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「そんなの、……信じるわけないでしょ?」

 例え忽然と姿をくらました男が再び現れても、という親友が突然いなくなって、その存在が忘れられていたとしても。
 自分がこの世界の人間ではないとか、そんな馬鹿げた話を……。

「まともな感覚なら、そう言うのが普通か。オレが今から話すことを聞いて、それでどうするか自分で決めたらいい」

 カカシが何を考えているのか、全く想像できなかった。見覚えのある瞳に直視され、は密かに息を呑んだ。

「……まずは、君の住んでいるところから話そうか」




 カカシは事細かに『あちらの世界の』について話しだした。
 その話によれば、カカシと同じ国に住んでいて、小さいながらも店をしているらしい。親は何処にいるかはわからなかったようで、「ごめん」とカカシは謝った。全く謝る必要なんてないというのに。そして、あちらの世界でのはカカシのような忍ではなく、どこにでもいるごく普通の女だった。実はスーパー忍者でしたというのなら、ファンタジーのような話だと期待に胸を踊らせたかもしれない。だが、話を聞いているかぎりでは、ここに居るのと大して変わらない生活をしているようだった。
 そして、ここと大きく変わるのは、その世界はここよりも治安が悪く、不便で、戦争というのも他人事ではないのだという。今のような物に溢れた世界ではない、それがどんな世界か、ただ想像するしかなかった。カカシの話を聞いても、まったくぴんとこないのだ。

「その話……」
「ん?」
は、何も言わなかったの?」
 疑問だった。いきなりこんな話を聞かされて、彼女は抵抗しなかったのだろうか。
「あー……、最初は同じような反応だったけど、彼女は色々あって若干記憶が残ってたみたいでね。そのへんはスムーズだったかな。あのこは忍だから」
 次々と次元が違う話をされ、はため息をついた。ちょっと変わったところがあると思っていた女の子が、異世界で忍者だった。だからあんなに変なことを。やたら宇宙に興味を持ったり、オカルト話をしてみたり、カカシと会ってみたいだなんて言ったりして。そう考えるとすべてがすんなりと飲み込めそうな気がするのに、はそれに抗うように、心の中で否定した。この男が言っていることなど信用できるものか。どこにそんな証拠が……と思ったが、それを言葉にできずにいた。チェストにしまいこんでいたあの紙切れの存在を思い出した。見なかったことにしようとこっそりチェストにしまいこんで返しそびれた物を。

「どうする?」

 何も言わずに姿を消して、突然現れて………。
 ここに残るかどうか決めろだなんて、どうしてそんな簡単に言えるのだろう。
 もし、残ると言ったら、これから先、一生会えないかもしれないのに。
 会おうと思えばいつでも会えるから、なんて軽い口約束すらできないのに。
「どうするって、言われても……」
「これはの人生だから。オレがとやかく言う筋合いはどこにもない」
 胸がチクリと傷んだ。それと同時に自分が哀れだと思った。
 それは、この男に初めて会った時からなのか、あのプラネタリウムを見たときからなのか。
 それとも、この男と出会った日が、ストロベリームーンだったからなのか。
 心の何処かで、何か特別なことがあるのではないかと思い描いていた。こんな平凡な毎日を終わりにする何かがあるのではないかと。



「私には、あっちの世界だとかこっちの世界だとかよくわからない……」

 もしもの世界。ここよりも素敵な世界に思いを馳せるというのは一度くらいあることだろう。
 どうせなら、もっと夢がある話を聞きたかった。定番どころで言うならば、どこそこのご令嬢だったとか、何かの運命を背負っているだとか。運命の人が待っている、とか……。それに、こんな時は『会いたかった』と言って、ドラマチックな再会をするものではないのだろうか。
 だが、どうだ。
 すべてが理想とかけ離れている。


「だけど、私がついて行ったら……、そっちの世界は丸く収まるの?」
 
 カカシは驚いた顔をしてこちらを見つめた。
「オレの話、ちゃんと聞いてた? ここみたいに平和じゃない。好奇心で行くような所じゃない」
「……好奇心とか、そんなんじゃない。私はここの世界の人間じゃないんなら、戻るのが正解なんだと思う……」
 もしかすると、わざわざここに戻って来たのは、上の人に何か言われたのかもしれない。とは言っても、忍者の上司なんて全く想像もつかないことだ。もしここで断って、はたけカカシがどうなるのかも分かるはずがなかった。こっちにいようがあっちにいようが、似たような人生。それならせめて、少しでも同じ時間を体感できるのなら、あっちの世界で一人ぼっちの方が、まだマシなんじゃないか—— はそう思った。
 何より、自分と関わったせいで、この男が不利益を被るのはごめんだった。

「それ、本気で言ってる?」

 黒い瞳が真意を確かめようとこちらをじっと見つめていた。真剣な眼差しを見ていると分かる。カカシが言っている話は嘘じゃなくて、本当の話なのだと。だまってこくりと頷くと、カカシは小さくため息をついた。

「……私と関わっていた人たちは、どうなるの?」
 自分のように覚えているのだろうか、居なくなったと大騒ぎするのか。あんなに世話をして面倒を見たのにと恨まれるだろうか。それとも、少しは悲しく思ったりするのだろうか……。
「今なら、残るって言ってもまだ間に合うけど?」
「そうじゃなくて、ただ、覚えてるのかと思って、私みたいに……」
「それは心配ない。って子のこと、みんな忘れてたでしょ」
 ならば、誰かが捜し回ったり混乱したりすることはないのだろうとは安心した。その一方で、少しだけ寂しかった。何もない日常で感じた何気ない幸福感が急に恋しくなる。本当の世界に住む自分が何を思いどんな生活をしているのかと考えると、本当は怖気づきそうだった。すると、カカシが徐に呟いた。
「ちょっと、手を出してみて」
「え?……」
「ああ、できれば利き手かな」
 言われるがままには利き手を差し出した。すると、突如、その手に指が絡んだ。カカシの手だ。とっさにその手を解こうと動かしてみるが、殆ど意味をなさなかった。
「な、なに?」
「いいから」
 はわけも分からずその手を見つめていると、ほんのり暖かくなった。やがてそれは手のひらを通り越し、じわりと体内に染み入ってきた。そして、そこから流れ込むのは緑の生い茂る森の澄んだ空気、小さな古民家だった。なぜか—— それは懐かしく、見覚えのある景色だった。
 そして、何よりこのあたたかさ……。
 言葉にするのは難しかった。ただ手のひらを見つめることしかできずにいると、「そりゃいくら探しても見つからないよね」という呟きを耳にした。


 カカシが正方形の御札のような物をとりだすと、手のひらでくしゃくしゃになって燃えつきた。何だったのかと問いただすと、カカシは秘密だと言って話そうとはしなかった。そして、突然中に体が浮いたものだから驚いた。降ろしてほしいと言ってもカカシは全く聞く耳を持たなかった。こうしていないと帰れないのだと言う。

「こんな時、君を迎えに来たよ、なーんて言えば、少しは格好がつくのかねぇ……」
 がカカシの顔を見上げると、ただの独り言だと言ってカカシは視線を空へ向けた。
「さてと……、これでやっと任務完了できる」



 カカシが準備をしている間、は住んでいたマンションを見つめた。あの時、カカシと会わなければ、あのまま歳を取り、最後を迎える日まで何も知らないまま……そう思うと、不思議だった。「我慢してそのまま捉まっててよ」と言われたその瞬間、ぎゅっと何かに吸い込まれたかのような感覚が襲った。脳内を誰かに揺さぶられているようだった。胃袋がひっくり返りそうだった。感じたことのない恐怖には無意識にカカシの胸に顔を埋めた。天と地もわからない真っ暗な世界。
 それが、『』として、あの世界で生きていた、幻のような世界の最後の記憶である。







 眩しい。
 雀の鳴き声が聞こえてくる。目を開けると、見慣れない景色が飛び込んできた。

「あら、気が付きました?」
「……ここは?」
「病院ですよ」
「病院……、どうして?」
「山の中で倒れてたんですよ」
 朗らかに笑みを見せる看護師にはそうですかと呟いた。

 はわからなかった。
 予約していた材料を取りに行った帰りにと会った。何か実験をするというものだから、その様子を見ていたはずだった。それがどんなものかは知らなかった。

「ああ、やーっと起きたね」

 銀髪の男がこちらを覗き込んだ。額当てで片目を隠し、緑色のベストを着ている男。
 それが、木ノ葉の里の忍者だとひと目で気がついた。
 しかし、
「あの……、カカシさんがどうしてここに?」
 不思議そうに見つめると、その様子を見ていた看護師がこの人がここまで連れてきたのだと言った。すぐに礼を言うと、その必要はないという。そして、「実はオレ、前に色々世話になってね」と、微笑んだ。
 むしろ、世話になったのは自分の方ではないのだろうかとは思った。助けてもらって、こんな立派な病院に連れてきてもらったのだから。
 山で倒れた時に頭をぶつけたのだろうか。実験を見守って、それからどうしたのか……。困った事に考えるほど頭の中は靄がかかり思考力を鈍らせた。何か思い出せるのではないかとはカカシの顔を覗き込んだ。
「どうかした?」
「あ……すみません。助けていただいたのに思い出せなくて……」
「ああ、そんなこと気にしなくて大丈夫だから。それより、お店のこと、しばらく手伝うことになってるからよろしくね」
「え?」
「色々こっちの事で迷惑かけたからさ」
 これは火影の指示でもあるから遠慮なんかしても無駄だとカカシは言った。そう言われると、断る事もできず、その言葉に甘えざるを得なかった。
 また来るからと病室を出ていった後ろ姿をは無意識に見つめた。
 なぜだかわからない。
 『ああ、やーっと起きたね』という言葉を耳にしたことがあるような気がしたのだ。