながらつぶやくようにそう言った。怒りに身を任せるかのごとく、バシッと机を叩く音が火影室に響いた。それは、と口を開いた火影の声はかき消された。

「どういう事?」 

 大柄の男は肩を震わせ、両脇を締め、縮こまるようにぐっと両手を握りしめた。この大きな体をもっと目立たなくする方法を考えているのか、足を揃え、不自然なほどに背筋を伸ばし、下唇を噛み締めていた。萎縮したのか、口をもごもごと意味もなく動かす様子をみていると、苛立ちを通り越してため息が漏れた。
「怒らないから、話してみてくれる?」
 ここに全ての者がすでに矛盾していると思ったことだろう。これ以上黙り込んでいると、息の根を止められる、そう思ったのかはわからないが、男は「あの、その、」と喉から懸命に声を絞りだした。
 そして、カカシの方にチラチラと視線を向け、男はぽつりと言った。
 彼女は一般人だから、と。

「チャクラが少ないと使えないんです。あと可能性があるのは、一年後でしょうか……」

 男の汗はとめどなく吹き出していた。もはやハンカチで拭う意味があるのかという程だった。
 ならば、一年後連れて帰るしかないか、と火影は仕方ないと書類に視線を戻した。

 


 彼女はこっちの事を何一つ覚えていなかったと記憶している。
 それにこちらの人間だったとしても、彼女は自分のような存在と出会った事、という友達がいた事も、そのうち完全に忘れてしまうのではないかと思った。チャクラが少ない分、中途半端に記憶が残るなんて事もなく、やがて……。あの世界で出会った人と、今までどおり何の違和感もなく過ごせるはずだ。

 思い出すのは、笑みを浮かべたの姿だった。

 キッチンで料理を作っているとき、いい匂いだとカウンターからこちらを見て、楽しそうにしている。
 なんでもないものなのに「プロみたい」と言って美味しそうにそれを食べる。今日はどんな事があったとか一日の出来事を話す。
 テレビではバラエティー番組がながれ、時折それに反応してくすくす笑う。
 今日は人を傷つけずにすんだとか、誰かが負傷して帰ったとか、どこそこで争い事が起きている—— そんな心配は必要がない、夢のようなひと時。


 そんな世界にいる彼女を、今更この世界に連れ戻すべきなのか……。
 こんな、不安定な世の中に。


 連れ戻すのが真っ当な判断だと理解している。自分のすべきことは一つだと。
 それでも、カカシは密かに疑問を抱いていた。

 一年後のその時、あの世界はどれほど時が進んでいるのだろうか。
 彼女の幸せは、ここにあるのだろうか—— と。