「はぁ……」

 オレのため息はこれでもかというくらいに火影室に響いた。それはすべて先日の見合いが関係しているわけだが、こうして火影室の椅子に腰を降ろしている間も落ち着くことができなかった。なぜなら、


「六代目様!任務完了でございます!」

 そろそろ来る頃だと思っていた。今日は任務最終日。が“おじさん”という奈良一族の男が里に戻ってきたのだ。

「はい。ご苦労様です。」
「ところで六代目様」
「はい。」

 さて、どうくる?
 叩かれるか、胸元を引っ掴まれてぶん殴られるか。

「先日はうちの者がお騒がせしたようですみません!」
「いえいえ、それを言うならオレのほうが……」
「何をおっしゃいますか! がおっちょこちょいをやらかしたようで、お恥ずかしいことに見合い相手に愛想つかされたようでしてね、まだアイツには早かったんですよ。あ、まだ始まってもないんだから愛想もクソもねーか、ハハッ!」
「…………」
 
 見合いが破断になったというのに、この上機嫌っぷり。どういう経緯で彼女に見合い話が持ちあがったのかは知らないが、本音はやはりを外に出すのは惜しいと思っているのだろう。蝶よ花よというわけだ。
 しかし、一体彼女は家でどんな話をしたのだろうか。

—— 見合いって言っても妙なことをしてみろ!に何かあったら俺たちがぶっ殺す勢いで怒鳴り込んでやりますよ!”

 これは見合い前日の彼らの言葉だ。そんなことを言うものだから少々警戒していた。何しろ彼女は奈良家の箱入り娘である。本人はまったく気づいていないようだが。だから安易に着物を直そうとしたオレはかなりまずい事をしたと思った。このご時世というべきか、『ハラスメント』という類に随分煩くなった。特にのような若い女の子は。それがかなり引っかかっていたのだが、どうやらオレの首は繋がったようだ。彼女はオレが着物を直そうとしたことを彼らに言っていないらしい。もしもが「六代目様が私の帯を……」なんて言ったら、オレは今頃ボコボコにされているか、最悪息をしていないんじゃないか。鹿だってオレを襲ってくるかもしれない。彼らは主人に従順だ。それに加え、影真似やら影縛りやら一族総出でやられたらたまったもんじゃない。そうでなくとも一斉に任務のボイコットを決め込んだかもしれない。奈良一族が不在となれば、任務はかつてないほど滞る。大変な損害を招き、オレは責任を一緒くたに背負うことになり、里では軽蔑の視線で見られ色々な噂話が。あんな火影にはついて行けないとか何とか……

—— 様、六代目様?」
「はい?」
「お疲れでございますか?」
「え、ああ、ダイジョウブ。いや、疲れてるかもしれないですね……」

 色んな意味で。
 嫌な考えばかりが思い浮かんだが、それは単なる被害妄想だったらしく、目の前の男はオレに襲いかかろうとはしなかった。最近は極めて多忙だった。本当に疲れているのかもしれない。

「そうでしょうとも。何しろ色々とお忙しい身でいらっしゃいますから。今度、うちの者に漢方でも持たせましょう。では、私は失礼します!」

 火影室から一歩二歩と遠のいていく。その背中から机の上に視線を落とすと無意識にため息が漏れた。もちろん、これは安堵のほうだ。

「お、シカマル様じゃないか!」
 オレが顔をあげたのは、去り際の一言だった。シカマルの肩をバシッと叩く音がすると、「イテーよ、おっちゃん……」と声がする。シカマルを出世頭だと言いつつ、こうしたやり取りは日常の一部と化しているようだ。その男は気にする風でもなく、軽快な足取りでその場を後にした。その男の様子を見たシカマルの顔と言ったら。うざったくって仕方がないと言わんばかりにわかりやすく眉根を寄せた。

「お疲れ様です」
「おつかれさん」 
 ばっちりと目が合う。すると、シカマルはぎこちなく視線をそらした。
「ん?」
「いや、なにも……」

 シカマルの様子がおかしい。そう感じたのは先日のいざこざの直後—— 例の見合いの件だ。これは一体どういう事だと詰め寄ったのは極めて普通の反応だと理解している。だが、「これは……いや、そんなわけねー」「まてよ、……」などとぶつぶつと言いながら、最後に思い切り大きなため息を吐いた。シカマルがオレの前であんなため息をついたのは今まで一度たりともなかった。これには首をかしげざるを得なかった。それに、彼女の見合いを応援している様子でもなければ、見合いの破断に怒りを顕にすることもない。
 この件はオレが何とかするからシカマルは気にするな。彼にはそう言いはしたが、はたしてこの時話が通じていたのか定かではなかった。というのも、いつもなら、丸く収まる方法の一つや二つ助言を呈すことだってあるというのにシカマルは間の抜けたような声で「はあ」と漏らしただけだったのだ。はシカマルといとこ。しかも随分長い付き合いと聞く。家の事情であれば少しは何かわかるだろうか、そう思ったのだが。
『どうしちゃったの? 君のいとこは』
『さ、さあ?』
 と、オレと同じくは首をかしげ、赤くなったり青くなったりとその表情は忙しかった。彼女にも言い訳ならオレがなんとかする、と再度助け舟を出してみるものの、やはりそれは要らぬ世話だったようで、は『いえ!私が何とかします!ホントにホントに大丈夫です、六代目様』の一点張りで変わらなかった。



「何これ」
 不意に目の前に風呂敷が飛び込んできた。
「おばさん、いや、の母親からです」
「ああ、…………どういうこと?」
 オレは全く身に覚えがなかった。そもそもの母親に面識なんか—— そう思ったが、はたといつぞやの泥酔した彼女の姿が目に浮かんだ。あれは結構手を焼いた。自宅目前で戻りたいと言い出すのだから。ここで泣き出されたら色々まずいことになるぞ、そう思ったのは記憶に新しい。
「『以前送ってくださったことのお礼と、先日のお騒がせしたことのお詫びです。』だそうですよ」
 昼飯にでもどうぞ、ということか。ならば、この風呂敷の中は重箱か。
「味はオレが保証します。おばさんの実家、割烹屋なんで」
 それを聞いて、オレはふと思ったことを口にした。
「へー。じゃあ、も一緒に料理したりするのかね」
 一度くらいはあるはずだ、台所に立って手伝ってみようかなとかそんな感じのエピソードが。と思いながら、手元の巻物を広げるが、いつまでたってもシカマルの返答はなかった。
「……の料理?」
 ようやく聞こえたかと思えばそんな呟きだ。
「そりゃあね、あの一家で意外誰がいるのよ?」
 何、どうしたの。オレ、なんかまずい事言った?まさか、実は他に兄弟が……?
 ひょっとすると巻物を広げている場合ではなかったのではないか、と思い始めた時だ。
「すみません、オレちょっと用事思い出したんで出かけてきます」
「え? あ、そう」
 さっき戻ってきたばかりなのに、と思いつつオレは再び巻物に視線を戻すと、僅かに開いた扉から聞き慣れた声がする。廊下ではもう少し静かにしてもらいたいものだ。
「よっシカマル! …… って頭抱えてどうしたんだってばよ?」



□ □ □




 昼休憩。
 重箱を開けた瞬間、オレの空腹感は彼方へ消えた。

 とりあえず、蓋は閉めておくほうが良いだろう。いつ誰が飛び込んで来るかわからないこの場所で堂々と広げるのはキケン過ぎる。
 今はシカマルが頭を抱える理由よりこの状況を整理することが先決だろうと思うのだ。まず、これを作ったのはあの一家であることは間違いない。重箱の家紋がそれを証明している。そして次だ。これをシカマルがの母親から預かったのは間違いない。ご丁寧に漆塗りの箸が一膳。そして取り皿が一枚。おしぼりまで入っている。と、ここまでは普通にあることだと思う。しかし、いくら考えても最後の答えが絞れずにいた。

「好き? 愛してる?」

 口に出してみたが、さっぱりである。重箱の中身は半分はちらし寿司だった。が、その上の海苔が問題だ。ハートを模した海苔絵があった。ハート型の人参の煮物もあった気がする。それに、この量。小ぶりの重箱とは言え、絶対に相手は男。それで思わず蓋を閉じたわけだが、どうしたものかと考えあぐねる。

 一、そもそもオレ宛ではない
 二、の父宛の愛妻弁当
 三、が父親宛だと思い海苔絵を置いた

 そう考えるのが妥当だ。しかし、第四の可能性が思い浮かぶ。

 四、これがオレでも、の父でもなく、他の誰かだとしたら。

 それを考えるとオレはこの事実は伝えず重箱の中身を食してしまった方が奈良一家にとって平和なのではないか、と思うのだ。手違い。それが奇妙な事態を招いているに違いないのだ。
 と、思った所である考えが過って更にややこしくなった。

 もし、
 これがが作ったものだったら?
 だとしたら、
 これを受け取るはずだった人は誰だったのか。

 万が一、絶対にないだろうが、
 ……本当にオレ宛だったら?

 いや、やはりそれはない。絶対にないな。

 
 何にしても、オレがこの重箱の中身を食べないことには終わらない。入れ替わってしまった弁当はおそらくごく普通のちらし寿司だと思うからだ。もう一方の受け取り主は何の躊躇いもなく口にしていることだろう。
「はぁ……」
 火影室にまたしてもため息が響く。しかし、こうして重箱の紅葉柄ばかり眺めていてもどうにもならない。昼休憩が短くなるどころか弁当の中身も傷んでしまう。中身が残っていたらこの弁当の作り主はとても残念に思うだろう。
 誰に向けられたかもわからない愛情の詰まった弁当を食べるのは気が引けるが、致し方ない。
 いざ、重箱を開ける。
「んー……」
 だが、海苔絵さえなかったと思えばどうということはなかった。さすがは割烹屋直伝。その辺の仕出し弁当なんか比じゃない程の出来だ。ちらし寿司もとてもいい味をしているし、人参の煮物はよく味がしみていた。弁当屋を開いたら儲かるだろうな、と思いながらもそれを口に運ぶ。
 すっかり満腹なった頃。トントンっと控えめなノックが火影室に響いた。

「どうぞ」
「失礼します……」

 と、入ってきたのは奈良。机の上の重箱の存在に気づかないわけもなく、「あ、それ」と小さく声を上げた。

「お弁当ごちそうさま。変に気を使わせたかな」
「そんな!私こそ色々と六代目様にお世話になってばかりで……、早く何かお礼をしたいと思ってはいたんですが、急に母が言い出しまして」
と、は恥ずかしそうに小さく頭を下げた。
「シカマルから聞いたよ、お母様のご実家が割烹屋なんだって?」
「はい、楓という店なんですが、あ、……その説は色々とご迷惑おかけしてすみません! 私、何か変なこと言ってませんでした?」
 恥ずかしい話さっぱり覚えていないのだと不安げに見つめるに、あんなことがあったとは言えるわけもない。目に見えて落ち込むことはわかっている。覚えていない事をわざわざ言う必要もないだろう。
「んー、ま、若い内はよくあることでしょ」
 気にする必要はないと告げれば、は少しほっとした様子で笑みを浮かべた。
「あ、六代目様」
「ん?」
「あの、サンマの蒲焼、いかがでした?」
「へ?」
「そのー、自信作だからと母が六代目様のご意見をお聞きしたいと言っておりまして……、」
 
 まさか、またあの中身について考えなければならないとは思いもしていなかったオレは「あー……」と言ったっきり、次の言葉を探すのに時間を要した。
 
 困ったことに、サンマの蒲焼を食べた覚えが全く無い。
 もちろん、急に物忘れが酷くなったということではなく。

 なのに、感想を言わなければならいこの状況。重箱を空っぽにすれば何とかなると思っていたのは甘かった。どう転ぶかはわからないが、黙っておくのは不可能だった。
 さて、どう切り出せばいいものか。

のお父さんはいつもお弁当? 随分手が込んでるよね。作りなれてないとああはいかないなと思ってさ」
「はい。父が任務に出る時はいつも持たせてます」
「あー、そうなの……」
「それがどうかしました?」
「えーっと……、実はオレ、他の人の弁当を食べちゃった気がするのよね……」
「え?」
「だから、申し訳ないけどサンマの蒲焼は、」
「えっ!? 待って、えっと、じゃあ、六代目様が……」
 どうやらはあの海苔絵の真相を知っているようだ。この瞬間、第四の可能性が消えた。ただ、真っ赤になって慌てふためいているのは……。
 オレが食ったのは誰の弁当だったんだ?

「なんか、悪いことしちゃったね」
「いえ、全然です!本当にすみません!まさかお父さんの分を渡しちゃうなんて、お礼のお弁当なのに……」
 風呂敷も二つにちゃんと分けておいたのに〜、とはもごもごと独り言を呟く。そこで第五候補もなくなったのだと理解したオレは即座にフォローに回るべきだと判断する。まあ、普通に考えてそうだろう。

「開けた時は驚いたけどね。あれが愛妻弁当ってやつか。いいじゃない、仲いいご夫婦で。特に人参、いい味してたって伝えておいてよ」
「あの、違うんです……」
「え?」
「人参は……、その、母ではなくて」
「あれ、が作ったの?」
「はい、父親の好物で。ちょっと醤油辛くありませんでした?」
 予定よりも少し煮詰めすぎたような気がするとはいう。
「そんな事ない、良い味だったよ」
「本当ですか? 」
「うん。オレは結構好きだよ、ああいうの」

 はいい奥さんになりそうだね。
 と言いかけて、オレは口を噤んだ。昨今の『ハラスメント』は根深いのだ。またややこしい事になりかねない。
 重箱騒動も一段落。オレの悩みも一気に晴れた。
 しかし……、もう一方の重箱のサンマの蒲焼とやらが気になる。あのクオリティで自信作というのだから。きっと舌の肥えた要人も唸るだろう。
「そのサンマの蒲焼って、あの店にもあるの? ほら、楓だっけ」
「あ、ごめんなさい、あれはメニューにはないんです」
 残念という本音が漏れていたのかもしれない。「そうか」と呟いたオレには言った。
「あの、またお持ちしてもよろしいですか?」
「え、いいの?」
 要人にと言いつつ、実はオレ自身がかなり気になっていたりする。
「はい! 他はなにかありますか?」
「あ、人参の煮物もあったら嬉しいな」
 アレはどこにもない味だったな、と思っているとは頬を赤らめた。
「は、はい! 人参の煮物もお持ちしますね!あ、それからこれは預かり物なんですけど、」
 漢方薬だ。どこか悪いのかとは心配そうな表情を浮かべる。
「あ、これは別になんでもないのよ」
「そうですか。ここに置いておきますね!」
「ありがとう」
 本当に持って寄こすなんて。しかも、こんなに早く。仕事の早い男だ。

 が居なくなって数分後。「戻りました」と言う声がする。シカマルだ。先程より幾分すっきりとした表情に見える。

「ああ、おかえり。……どうした?」
「……いえ。失礼します」
 
 シカマルは先程が置いていった袋を注視して、また深いため息を付きながら火影室を出ていった。しかも、今朝方と同じ様子で。
 疲労だろうか。仕事を減らすべきか。
 疲労回復というのなら、オレより彼が先だろう、そう思いながら袋を手にとった。
 そして、ふと先程の様子が気になった。
 
 オレの命は奈良一族に握られているのではないか。
 そう思い始めたのは、やはり疲労だろう。

 これはオレが頼んだわけでは断じてない。
 は完全に他の何かと聞き間違いをしたに違いない。ここに来るまではもちろんの事、今この時も何の疑問も抱いていない、そう思いたい。
 透明のビニール袋越しに紙袋を確認したオレは、シカマル同様頭を抱えた。

『弱ったあなたに!滋養強壮!!人参スッポンエキス配合』

React.5.5 本日多忙つき思考停止中