あー、あと数時間はこうしていられるなぁ。

 そんなことを思いながら、私がダンボールを覗き込んでいるとは誰も思わないだろう。
 予算という狭き門を見事に突破した精鋭たちが私を見つめていた。いつもの本屋さんで仕入れた新しいそれらは、後光がさしているようだった。
 新しい本の匂い。まさに至福の時である。
 そして、ふと思う。六代目様の至福の時はいつなんだろう、と——



 さてさて。
 腕まくりをした私は、新しい本を作業台に乗せて一冊ずつ丁寧に分類シールを貼っていた。

「すみません」

 どこかで聞いたような声だった。今日のカウンター当番は同僚。私の出番はなさそうだと思いながら、ラベルシールを一枚手にとった。わざわざ六代目様の声真似なんてしなくても、直ぐに行くのにと思う。そして、最後のシールを手にとって、ふとさっきの同僚の言葉を思い出した。「ー、私文房具屋に頼んでたの引き取りに行ってくる」そんな事を言ったような気がした……。

「す、すみません! おまたせしました……」
 何故、図書館のカウンターに六代目様が?
 いつもだるそうに資料を借りに来る補佐官は?
 まさか、対応が遅いと六代目様にクレームが? だとすると、その者は相当な足の持ち主である。
(あ、幻術にかかったのか。六代目様が見える幻術なんて、最高すぎる……)
 そんな私の妄想を解決したのは、目の前の来館者—— 六代目様、ご本人だった。

「ちょっと古文書を見たいんだけど……、シカマルはいつもどうやってるのかな?」
 と、六代目様は珍しく困った顔をしていた。いつもこの手のことは補佐官が手配していたからだろう。話を聴くと、彼はアカデミーの試験の会議で出ずっぱりだと言う。
「古文書ですね、少し、お待ち下さい」
 カウンター当番を変わってもらうように声をかけ、別館の鍵を取って戻ると、六代目様は図書館の常連マダムたちに囲まれていた。「六代目様……お勤めご苦労さまでございます」と言われながら、杖をついて歩くマダムに「どうも」「ああ、足元お気をつけて。ここ、段差がありますからね」と丁寧に言葉を交わしている。そんな六代目様のお姿に見惚れているのはマダムだけではない。気がつけばマダムは居なくなっていて、目の前に六代目様が立っていた。無言でこちらを見つめる六代目様に私は動揺した。

「は、はい!」
 六代目様は相変わらずこっちをじっと見ている。どうしよう、何を話そう。
 こんにちは?
 いやいや今更“こんにちは”だなんておかしい。
 なら、お元気ですか?
 これも変だろう。もしや、いつぞやの返事を……。
 そう思っていると、しびれを切らした六代目様は口を開いた。
「あのー、古文書は……」
「はい!……はい、……古文書、でしたね。こちらでございます……」
 六代目様の中では、私が告白したという事実は跡形もなく綺麗に削除されているようだ。
 冷静になった私はとぼとぼと古文書のある別館へと足を向けたのだった。


 古文書のある別館はめったに人が出入りしないこともあり、とても年季が入っていた。そして、持ってきた鍵を錠前に差し込むと、ほぼ同時に信じられない音がした。私はごく普通の図書司書であると思うのだ。決して本を毎日抱えているから腕力と握力が強くなった、とかではないのだ、と思う……。それなのに、何故、鍵が私の手のひらと錠前で二分しているのだろう。ボキッという音は鍵が折れた音だったのだ。あろうことか、私は六代目様の目の前で備品を破損させてしまった。見張りの忍も食い入るようにそれを見ていた。恐る恐る六代目様の様子を窺った。それはマスクをしているからなど関係なかった。そこにあるのは無である。

「……、実は怪力だったの?」

 六代目様がおっしゃるように、私は相当な怪力のようだ。信じられない、先日の腕相撲大会で微妙な成績だった私が、怪力。ならば、腕相撲大会の優勝者はこんな古い鍵なんてすぐに木端微塵にしてしまうのだろうか……。ちなみに、腕相撲大会に出場したのは景品欲しさである。私はなんとしてでも1位の景品が欲しかった。しかし、結局私が持ち帰ったのは、参加賞の木ノ葉マークのハンドタオル……。

「そんなことはない……と思ってました」
「ま! そんなことあったら驚きだよね。ずいぶん古いし、劣化かな」
「え、劣化?」
「そんな簡単にこの鍵が折れる訳ないでしょ」
 ある人を除いてね、と呟いた六代目様は折れた鍵を見つめた。そして、ぽつりと言った。
「鍵、買いに行かないとね……」



□ □ □




 そんなこんなで私は恐れ多くも六代目様と木ノ葉の街を歩いている。館長に折れた方の鍵を見せながら六代目様と鍵を買いに言ってくると告げると、殆ど気にした様子もなく、「気をつけてね」と、カードを差し出した。魔法のカードである。「この番号で請求書出してください」と言えばどんなものでも購入できるのだ。そんなある意味で魅力的、ある意味で危険なカードを持ち歩いている私は少々緊張していた。もちろん、緊張しているのはそれだけではない。

「お忙しいのに、本当に良かったんですか?」
「ああ、いいのいいの。どうせ後でオレが選ばなきゃいけなくなるんだから」
 鍵くらい自分一人で買いに行けると言ったのに、六代目様は一緒に来てくださるとおっしゃった。なんでも、代々御用達の鍵屋があるとかなんとかで、直接買いに行くほうが早いらしい。
 鍵屋のおじいさんはとても親切だった。事情を知ると古文書のある建物まで交換に来てくれるというのだ。店番は孫に任せると言って張り切って商売道具の入ったカゴを取り出し、私たちと一緒に店を出た。道中、カタログを広げながら六代目様に金塗装の鍵を売りつけようとしていたが、大幅な予算オーバーだと断られていたのを目にした。

「所で、あんたは六代目様のお付の人かい?」
 そう見えるだろうか。私でも、多少は賢そうにみえるのだろうか。お付の人と言ったら、シズネさんのような素晴らしい忍者のように、見えるのだろうか。私は『お付の人』という言葉に心底胸をときめかせていた。だがそれも、「ほら、奈良なんとかって人、時々週報に載っとるだろう?」と言う言葉を聞くまでの間だった。

「それは奈良シカマルですね。彼女はその一族の者でして。」
「ああ、そんな感じだったかの……」
 と、途端に興味を無くしたのか、その話題はそこで打ち切りとなった。急いでいても、ネームプレートは外すして行くべきだった。

 さすがは火影御用達の鍵屋。折れた鍵の事など大して触れず、あっという間に鍵は新しくなった。礼を言うと、鍵屋のおじいさんはついでに他のところもメンテナンスをすると言って木ノ葉の街中に向かって行った。さすがは火影御用達の鍵屋。実に商売上手である。そんな商売上手な鍵屋のおじいさんが立ち去ると、私たちは古文書のある書庫へ入った。すると六代目様に、「あ、そうだ。はここで待っててくれる?」と言われ、私は手懐けられた飼い犬のようにそこでじっと待っていた。だが、待てど暮らせど六代目様は書庫から姿を見せない。どうしよう、まさか、書庫で何かあったのだろうか。
「六代目様……?」
 私の声は虚しくもその建物に吸い込まれていく。これはまずい事になっているのではないだろうか。六代目様が古文書に埋もれていたらどうしようか。立てかけていた巻物が倒れかかって、それで頭を強打していたら……? 考えただけでも恐ろしい。シカマルだったらどうするだろうか、シカマルだったら、シカマルだったらまずカカシさんと一緒に鍵を買いに行くなんて手間を取らせたりしないだろうし、こんな薄暗い書庫に一人で入れたりしないだろう。シカマルなら、こんな時は、今すぐ書庫に飛び込んでいくはずだ!

「カカシさぶっ!」
「……いきなり走って来たら危ないでしょーが。何かあった?」
 ふと前を見ると、カカシさん——六代目様はこぶりな巻物を手にして私の前に立っていた。
「……いえ、あまりにも遅いものですから」
「え、そんなに遅かった? 5分程度だと思ったんだけど」
 ね? と、六代目様が見張りに声をかけると、その忍は「4分54秒でございます、火影様」と丁寧に答えたのだった。

 本館へと戻りながら、忠犬というのが如何に賢いのか考えていると、六代目様は「あ、」と思い出したように声を上げた。
「これ、借りていく予定なんだけど、どうしたらいい?」
 シカマルはカードを持っていたはずだと六代目様はおっしゃった。
「こちらで記録しておきますから大丈夫ですよ」
 そうだ。里の長、六代目様が借りると言っているのだから。カードが無くても木ノ葉図書館の職員はみんな「顔パス」という手段を使うに決まっている。だが、六代目様はそれを良しとはしないお方のようだ。
「火影がそんな勝手なことしたらまずいでしょ。五代目の時はどうしてたの?」
「えーと、五代目様は……お見かけしませんでした」
 いつもシズネさんが焦りながら職員並の速さで本を探し出し、さっさと手続きをしていたのを思い出した。私と同じことを言いそうだけど、一応館長に確かめよう、そう思っていると、六代目様は「あ、そうか」と言って、掲示板に目を向けた。



 本当にこれを作っていいのだろうか。
 その疑問を抱いたのは間違いではないはずだ。でも、火影だって里の住人の一人なのだから、これを手にしていても問題はないはずだ。館長に聞いても想像通りの回答しか返ってこなかった。それどころか「いいんじゃない? 火影様がそうおっしゃってるんだから」と責任を丸投げするのだ。だが、この光景はいささかおかしな事なのである。

「えーと、ここは火影室の住所でもいいの?」
「はい。所在が分かれば大丈夫です」

 むしろ住所なんて書かなくてもいいくらいなのに、六代目様はとても律儀なお方だった。すると、その後ろを通り過ぎている親子がちらちらと視線をよこした。あんな所で火影様が何をしているのだろう、そんな視線を向けている。それもそうだろう、『新規貸出カードの発行はこちら』という案内板の真下で火影が書き物をしているのだから。
 諸々の確認を終えると、最後に貸出カードを作るのだが、氏名欄を見た私は少々戸惑った。
(六代目様、六代目様、……いや、はたけカカシ様かな? うーうん、住所は火影室だから、六代目火影、はたけカカシ様か……)
 私は念仏のように『六代目火影 はたけカカシ様』と何度も心の中で呟いた。できるだけ綺麗な字で書こうと努力した。これを六代目様がずっと持っている可能性があるのだと思うと、密かに胸を踊らせた。


「六代目様、おまたせしました」
 他の利用者と同じように利用規約を説明し、出来上がったばかりの真新しいカードを差し出すと、六代目様はじっとそれをみて、ありがとうとポケットにしまった。そして、利用規約を見ていた六代目様はふと呟いた。
「あ、が専門書籍担当だったのか」
「はい」
「じゃあ、これもが担当してるの?」
「はい。あ、古文書は館長も担当者です」
「へー、そう」
 意外だったのか、六代目様は呟くようにそう言うと、利用規約書を見つめながら退館されたのだった。その後姿を見て私は思った。もしかしたら、『できる女』だと思ってくれたかもしれない、と。まずは印象に残らないことにはどうにもならない。いきなり告白などしてはいけなかったのだ。(ちなみにこの詳細は『男が意識する女-ベスト20-』24ページに記載されている。)今回の件で、お忙しい六代目様でも、“”という存在が残ったのではないだろうか。

 そして作業台へと戻った私は、六代目様とあんなにお話できるなんて、と浮かれていた。



 さてさて。
 私は腕まくりをした。さっそく真新しい彼らに衣を着せてやろうじゃないかと、コートフィルムを取り出した。
ー、ちょっと来て」
 同僚の声だ。私は察しがついた。きっと登録カードを見て驚いているのだ。
「六代目様のこと?」
「そう、それそれ」
 いつも興味がなさそうにしていたのに、珍しい。もしかすると、六代目様のカードを作った事を羨ましいと思っているのかもしれない。
「いいでしょ? でも、一枚だけだから仕方ないよ」
「は? ほら、よく見てよ、ここ!」
「え?」
 同僚の指す場所を見た私は悲鳴にも似た声を上げた。だからだろうか、館内には「図書館では静かにしましょう」という自動アナウンスが流れ始めた。

 急にコピー機が壊れたのだと思いたかった。カードのコピー。それには『六代目火影 はたけカカシ様 様』となったカードが映し出されていた。印字された部分をすっかり忘れていた私は凡ミスをし、そのままカードを渡してしまったのだ。
 六代目様がじっとカードを見ていたのはそういう理由だったのだと知り、私は数時間前の自分に戻りたかった。できることなら告白したあの日のように、綺麗に記憶から削除されていればと思う。しかし、悲しくもそれは生き証人のように六代目様の左ポケットに存在している。
 恥ずかしい。実に恥ずかしかった。

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