何とは無しにふらりと歩いていたが、それが後に響くことになるとは思いもしない。
 目の前を歩く若者の後ろ姿が見知らぬ者であったとしても、オレはおそらく同じように疑問を抱いたと思う。
「ようするに、逢引きってこと」
 はにかみながらこそこそと話す奈良を見ていなくとも。




「なあ、シカマル」
 気がつけば、オレは火影室に顔を出したシカマルを呼び止めていた。
 しかし、早々に昼間の出来事を切り出せるわけもなく。とっさに思い浮かんだ事を口にした。
「あー……この前の議事録、五影会談のヤツはもう出来た?」
「出来ましたよ。今カカシさんが手にしてるモノですけど」
「ああ、これ。コレね……」
 シカマルは眉を寄せ、オレを見る。
「何かあったんですか?」

 ある。ない。
 あったかもしれないし、なかったかもしれない。

 たとえシカマルが実の姉弟のように奈良と親しかったとしても、年頃の女の子の赤裸々な話を知っているとは考えにくい。それ以前に本来、そんな事を気にしているほどオレは暇ではない。どうしたものか、昨晩綺麗に片付けたはずの机の上は着々と新たな山を作り始めている。どんなにリセットしようとも、明る朝にはまた元どおり。明日は朝から晩まで火の国の役人らと会合が入っている。資料にも目を通さなければならない。

「いや……特には」
「そうっすか」

 書類を手にしたシカマルは、いつものようにさっさと火影室を後にした。
 シカマルが出て行ってしばらくの間、火影室はオレ一人。こんな時こそ怒涛の報告ラッシュでも起きてくれたらよいものを。既に流れ作業となっている受領印を押す作業など、今始めるべきではなかったのかもしれない。忙しないのは手の動きばかりで、思考は別のことに向いていた。
「逢引きって……ねぇ?」
 単にデートだと言えばすんなりと飲み込めるのだが、逢引きと言うと少々事情が異なる気がするのだ。仮に彼女にのっぴきならない理由があるとしても、もし何か妙な事に巻き込まれでもしていたら。火影として、みすみす見逃してよいものか。
「……いや、マズいでしょ」
 そうと決まれば、善は急げ。
 すぐさまプレートを『外出中』にひっくり返し、オレはとある場所へ足を向けた。



 向かったのは木ノ葉図書館。正面玄関を通り抜けると古い紙とインクの匂いが漂ってくる。
「……あれ、火影様。どうされました?また古文書でもご必要に?」
 細いオーバル型のそれは老眼鏡だろう。眼鏡の下から覗き込むようにこちらを見つめたのは、図書館の館長だった。
「いえ、今日は野暮用といいますか……ところで、いつもここに居る司書さんは?」
「生憎、奈良は休暇でして。もちろん有給です」
 聴けばの同僚も同じく休暇だという。年間取得100パーセントを目標にしている木ノ葉図書館は非常に良い試みだ。だが、率先して“空いた穴は俺が埋める”と言わんばかりの館長によるカウンター業務は、見た所あまり手際が良いとは言えなかった。山積みになった返却本がその様子を物語っている。それはまるで火影室の机の上のようで、なんだか嫌なものを思い出した気がした。

「急用でしたら呼び出しますが」
「いえいえ、大した用事じゃないですから」
「そうですか?」
「ええ、お構いなく」

 居ないのなら仕方がない。それにしても二人揃って有給休暇とは……。カウンターから離れた途端に耳にした、「は〜、やれやれ。これはどうしたもんかね……」と大きな独り言に同調しつつ、図書館に背を向けた。これ以上火影室を空けていると机の上は本格的に物置になってしまうだろう。器用に山積みされた巻物が雪崩を起こす前になんとかしなければ。



□ □ □




 すっかり無駄足を踏んだその帰り道。
 笹が歩いている。
 そう思うのはオレだけではないようだ。まさか自分が注目の的になっているとは思いもしていないだろう、街の一角で人中を縫うように歩く人物は至って真剣そのものだった。しかし、その足取りはどこか頼りない。

「一人で持つなんて危ないでしょーが」
 ひょいと大ぶりの笹を担ぎ上げると、は驚きを隠せない顔をした。
「ろ、六代目様!」
と、その口調はいつもと変わらない。しかしながら、こんな立派な笹をどこから刈り取ってきたのだろうか。
「あの、六代目様」
「ん?」
「やっぱり六代目様に持たせるわけにはいきません!」
 は笹を取り返そうと必死になった。もちろん「はいどうぞ」と返すつもりはない。
「こういうのは任せとけばいいの。そんなことより……もしかして一人で山に行った?」
 ちらりと隣をみやると、彼女の視線が不自然に左右に動いた。
「いつもの山です、鹿たちがいる裏山ですよ……?」
 慣れているから大丈夫、そう言いたいのだろう。だか、は忍ではなく木ノ葉図書館の司書である。シカマルやサクラのように“一人で片付ける”ことはできない。何かあってからでは遅いのだ。
 もしや、一人でなければならない理由でもあると言うのか。

「あのさ、
「は、はいっ」
「いつもシカマルやおじさんたちを見てるから何も思わないかもしれないけどね、一人で山に入るのは危ないと思うのよ」

 オレが奈良と面識を持ったのは火影になる以前の事。その時から彼女はそそっかしく、危なっかしい側面を持っていた。彼女が図書の仕事を熱心に勤しんでいることを知ったのは火影になってからの話だ。奈良家という忍家系でありながら、なぜ彼女が図書司書という道に進んだのかはオレの知る所ではない。忍が天職と感じる忍が居るのと同じように、彼女にとって図書司書という仕事がそうかもしれない。単なる慣れだと言われてしまえばそれまでだが、少なくともオレにはそう見えた。

「すみません、おじさん達が居なかったのでつい……」

 見るからにしょんぼりとしたを見て、オレは内心冷や汗をかいた。なぜなら彼らは隣国に任務。奈良と名の付く忍たちは本日見事に出払っている。夕方には数名戻ることになっているが、今はまだ日中。もちろんその任務を申し伝えたのは自分だ。少々決まりの悪さを感じたのは言うまでもない。
「いや、怒ってるわけじゃなくてね? 用心しなさいってことで」
「はい、次は気をつけます」
 その明るいの声にほっとする。そもそも、オレはいつからこんなにも説教くさい男になってしまったのか。担当上忍の頃を思い出してみるが納得するほどには至らなかった。
「この笹、どこに持っていくつもり?」
「木ノ葉図書館です」
「休みなのにわざわざ?」
「そうなんですけど、今日中に置いておかないと間に合わないかもしれないし……」
 と、こぼしたははっとした顔をした。
「あっ、これは仕事ではなく私の趣味と言いますか、お金もかかってないので経費は大丈夫です!」
 また小言を言われる、そう思ったのだろう。はハハっと笑って誤魔化した。
「今回はそういう問題じゃないのよ……」
「え?」
 しまった。余計な事を口走ったその時。人の流れを逆らうように歩く人物に目が留まる。それはも同じだったようで、彼女の視線は後ろを追う。そしてなぜかオレの横顔をみやるとすぐに足元を見つめた。
 まさか見てはいけないものだったのか。
「デート中に知り合いに会うのって、なんだか恥ずかしい気がするんですよね」
 そういうものだろうか。だが、里に居るのならタイミングさえ合えば今のように出くわす事も多々あるだろう。
 それよりもの言葉が引っかかった。やはりデートはデート。逢引きは他の話ということか。
「別に見られてもいいと思うけどね〜。もし、にこそこそしなきゃいけない人が居るっていうんなら、オレもちょっと言うこと変えなきゃならないけど……」
「えっ!わ、私は全然そんな相手いませんよ?!というか何ていうか……コソコソってそんなっ!」
 途端に慌てふためいたは頬を赤らめ、オレから視線を逸らした。
「ま、とにかく信用ならん相手はやめときなさいってことよ」
 は頷いていたが、オレの言いたいことがきちんと伝わっていると思いたい。


 再び木ノ葉図書館までやってくると、カウンター内の館長とばっちり目があった。笹を持ったオレをじっと見つめる。言いたいことがある、そんな顔をして。
「火影様の御用事はそれだったんですか?」
「……まあ、そんなところです」
 そのやりとりをは不思議そうに見ていたが、館内の一角を見て、オレは思わず独り言を漏らす。
「あー、それで」
 それで、これか。と納得しているとが言った。
「六代目様、ありがとうございました。これで今年の七夕もバッチリです!」
 が用意したであろう長テーブルには、折り紙で作った網飾りや神衣、巾着に吹き流しも用意されていた。あとは願い事を書いた短冊待ちということのようだ。
「それにしても随分気が早いね」
 七夕はまだ先だ。商店街の飾り付けすらなされていない。
「早くに準備しておかないと書きそびれる方も居られるので、今年は早めにと思いまして」
 のことだ、図書館に来る子どもたちのためにと考えていたのだろう。早すぎれば笹が枯れてしまう。かと言って遅いのも問題だ。いい頃合いというのが今日だったというわけだ。
「六代目様もいかがですか?」
「……も書くの?」
「もちろんです、私は毎年書いてます! 後で結びに来てくださっても構いませんから、よかったらどうぞ」
 一応、とは短冊が入ったトレーを差し出した。ちなみに常連のマダムも保護者も図書館の職員も、みんな書いているらしい。
「じゃ、一応ね」
 たまにはこんな事も良いかもしれない。それに、ここで断りでもしたらはきっと肩を落とすだろう。色々と口を出してしまうが、オレはべつにがっかりした彼女を見たいわけではない。手にした短冊に懐かしさを感じつつ、ふと、は何と書くのだろうと考える。
「あ、そのまま持ち帰ったら折れちゃいますよね」
「すぐ戻るから問題ないよ」
 片手が塞がるが致し方ない。折り目が付くよりマシだろうし、何かに挟んでおけばすぐに真っ直ぐなるだろう。軽く丸めて手に持った。それだけのことなのに、はなるほどと声をあげ、
「さすが六代目様!」
 と言う。はいつも大げさだ。しかし、それも不思議と嫌な気分にはならなかった。

「今年は晴れるといいですね」
 昨年は雨だったから、とは窓の外を見上げた。
「今度はてるてる坊主が必要だな」
 冗談のつもりで言ったのだが、「そうですね!」とは本気のようだ。あまり下手なことは言えないなと思う反面、また言ってしまいそうな自分がいる。見ていて飽きないというのもあるかもしれない。
「ん〜。私はやっぱりデートより逢引きの方がしっくりくると思うのにな」
 と、まさかここでその言葉が出るとは思いもしない。の突発的な発言で全く話が見えなくなった。
「え〜と……それは何の話?」
「天の川の向こう側の話です。この前同僚とも話したんですけど、私は逢引きみたいだって言ったら逢引きじゃなくデートだって」
 オレとしたことが中途半端に聞いてしまったらしい。要は七夕の話だったのだ。急に肩の荷が降りた気分になりポケットに手を入れようとし、既の所でとどまった。せっかくの短冊をくしゃくしゃにするところだった。
「六代目様はどう思いますか?」
「そーだな……確かに、そっちのほうがしっくりくるかもね」
 仮に七夕の日が透き通った夜空であったとしても、川の上は見えはしない。あくまでも想像上の話にもかかわらず、はふふっと頬を綻ばせた。



 そんな話をしていると、館長が申し訳ない顔をしてやってきた。もう限界だギブアップだと言いたいのを必死で我慢しているように見える。
「奈良さん」
「はい」
「3分だけでいい。3分は次回の休憩を長く取っていいから、ちょっといい?」

 はたして3分で終わるだろうか。
 あの有様を知らないはオレに一礼した後、館長と共にカウンターへ向かった。

「オレもそろそろ戻るか……」

 すっかり身軽になったオレは火影室の机の上が大惨事になっていようとも穏やかで居られる気がした。戻ったら、まずは判を押すのが先だろう。そして短冊に何を書くかじっくりと考える。机の資料が良い重しになりそうだ。
 しかし、その予定は少々変更せざるを得なくなった。火影室の廊下で元教え子が不機嫌な顔をして仁王立ちしている。絶対に手渡ししろと言った巻物を持って。

「カカシ先生……どこ行ってたんだってばよっ!」
「あー、悪い悪い。ちょっとばかり憩いにね」

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