決戦の前は愛に溺れる

 カーテンの僅かな隙間を縫うように、一筋の線となった光が差し込んでいた。
 きっと、今宵は満月かと見紛う程の美しい月が夜空に鎮座しているのだろう。

 顔を埋める枕からは自分好みの洗剤の香りが微かに鼻孔をくすぐる。
 この場所で眠るのはもう最後かもしれない——
 そう思ったのは今日で何度目か。
 こんな仕事をしていれば、誰にだってそんな瞬間は訪れるものだ。
 この日の里の夜は妙に静かだった。爽やかな山風も吹かない、静寂を保ったその夜はこれから起る出来事をより引き立てるためにあるかのようだった。電気も点けず薄暗い部屋のベッドに寝転んでいると、わずかばかりに隣人の物音が聞こえる。他人の物音で生活感を感じ、つかの間の安堵を覚え、時には自分の存在を確認する自分が居たりした。

 ベットに潜り込んですでに一時間は経とうとしている。多忙を極めた体を癒やすための束の間の休息だというのに、私はなかなか寝付けないでいた。後数時間後には召集がかかると分かっているのに、妙に頭が冴えているのは、不安や恐怖よりもある種の興奮が体に巡っているからかもしれない。


 しばらくの間枕に埋めた顔を、無意識に窓際に向けた。どれくらいそうしていたかはわからない。かすかにその線が歪んだのを知りながら、私は瞼を伏せたまま、規則正しい息をした。すると、一つの影が布団の擦れる音を最小限に保ったまま、ベッドの脇に入り込んだ。
 そして、滑るように手のひらが自分の胸元に滑り込んだがと思うと、撫でるように何度も往復回した。狸寝入りをする私を試すかのように、その手付きは大胆になっていく。そして、ある一点を攻めたてられ、思わず声が漏れそうになった私は僅かに体を震わせた。
「ねえ、不法侵入って、知ってる?」
 背を向けたまま呟くと、耳元でとぼけるような声がした。
「あれ、開けてくれてたんじゃなかったの?」
「そんなわけないじゃん、だいたい……来るなら、玄関から……」
「ちょっと様子を見に来ただけ」
 そう言いながら、相変わらずカカシの手は私の胸を何度も行ったり来たりしていた。「様子を見る」なんて随分都合がいい言葉だと思う。
「ちょっと……明日、は」
 わかってるでしょう?—— そう言いたいのに、私の言葉は吐息とともに飲み込まれていく。
「ああ、わかってるよ。あれだけ忙しくしてれば嫌でもね」
 いつもなら、不機嫌に静止を促すのに、なぜだか今日は言えなかった。そんな私にカカシが気づかないはずがない。
「今日は随分素直じゃないの」
 私は手狭になったその場所で器用に寝返ると、カカシの顔を見つめた。
「いつもは、素直じゃないっていうの?」
「そりゃあね。これでも苦労してるんだから」
 というカカシは、あれはあれでいいけど、と呟いて、脇腹をなでた。ぞくっとしてカカシの胸元に顔をうずめると、いい匂いが思考を鈍らせた。お気に入りの枕の香りなんてどうでもいいくらい、いい匂いがする。できればずっと底に顔をお詰めて置きたいくらいに。だが、相変わらず動き回るカカシの手に根負けした私は、一つ、二つ、吐息が抜けていく。カカシの胸元から顔を上げると見覚えがある視線が私を捉えた。カカシの目が私を捉えて離さなかったのか、私が見ていたのか、わからない。
 もしかすると、カカシの瞳の奥に隠された何かに感化されたのかもしれない。

「そんな目で見られたら、困るんだけど」
 カカシのその言葉と共に、私の視界はカカシによって遮られた。
「ん…っ……ふっ……」
 何度も触れる唇から漏れる息が、徐々に私を侵食していく。頑なにつぐんでいた口にカカシの舌が僅かな隙を見つけて入り込んでくる。絡みつくようなそれに私は逃げるように顔を振るが、どうしようもなかった。不意に上顎をなぞられた私は声を抑えることができず、喉の奥で声を上げた。
「んっ!……ん、」
 ぼんやりとした意識の元、快感の中での息苦しさを必死にカカシにそれを訴える。両手で押してもびくともしない胸板を、必死になって向こうへ押しやった。それでも口を離そうとしないカカシに何度も胸板を叩くとやっとのことで目の前が開けた。どちらともつかない唾液の糸を拭うようにカカシが口角を一舐めした。濃艶なその様に、私はなんとも言えない感覚に襲われる。
「カカシのエッチ……」
 呟いた一言をしっかりと聞いたはずなのに、否定する様子は微塵もない。
だって人の事言えないと思うけどね」
 唇を拭うために近づけたと思った指は、頭上へ向かい、もう片方の手は私の服を開けさせながら私の背中をベッドへ押し付けた。そして、カカシの目がもう一度私を捕えた所で私は完全に降参する。再びキスをしていると、明日が何の日だなんて、もう考える余裕なんかなかった。明日死んだって構わない、そんな気さえしてくる。カカシの背中に腕を回して、首元に顔を埋めて鼻で息を吸うと、それはまるで麻薬のようだった。
「ちょっと、何してるの」
 そんな私の奇妙な行動に、カカシは少し笑いながらくすぐったいと耳元で囁いた。
「いい匂いがするの……とんでもなくいい匂い」
 同じように耳元で囁いてみせると、私の胸を撫で回していた手がはたと止まった。
「そんな事、他の男にも言ってないよね」
 と、珍しくカカシは焦ったように聞いてきた。
「言わないよ、だって……カカシだけだから」
 言うわけがない。言うはずがない。こんなにいい匂いがするのはこの人だけなのだから。私はそう思いながら、再度カカシの首元に顔を埋めたい衝動にかられた。だが、それはカカシによって阻止されてしまう。さっきの私と同様に、首元に顔を埋めたカカシが私の耳元で囁いた。
「それを言うなら……もさ、とんでもなくいい匂いがするって知ってた?」
 そんなの知るはずがない。それに、色っぽい声で囁くのは反則だ。今の私の心臓は、この男に鷲掴みにされているようなものだった。
 ちょっと待って—— なんて言う間もなく、カカシの手はするすると下降していく。足の膝裏から付け根まで撫で回される。もどかしさに身をよじ り、思わずカカシの方を見つめた私は僅かに息を呑んだ。それは、淫欲に呑まれた瞬間だった。


 気がつけば私はきちんと服を着ていて、ベットの真ん中を陣取っていた。ふと窓を見ると、カーテンの隙間は埋まっていて、窓には鍵がかけられている。僅かに漏れていた月明かりは消えていた。徐ろにカーテンを開けると山の影から僅かに太陽の気配を感じられ、今日という日がきたのかと実感する。
 結局、死んでもいいなんていうのは真っ赤な嘘。我武者羅に戦い続けるに決まってる。私たちはそういう生き物だ。

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