「蝋人形みてーじゃねーか」
 これは実の父が吐いた言葉である。朝の食卓で先日配られたばかりの広報誌を眺めてそう言ったのだ。もちろん、蝋人形の展示会のお知らせではない。『みたいだ』つまり、何かを比喩している。いつもの私なら“実の娘をそのように表現するのはいかがだろう”と反論するのだが、今はそれもできずにいる。
「ちょっと、お父さん!」
「おっと、すまねぇ……」
 本来なら今日は(昨日から)我が家の記念すべき日となったはずだ。なにしろ里が誇る六代目火影と奈良家の一人娘が同じ紙面を飾ったのだから。私自身、それを家宝にすると決めていたし、一生の宝ものだと思っていた。だが、こうして刷り上がった広報の一面を見ているとどうだろう。いつもと同じく朗らかな笑顔の六代目様に比べ、隣に立っている人物は明らかな作り笑いを浮かべている。視線は不自然に外を眺め、生気が感じられない。まさに『蝋人形』のように見えてもおかしくない。実際に自分でもそう思う。だから反論できないのだ。


□ □ □



 紅葉の彩る秋の空。スポーツ、食欲、読書が捗る季節が到来した。
 そんな秋真っ盛りなこの季節。
 まさか、火影室の窓から見える情緒ある景色も全く目に入らない日が来ようとは。

「だから、オレはこの中から1冊見送りなさいって言ってんのよ。そしたら予算内に収まるでしょーが」
「それでは浮いた125両が勿体ないです。なので私がその3両をですね、」
「何度も言うけど、ポケットマネーはダーメ」

 粘ってみたが六代目様はハンコを押す気配はまるでない。却下と言わせてなるものかと熱弁したもののまるで歯が立たない。
 まさか、六代目様と言い争う日がこようとは。


 如何に効率よくリクエストと新作を図書館の棚に並べることができるか。コレが私にとって結構重要なことで、毎回頭を悩ませている。いつもなら早々に諦めがつくのだが、今回『3両の壁』にぶち当たったばかりに非常に良くない空気を火影室で醸し出すことになってしまった。
 入荷予定リストを作ったとき、私はかつてないほどに電卓を叩いた。ああでもないこれでもない、これでどうだと打ち出した数字は3両オーバーしていたのだ。たった3両だ。予算を最大限に活かしたい私は直談判に向かったのだが、六代目様は承諾してくださらなかった。六代目様の責任に比べればミジンコのようなものだが、私にも図書司書としての意地があった。

「ですが六代目様、あと3両で1冊多く棚に並ぶんですよ?」
「そりゃそうだけど、単純に次に回したらいいんじゃない?この前もそうしてなかった?」
「そうですけど……」

 コレは重要なことなのだ。毎回最低1冊の本を見送るとすると年間12冊。その間にもリクエストは増え続ける。2年、3年と続いた頃にはリクエストを書いたことすら忘れられているかもしれない。それでは図書館を利用する人たちは益々減る一方。ならば奥の手である。非常に姑息な手段だと思う。しかし、すでに私は引くに引けなくなっていた。
「ご、五代目様は判を押してくださいました!」
 五代目様はポポンと押してくださった。ただし、ご機嫌な時に限る話だが。
「五代目はね。というか、それって流れ作業で押しただけでしょ」
 六代目はそうはいかない。だって六代目はオレだから。
 そんな風に聞こえた私は一瞬怯んだ。六代目様に粘り勝ちしようと考えたのが間違いだったのかもしれない。仕方ない、こうなったら別の手段で手を打つだけだ。

「……わかりました。」
「言っとくけど自分で買うのも禁止。」
「……どうして分かったんですか?」
「前科があるからね」
「……なぜご存知なんですか?」
「そりゃあ、火影だし。一応ね」

 さすが火影様と思ったが、実のところは本屋の店主が領収書を誤って『木ノ葉図書館』で切ってしまったのが原因だった。代金は私が支払い本も持ち帰ったので、後払いのツケ伝票は宙に浮いたまま。架空計上になった原因を六代目様が見逃すはずがなかった。いや、架空計上を見つけたのはシカマルかもしれないし、違うかもしれない。そもそも木ノ葉の里の金庫番なんて私が知る域ではない。とにかく、見直せと言われても他の本に変えた所で60両余ってしまう。「んな面倒くせー事考えてないででさっさと諦めろ」きっとシカマルならそう言うだろう。だが、私はシカマルのようにあっさりと終わる女ではなかった。125両の本を探すという手もあるが、そういうことではないのだ。

「ま、そんなに言うんならどうにかしてやれない事もないけど。絵本とか学術本なら入れた方がいいだろうし……それってどんな本?」
「えっ、ど、どんな本……?」

 もしも私が『男が恋に落ちる瞬間-30の秘密-DX』を入れたいと言ったら、六代目様は何とおっしゃるだろうか。奇しくも私は前期も同じ著書の本で完敗していた。きっと六代目様は前回より5項目増えた秘密について言及なさることだろう。5項目増えたところで何か意味があるのかと。違いはなんなんだと。DX版でどこが変わるのかと。結局25項では男は恋に落ちなかったのか、と。
 これは私にとってリベンジの日でもあったのだ。それでこの話に至ったわけだが、

「もしかしてその本、前回と同じヤツじゃないの?」

 六代目火影にバレないと思ってんの?
 そのように意訳してしまう私はある意味病気かもしれない。どんな病気かと言われても答えようはないが、全て見通されている気がしてならなかった。
「お、同じではないですよ、全然違いますよ」
 なおも疑わしいと言いたげな六代目様に、私は続けた。
「さ、さすがに私も同じようなことはしないと思います……」
「あ、そう。違うのね?」
「はい、違います」
「じゃあ、ポケットに隠したものをここに置いてくれる?」
「はい?」
 こっそりと隠した紙をなぜご存知なのだろうか。この紙を見せてしまえば私は完全に敗北してしまう。というのもこれは、本屋の注文書なのだ。そう簡単にあきらめるわけにはいかない。私は素知らぬ顔をして左ポケットを探った。偶然にもこちらには別紙を入れていた。中身は、
「こ、これでいいですか?」
 商店街の福引き券だ。仕事中のエプロンに入れておくものではない。そう言われても図書館の常連マダムからいただいたのだからしょうがない。これは金銭には当たらないと私は思う。いわゆる【汚職・収賄】には当たらないと思うのだ。私が残念賞を引けばこれはただの紙切れだ。仮に一等の『世界一周旅行の旅(ペアチケット)』、もしくは二等の『木ノ葉商店街お買い物券』に当たらなければ、大した事にはならないと思う。三等の『木ノ葉もぎたてフルーツセット』はギリギリセーフだろうか。と、このように微妙な線引きをしていた私は油断していた。
「あー違う、そっちじゃなくて右のポケットね」
 六代目様は甘くはなかった。むしろ、いつにも増して厳しい気がする。
「こ、これはレシートです」
 そんな往生際の悪い私を見かねたのだろう、
「こんなこともあろうかと預かっておいてよかったよ……」
 秘密兵器を出すように、六代目様は机の下から何かを取り出した。
  小豆色の長方形。厚みは10センチはあるだろうか。残念なことに、私はそれに見覚えがあった。
「それは……」
 残念なことに、本屋の台帳である。
「だからソレ、さっさと出すこと。」
 トントンと、机を指す六代目様。
「……わかりました」
 私は降参とばかりに差し出す他なかった。バレてしまったものは仕方がない。
 それを受け取り深い溜め息をついた六代目様は私に言った。
「いつも言ってるけどさ、は本当に気をつけないとダメだからね?」
「はい」
「饅頭の箱が台帳なわけないでしょ」
「はい……え、お饅頭?」
「そ、饅頭ね」
 六代目様が掲げたものをよく見ると、布地に箔押しで『甘栗甘<<特選>>饅頭』と書かれている。もし、私が忍として働いていたら、大変なことをしでかしただろう。いとも簡単に手放してしまった注文書はもう取り戻すことはできないのだ。
「図書館のみんなで食べるといいよ」
「えっ、あ……ありがとうございます」
 戦々恐々。私にぴったりの言葉だ。物々交換のように六代目様はそれを手渡した。
 案の定、注文書を眺める六代目様は納得がいかないご様子だ。ひとしきり注文書を眺めて、机の上にそれを置いた。
「……ま、いいんじゃない。がそこまで言うんなら」
「え?」
 ずるりとエプロンの肩紐が落ちる。あんなに粘っていたのに承諾を得た途端、喜びよりも困惑が押し寄せる。どういったお心持ちでいらっしゃるのか、私の脳内では様々な推測が飛び交う。
 すると火影室の扉がノックされ、

「失礼します……ってやっぱお前か。ちょうどいいや」

 と、シカマルが写真館のおじさんを引き連れてやってきた。
「カカシさん、広報のアレ撮影していいですか?」
「ああ、オレは構わないけど……」
 六代目様はちらりと私の方へ視線を向ける。アレとは、アレしかない。
「え、今から?」
 お気に入りのリップは家に置いてきた。昨晩は睡魔に勝てずお風呂も烏の行水のようだった。奮発したパックはまだビニールを被ったまま、未開封である。コンディションはズタボロだ。
「なんで?!」
「予定が変わって今日撮らないと間に合わねーんだ」

 意地を通せば窮屈だ、というのはこの状態だと私は思った。
 こんな状態でにこやかに普段どおりの笑みを浮かべるのは至難の業である。レンズを覗き込むカメラマンは困惑する。緊張しているんだと肩を揉まれて深呼吸をしてみても、私の顔はますますおかしくなっていくばかりだった。
ちゃん、もうフィルムがないよ!これで最後だからね!」
 撮影前、記念だから可愛く撮ってあげるよ!とハードルを上げたカメラマンは心底後悔しただろう。いくら腕が良くとも言うべき言葉ではなかったのだ。
「……フィルム、取ってきます?」
 カメラマンはシカマルに問いかける。だが、
「いえ、結構です。てか、撮りすぎっすよ」
 フィルムも時間も勿体ねーと言うシカマルの意見で突然の撮影会は終了を迎えた。

 せっかく木ノ葉図書館の代表として『読書の秋を楽しもう!』というテーマで広報誌の表紙を飾ることが決まったのに。六代目様とツーショットが決まったというのに。いとこのシカマルはまったく関心がない。関心があるのは六代目火影の予定を滞りなく進めることだけだ。「どれがいいって……どれも大して変わんねーよ」と、本日の予定を一つ消化できたことを満足気にしていた。当然、私は写真の出来など気にしている場合ではなく、しっかりとお饅頭を抱えて逃げるように火影室を後にした。


□ □ □



 だからバチが当たったのだ。
 意地といっても私の場合は片意地であり、火影に楯突くなどあってはならなかったのだ。

 広報が発行されたその日、図書館の同僚はとくに言う事もないのか、いつもの一掲示物として必要事項を黙々と掲示板に貼り付けた。閲覧用にいつもより二部多く追加されたが、誰も見向きもしない。各家庭に配られた物をわざわざ図書館で見ようと思う人はいないのだろう。「ちゃんは実物の方が魅力的だと思うのよ」と、図書館の常連マダムに精一杯のフォローをいただくも、私の気分はどん底から上昇する気配は微塵もなかった。ちなみにお饅頭はあっというまに無くなって、空箱は雑紙入れになっている。
「そうそう、ちゃん! アレどうなった?」
「アレですか、アレは……まだだと思います」
「明日までよ、アレ。忘れないでね」
 アレ、アレと言われるのは慣れている。その日はアレについて考えている間に夕刻に差し掛かっていた。常連マダムに明日までと言われても、
「あ、これか」
 徐にポケットを探ると福引券が出てきた。罰当たりな私が引いたところで……と思いはしたが、飴かティッシュくらいは貰えるかもしれない。


 と、期待もせず福引きをするために商店街へ向かった私だが、なぜかガランガランと鐘が鳴った。
「よかったわね、大当たりよ!」
 これは大当たりだろうか。確かに景品はあるが、商店街に響き渡るほど盛大に鳴らすことではないと思う。なぜなら、
「……これ、四等ですよ?」
 私はトレーに転がった青色の玉を指さした。
「ええ、四等よ。お嬢さんはみんな四等を引きたがるの」
「え、そうなんだ」
 それを聞いて私はちょっと嬉しくなった。もしかしたら四等はエステ券や美顔器。もしくは高級料理店の食事券。景品はと、表を確認するために顔をあげた私は絶句した。
「確かに六代目様は素敵だものね~、でも私は四代目様贔屓なのよ。さ、空いてる日を丸してね」
 とりあえず休日の全てに丸をつけたのは覚えている。





「オレも初めは反対したんだけどね〜」

 うんうんと頷く私に六代目様は色々と話してくださった。私もこの景品はおかしいと思う。商店街の福引きの四等が『六代目火影とツーショット撮影会』だなんておかしいと思う。商品の順番も内容も。あの後、冷静になって考えたが、そんなことはありえないと思った。今まで木ノ葉商店街でそんな試みがあっただろうか。なかったはずだ。腕相撲大会の賞品で六代目様のサインが貰えるということはあったが、それ以外は聞いたことがない。何しろ六代目様はご多忙の御身でいらっしゃる。だから私はパネル撮影だと思っていた。なのに、通知通り写真館へ出向くとそこにはパネルはなく、分身でも影分身でもない生身の六代目様がいらっしゃったのだ。

「でも、よくよく考えたらそれも悪くはないと思ってね。色んな店が潤うし」

 世の中は六代目様の思惑通りである。商店街の活性化。木ノ葉商店街は潤っていた。公費ではあるが、写真屋も美容室も着付け屋も潤った。もちろん商店街そのものも潤ったのはいうまでもない。一等ではなく四等の写真撮影を狙い、何人の女子たちが財布の紐を緩くしたことだろう。3名の狭き門に滑り込むのがいかに困難か六代目様はご存知ではないらしく、「誰も来なかったらどうしようと思ってたけど。あ〜よかった」と安心したご様子で頬を緩ませている。

 サービスだからと言われるがままに髪を結い、美しい着物を着せられた私はおろおろと立ち尽くした。すると、写真館のスタッフがそっと話しかけてきた。
「ポーズはなんでもいいですよ、たしか前の方はお姫様抱っこで、」
「お姫様抱っこ?!あ、いえ……他の方は?」
「えーと、腕組みだったかな。自腹でもう一枚、六代目様のシングルをお撮りになられたよ」
「そ、そうですか……」
 パネルならどんなポーズも全く問題ないかもしれないが、いきなりどうですか?と言われても困るもので、私は傍にあった椅子に視線を向けた。
「じゃあ、あの椅子に座ります。普通でいいです」
 気の利いたポーズなんて考えている余裕はなかった。私はとにかく普通に撮りたかった。蝋人形でなければそれでいい。
「では、六代目様はそちらに立たれてください」
 カメラのレンズを見つめながら、私は今一度問う。これは汚職・収賄に当たるのだろうか。
「六代目様、すみませんがもう少し寄ってもらえます?」
「ああ、はい……」
 しかし、仮にこの写真を売ったところで大した価値にはならないだろう。

「はい?」
「本当にこのポーズでいいの?」
「はい。私、普通がいいんです」
 六代目様の隣に私が写っているのといないのとは雲泥の差に違いない。
「では撮りますよ?」


 写真撮影が終わり、私は六代目様の元へ駆け寄った。
「六代目様、ありがとうございました」
「こちらこそ、どうもね」
「あの、……この前は意地を張ってすみませんでした。やっぱりあの本は来月に回します」
「そのことなんだけど、もう頼んでおいたから」
「え、そうなんですか?」
「意地張ったのはオレも同じだしね。広報誌の件も急かせて悪かったね。急に雷の国に行くことになったもんだから」
「雲隠れの里ですか? ずいぶん遠いですね」
「まあね。でも陸続きだから4日もあれば着くよ。でもまさか、が当てるとは。で、はサインいる?」
「サイン?」
「それが、前の二人はサインが欲しいらしいのよ」
「えーと……いえ、私はサインは大丈夫です」
 本当はサインも欲しかった。でも私は遠慮することにした。できるだけ六代目様の手を煩わせたくなかったのもあるが、ほんの少し欲が出た。ツーショットの写真なんてもうないかもしれない。そう思うと素のままで取っておきたくなったのだ。それにしても六代目様は、忍はすごいと思う。図書館の同僚は旅行に行くと言って二週間は帰ってこなかった。行くだけでクタクタだとって言っていたのに、忍は任務もこなすのだから頭が下がる思いだ。
「じゃあ、できた写真はシカマル……やっぱり火影室まで取りに来てくれる? 何かのついででいいから」
「はい、ありがとうございます!」
 撮影はもちろん緊張したけれど、前ほどおかしなことにはなっていないと思う。カメラマンにも「今度はオッケーです!」とお墨付きをいただいた。気分上々である。


 その後、出来上がった写真はとても良く撮れていた。私はリベンジができたようで嬉しかった。これは図書館の常連さんにも良い報告ができるととても晴れやかな気持ちだった。
 だったのだが、今朝の食卓でまたしても父は浮かない顔をしている。
「今度はいい写真でしょ?」
 うんともすんとも言わない父に困惑する。私は額に入れて大切に飾るつもりでいた。なのに、父が断固として拒否するのだ。私には決して理由を言わなかったが、母曰く「勝手にショックを受けてるだけ」とのことだ。
 あの時私は特に何も思わなかった。余計なことをせず、オーソドックスな写真を望んだだけだ。おそらく六代目様も何も思っていらっしゃらないと思う。
 もしかしたら、私がありもしないことを想像するのは遺伝かもしれない。サインがあれば父のショックは和らいだのだろうか。粧し込んだ娘がお行儀よく椅子に座り、その隣に六代目様が立っている写真は……いや、さすがに「夫婦めおと写真のように見える」なんてどうかしている。

 ちなみに、お姫様抱っこの依頼主は御年107歳のレディーだった。「一生のお願いって頼まれちゃってね~。……あと、これ。この前の写真ね」とおっしゃる六代目様は少しだけ恥ずかしそうだった。六代目様をあのような顔にさせてしまうレディーは罪深きお方だと思う。

Act.10 情に棹させば流される