「……茶柱」
 湯呑を眺めていた六代目様は、優雅にお茶を口にした。





 —— 時は数日前に遡る。

ちゃん、これなんかどうかしら?」
 おばさんたちがお客様用のテーブルを取り囲んで見つめているのは、レンタル着物のカタログだ。定番の淡い桃色に花模様から始まり、最近は淡い空色、月白色も人気のようだ。
「んー、ちゃんはまだ若いからね〜。シカマル、どう思う?」
「オレに聞くか……?」
「こういう時は男の意見も必要だろう?」
 ヨシノおばさんはなんとか言いなさいよと言わんばかりにシカマルを見つめた。
「そうだな……、これは?」
 シカマルは和傘を差したモデルが映ったパンフレットを指さした。おばさんたちの視線が集中する。
「シカマル、アンタとりあえず目についたのを差しただろ。それは成人式の振り袖だよ!」
 私もそれを覗き込むと、『二十歳の振り袖はこれでキマリ☆』とあった。それなりに大きな文字だ。
「知らねーよ……、んなこと」
「これだから男は困るんだよ」
 不憫だった。男の意見がほしいと言ったのに、こんな扱いを受けるなんて。シカマルは慣れきっているのか、「そんじゃ、邪魔者は消えますよ」と言って立ち上がると座敷を出ようと手をかける。待って、私も行く!と心の中で叫びながらいそいそと立ち上がった。
ちゃん、どこに行くのよ?」
「あ、ちょっとお手洗いに……」
「あ、ごめんね、おばさんったら」
 もう、やーね、と言いながらヨシノおばさんは笑みを浮かべた。いつもより機嫌が良いようだ。出ていったシカマルに小言を言うこともない。
「あ! 私、おばさんたちのおすすめがいいなぁ〜とか思ってるんですけど、……」
「あら、そうかい? じゃあ、真剣に選ばないとね」
 私はシカマルと同様に襖に手をかけた。
 とりあえず、脱出成功だ!


「なんでお前まで出てくんだよ、選ばなくていいのか?」
 着るのはお前だぜ?と眉をひそめる。
「べつに、柄とかなんでもいいよ。私わかんないし」
 そう言った瞬間、シカマルはキョロキョロと様子を窺った。
「聞かれたらどうすんだよ! 珍しく上機嫌だってのに……。とばっちりはゴメンだぜ」
 せっかくの休日が台無しになるとシカマルはぶつぶつと文句を言った。
「とりあえず、縁側でお茶でもしよう? それでもって、この計画を阻止する方法を一緒に考えようよ?」
「は? 今更何言ってんだ」
「だって、こんなに大事になると思わなかったから」
「とりあえず、会うだけ〜って言ったのはだろうが」
「断ったらお店が潰れるかもしれないでしょ?」
「……ったく、考えすぎだろ。初めから断っときゃよかったのに。見合いなんて面倒くささの極みだろ」

 お見合い。封筒を手にした親戚のおじさんは私に言った。ちゃん、良いもの持ってきたよ!そんな事を言うものだからてっきりお菓子か何かだと思ったのに。この時私がピンと来ていれば、即刻お断りをしたかもしれない。いや、それも出来なかったのかも。どこから聞いたのか、おじさんは言った。
ちゃんにピッタリの年上の人なんだよ、仕事は聞いて驚け。得意先のお医者様、町医者だ。玉の輿ってやつか、悪くないだろ? いっぺん会ってみたらどうだ?』
 私は特別に年上好きでもなければ、玉の輿を狙っているわけでもない。それなのに、おじさんは大変乗り気だった。いい仕事をした、そんな顔をしたのだ。しかもお相手様が鹿の角を買ってくれる大事なお得意様だと聞いて、断るわけにもいかなくなった。万が一、私のせいで「お取引はなかったことにしてください!」なんて言われたら……。そう思うと、私は奈良一族を破滅させるのではないか、と思ったのだ。残念ながら、図書館の収入では一生働いても一族の家系を賄える程の額を稼ぐことはできないとわかっている。
 そう、これは政略結婚のようなものなのだ。

「政略結婚って、んなわけねーだろ……」

 いつの時代の話だとシカマルは呆れたように呟いた。そして私は鹿の角は希少で取引先に困ることはまず無いのだと知ることになった。「は見慣れてるからピンとこねーだろうが、頭下げてでも買いたい代物なんだぜ?」と、シカマルはため息をついた。



「では、お二人だけで……」
 まあ、何とも言えない笑みを浮かべる母と父。お医者様は終始緊張した面持ちで、頭をさげた。

 カコン——

 落ち葉一つなく美しく整えられた和風庭園の片隅で、鹿威しが一定のリズムを奏でる。

「…………」
「…………」

 しかし、びっくりするぐらい話がはずまない。見合いというと、趣味はどのような?お仕事は?そんな質問をし合うものではないのだろうか。そもそも十五も上だというこの人はなぜ私との見合いを受けたのだろうか?といっても、それは私にも言えることだけど。

「えーっと、確かさん、と言いましたか」
「はい。奈良です。」
 自己紹介は済んだはずだ。名前すらきちんと覚えていないなんて。私が軽くショックを受けていると、その男は言った。

「申し訳ありません。見合いはなかったことにしてください!」
「…………はい?」

 突然の申し出に私はかなり間抜けな声を出した。そこから話はとんとん進む。数分前まで黙り込んでいた男とは思えないほどに饒舌だった。なんでも、好きな人が見合いをすると聞きつけた。彼女のことだ、すぐに縁談がまとまるに違いない……。そう思ったが、それでも何とかして理由をつけてここに来たかった、というのだ。すぐに縁談が決まるかもと心配するくらいだ、きっと魅力的な女性なのだろう。

さんは可愛らしいお方だと思いました。正直、諦めが付くのなら、なんて考えないことも無かったです。ですが、やっぱり私はまだ諦められない。あなたと直接会って確信しました……。あ、決してあなたが悪いのではないんです!」

 ドラマ、小説?まあ、どっちでもいいか。本当にこんなセリフを堂々と言う人が現実に存在するなんて……。もちろん、私の答えは決まっている。彼の真の目的を知ったのだから、もうこの見合いを続ける意味はない。
「いえ、そういうことでしたら、お構いなく……」
 あっさりと返事をする私にお見合い相手は口をあんぐりさせた。泣き出すとでも思っていたのかもしれない。それに細かく言えば、私も文句をいう立場ではないのだ。さすがに政略結婚だと思って受けたとは言い出せなかったけど……。

「それで、どうするんですか?」
「どうする?」
「破断にするんですよね、そのお見合い」
「まぁ、そうしたいんですけど、あなたを巻き込ませるわけには……」
「でも、あなた一人でこの部屋を飛び出して行ったら変ですよ?」
 まじまじとこちらを見つめる男は察しがよかった。
「い、いいんですか?!」
 この時の男の目はキラキラ輝いていた。みるみる生気を帯びるその様を見ていると、なぜか私はほっとした。さっきまで死んだような目をしていたのが嘘のようだった。そこからは早かった。外に行きましょうか。などとにこやかに話しながら私たちは館内を歩く。お手洗いはどこかしら、あら、こんなところに素敵な庭園が。などと三文芝居をしながら目的地へ向かうのだ。
 しかし、目的地へ着いた私は息を呑む。

 ねえ、ちょっと。私、聞いてないんだけど?

「あの、ほんとうにここですか?」

 と言ったのは、その襖がとんでもなく綺羅びやかだったから。入り口の襖の縁には金箔が鏤められ、装飾の多さから豪華絢爛さが窺える。明らかに格が違う。こんな立派な部屋を借りるなんて、お相手様はどこのお嬢様なんだろう? と思いつつ、私はこの男の愛する人というのがどんな女性なのか全く聞いていないことを思い出した。そもそも、腕の立つ町医者が歯が立たないようなお家柄というのはどういう事なのだろうか。
「ちょっと、作戦を練り直したほうが……」
 しかし、すでに彼には私の声は届いていなかった。確かに、勢いは大事だと思う。当然のように私の心は置き去りだ。
 スッパーン!という文字が目に浮かぶようだった。

 勢いよく襖が開いたかと思えば、私のお見合い相手の町医者は綺麗な女性と手を取り合い、会釈をして駆け出していった。下手な芝居を観るよりもうんと刺激的だ。そんな大騒動にもかかわらず、ぽつん、と広い部屋に取り残されている御仁は落ち着き払っている。映画であれば「なんだね、君!」とかなんとか言って駆け出していくのに、その御方は腰を降ろしたまま、優雅にお茶を口にしているのだ。

「あ、ここ座る? あの人の後で悪いけど。あと小一時間ここに居なきゃいけないもんでね」



□ □ □




 お茶を頂きながら、私は混乱していた。見合い相手がそっくり入れ替わっているのに、飲み物を持ってきたお店の方は何も言わなかった。もしかすると、さっきの女性と着物の色がかぶっていたからかもしれない。もちろん、混乱はそれだけにあらず。

「六代目様」
「ん?」
「あのー、さっきの方々は駆け落ち……ですよ?」
「んー、そうみたいね」
 
 と、六代目様はずっとそんな調子だ。まるで最初からこうなるとわかっていたかのような振る舞いだった。

こそ、よかったの?」
「はい、全然問題ありません」

 今思えば、あまりにも率直過ぎた。すっぱり言い切った私を見て、六代目様は珍しくくくっと喉を鳴らして笑った。

「互いに見合いが見合いじゃないってわけか」
 ということは、私がぼやっとしている間にも度々こんなことがあったのかもしれない。
「六代目様もお見合いなさるんですね」
「あー、……まあね。これも付き合いのひとつみたいなもんかな。ま、お相手も乗り気じゃないようだったから引き受けたようなもんだけど」
 体裁っていうのも考えものだな、と六代目様はぼやくように呟いた。
「でもね……、駆け落ちってどうなんだろうね?」

 六代目様はなかなか難しい質問をなさる。駆け落ちといったら、それはもうロマンチックなストーリーだ。でもそれは物語の話である。今まで育ててもらったのに恩を仇で—— というよりも、なんだか寂しい。そう思うのは、私の一族はみんな仲がいいから特にそう感じるのかもしれない。でも、人には色んな事情があるし……。

「すみません、私には少し難しいといいますか……ちょっと、実感が」

 どんな事情でも、せっかくみんなでこの着物を選んでくれたのに。みんなに悪い事をしたような気がして少しばかり罪悪感を覚えた。あの見合い相手のことにしても、少しくらい止めたほうがよかったのかもしれない。六代目様じゃなかったら、どうなってたんだろう。

「難しいか。確かにそうかもな……」

 六代目様は何か考えているらしく、顎に手を沿えた。
「でも、さすがにあのままだと大変なことになるだろうから、ちょっと何とかしてあげないと。あのお方が素直に彼女の話を聞くと思えないし……。だから駆け落ちなんだろうけど」
 すると、徐に六代目様は部屋の端にあるスタンドから、筆ペンと便箋を手にした。
「何をなさってるんですか?」
「ん? 嘆願書、みたいなもんかな……」
 彼の御仁に向けてなのか、スラスラと文字を綴る六代目様がどんな事を書いているのか少しだけ気になった。きっと、どんな内容であってもほとんどの者が納得するだろう。それは火影だからということだけじゃない。六代目様—— カカシさんの思いが書かれてるのだから。伝わらないはずがない。
 しばらくして、筆を置いた六代目様はこちらを見て思い出したように呟いた。

「あ。の分はどうする?」

 私の分……?そうだった、私も家族に事情を説明しなきゃいけないんだった!どうしよう、今頃赤飯を炊いているかも。そう思うと変な汗が額に滲んだ。まさか娘が駆け落ちの手助けをした挙げ句、六代目様と談笑を楽しんでいるなんて考えもしていないはずだ。

「い、いえ! 自分で説明するので大丈夫です。お手を煩わせることはできません」
「でも、おじさんたち随分はしゃいでたようだし、どっちかっていうとこっちのほうが大問題な気もするな……」
「えっ?!」

『いやー、六代目様! 今度が見合いをするんですよ! だから一族みんな張り切ってましてね。って張り切っても俺たちが見合いするわけじゃないんですけどね、ハハハッ!』

 任務報告書を出すついでの世間話。そこでこんな感じのことを六代目様にペラペラと話したのかもしれない。たぶん、私の想像は大方間違ってない、そんな気がするのだ。今頃になって変に緊張してきた。今日は綺麗な着物を着せてもらって、化粧だって綺麗にしてもらって。髪の毛も和装に合うよう整えてもらった。

 だから大丈夫。そう思っていたのに、なのに、出かける間際の私を見た奈良家の男たちは『が見合いか……。見合いつーか、成人式? 七五三か?』とケラケラ笑っていじってきた。思えば成人式の時だって「七五三がでっかくなっただけ」とかなんとか言っていた気がする。六代目様のお見合いのお相手様はとっても優雅で美しかった。着物もきちんと着こなしていて、まさにどこそこのお嬢様という感じの御方だった。それに比べて、私は見合い相手の噛ませ犬みたいなものだ。この時私は、六代目様を目の前にしながら、初めて心の底から今すぐ帰りたいと思った。上手く説明できなくて怒られてもいいから帰りたかった。
 シカマルの言う通りだった。
 初めからお見合いなんてするんじゃなかった……。



「そうだ。せっかくだから中庭見ていく?」
「中庭、ですか……?」
「そう。ここの中庭、すごく綺麗でね、一度見ておいてもいいんじゃないかと思って」
 この部屋からしか見れないのだと言って、立ち上がる六代目様につられて私も一緒に立ち上がった。
 帰りたい。ほんとにそう思ったけど、六代目様に誘われたら断れない。

「あっ」

 ヨシノおばさんのにっこり笑みが目に浮かぶ。
『裾を踏むと着崩れするから気をつけな』
 という忠告と一緒に。幸いなことに、よく見ると少しずれただけで帯は形を保っていた。でも、着物の形が少し不格好になってしまったのが自分でもわかった。一通り作法を教えてもらったはずなのに、なんでこんな時に……。

「あー……、踏んづけちゃった?」
「……はい」

 まったく、作法がなってないね〜
 そう言われるのを覚悟していた私は拍子抜けした。

「ああ、これくらいならなんとかなるかな」

 私の前までやってきた六代目様はかがみ込んだ。今までにないくらいの近距離。近い、近過ぎる!カカシさんにこのドキドキが聞こえたらどうしよう……。

「六代目様、着物直せるんですか?」
 六代目様が器用なお方だと想像はしていたけれど、まさか、着物の着付けまで。火影様って、なんでもできなきゃダメなんだ……。
「まあね。コレくらいのことなら昔よく——
 そこでなぜか六代目様の手が止まった。

「いや、ずっと昔よ? 要人の娘さんとかの護衛でさ、若いと慌てて走ったりするじゃない? 任務中だと誰もそんなことしてくれる人居ないし。かと言って放っておくわけにもいかないしで、何というか色々とあるわけよ、色々と……」

 護衛と言ったら、『大名様をお守りするぞー!』ってな事ばかりだと思っていた私は少し驚いた。考えてみたら、奥様もご息女様も大事な要人だ。きっと六代目様のように器用な忍でなければ務まらないのだろう。

「そうですか、色々ですね」
「そう、だからオレは何もやましい事は——

 と、またしてもおはしょりの手前で動きが停止した。もしかしたら、六代目様の手に負えないほど着崩してしまっていたのかもしれない。しばらく黙っていた六代目様は目を伏せて小さく息を吐くと、ポツリと言った。

「……やっぱり、店の人にお願いしようか。任務中じゃないし」

 そんなこんなで、私の着物はお店の方が直して下さった。もちろん、その後は中庭を見に行った。そのお庭がとても綺麗で私は早く帰りたいと思っていたことも忘れてうっとり見入ってしまった。少し気がかりだったのは、六代目様があまりこっちを見てくれなかったこと。それがちょっと残念だった。
 襖からちょこんと顔を出したシカマルが、柄にもなく素っ頓狂な声をあげるのはしばらく後のこと。



 「失礼します」という声に視線を向けるとばっちり目があった。
「…………、なんでがここに居んだよ?!」
「あのね、これにはちょっと色々事情があって。あ、おばさんたちには私がちゃんと説明するから。シカマルは気にしないで大丈夫だよ?」
「そういうことじゃねーつーか……」

 どうなってんだ?とシカマルはぶつぶつ言いながら文字通り頭を抱えた。側近補佐というのはとても気苦労が多いようだ。
 それにしても、お店の人は何も言わなかったのに、なんでシカマルはすぐに気づいたんだろう?そのことに気を取られていた私は知らなかった。


「なんだ、もうバレちゃったの」

 六代目様がそんなことを呟いていたなんて、気づきもしなかった。

Act.5 善良であるか否かは別問題