本日は水曜日

 この場所ならではの薬品の匂いにもすっかり慣れた頃だった。は木ノ葉病院のある部屋の前に立ち、軽く深呼吸した。そして、意を決したように扉を開けたのだった。

「おはようございます、お体の具合はいかがですか?」
 はワゴンを押しながらベッドに寝ている人物へ声をかけた。
「お、もうそんな時間か」
 窓から視線を離し、振り返ったのはマイト・ガイ。時刻は8時。毎朝の検診の時間だった。
「良くも悪くも変わらんな」
「……そうですか」
 先の大戦で負傷したガイの体は生きているのが不思議なくらい重症だった。最高峰の医療忍術を持ってしても、彼の右足は元通りになることは難しいらしい。このままでは彼はずっと車椅子生活になってしまうのだが、その事がわかった後も彼は変わらず明るいままだった。その精神力の強さには皆驚いたものだ。
が落ち込む事はないだろう。それに、看護師である以上は、オレ以外の患者にそんな顔をみせてはならん」
「す、すみません」
 ガイの言葉はもっともで、の悪いクセでもある。は自分の失態を恥じた。
「だが、それもの優しさ故だな」
「そんな事言ってくださるのはガイさんだけですよ。……えっと、今日のお食事も完食ですね。では、今日は血圧と採血します」
 欠かさずフォローを入れる彼らしい優しさに感謝しつつ、は気持ちを入れ替えて、いつもの手順で朝の測定を始めた。血圧計を取り出して、ガイの腕に巻き付けようとした。しかし、すでに別の物が腕に巻かれていた。
「あ、またパワーリストなんかつけて!」
「いやー、じっとしているのも体がなまってしまうからな」
「ですから、そういうのは退院してからにしてくださいね」
 はガイのつけていたパワーリストを外したが、が思うよりも、随分重い物だった。いつもこんな物を付けて日常を送っていたのだろうか。
「すまん、重かっただろう」
「大丈夫ですよ」
 はそれをテーブルに置いて、ほっと息をついた。そして、今度こそ血圧計のバンドをガイの腕に巻いた。
「今日は良い天気ですね、後でお散歩に出てみます?」
「う〜ん……そうだな」
 は気晴らしになればと思って言ったつもりだったが、あまりいい返事とは言えなかった。気乗りしない患者を無理に連れ出すというのも、看護師としていかがなものかと思いつつも、いつも元気な声とは違う、時折みせる彼の姿がはいつも気がかりだった。話している内に血圧測定も終わり、採血に移った。腕をバンドで縛り、はトレーに用意していた採血用の注射針のフィルムを剥がした。いつものようにテキパキと作業をすすめる。
「少しちくっとしますよ」
 が針を腕に近づけてふと、彼の様子をみると、目をつぶって反対方向を向いていた。
「もしかして、注射苦手ですか?」
「いいや、そんなことはないぞ」
「そうですか、じゃあ、いきますよ?」
「……」
 やっぱり反対方向を向いているガイの様子はいつも何事にも恐れないド根性な雰囲気とはかけ離れている。
「……おい、まだか」
「ああ、すみません、すぐに終わりますから」
 そう言って、は素早く採血を終わらせるが、彼はまだ違う方向を向いていた。
「ガイさん、終わりましたよ」
「……本当か?」
「ええ」
「ホントのホントに?」
「ええ、ホントのホントです」
 が思わず笑みを浮かべ、はっとして口を継ぐんだ。それをごまかすように採血管を保管箱に入れ、新しい包帯を取り出した。
「今日は包帯交換しますね」
 はワゴンを移動させると、不意にガイが言った。
「なるほどな」
「え?」
 ガイの言葉の意味がわからず、は顔を上げた。
「魔の金曜日、神の水曜日の意味だ」
「なんですそれ、あ、私たちに言えないような噂話しですね〜? さては誰かお菓子でも持ち込んでるとか」
「似たようなもんだが、少し違う」
「お菓子は品物によっては見つけ次第没収しますからね」
「それは心配無用、この部屋には菓子はないからな」
「ホントかな?」
 はくすくす笑みを浮かべると、ガイは顔をそらした。はこれでもかというほどにぐるぐる巻きになっている包帯を解き、新しいものを巻き直した。はガイの足を見るたびに、なんでも治る魔法の包帯があればいいのに、と思わずに居られなかった。
「魔法の包帯か」
「えっ……私、口に出してました?」
「ああ、思いっきりな」
「はぁ、……すみません」
 は本日二度目の失態に肩を落とした。
「謝ることではない。の優しさは皆知っているからな」
 使い終わった包帯とハサミをしまいながら、は思った。今思っていることが優しさなのか同情なのか、わからなかった。先輩看護師の中には一々悲しんだり同情なんかしてたらやっていけないという人も少なくない。はそれを耳にする度に、胸が詰まる思いだったが、自分も数年後にはそんな風になってしまうのかもしれないと思え、それを否定することもできなかった。
「……そんなことないですよ。私、すぐ顔にでちゃうし、看護師向いていないかもって思うんです」
 ワゴンの中を確認しながら、はぽつりと言った。
「そうか? オレはは看護師に向いていると思うぞ」
「どうしてですか?」
「本気で相手を思っていることは言葉にしなくてもすぐに分かる。だって生半可な気持ちで看護師になったわけではないだろう」
「でも、」
「最初の気持ちを忘れないというのは、なかなか難しいものだ。だが、自分の気持ちを大切にすれば、自ずと答えは見えるはずだ」
と言って、ガイは親指を立ててにっこり笑った。
「ありがとうございます、ガイさん。でも、患者さんに悩みを話してしまうなんてダメですね」
「悩み? オレは独り言をたまたま聞いただけだ」
「ガイさんったら……。でも、ちょっと元気でました」
「それはよかった。は沈んだ顔は似合わんからな〜」
「そうですね、頑張ります!」
「おう!」
「じゃあ、私、次のお部屋に行きますね。何かあったらすぐにナースコールしてください」
 そう言って、はワゴンを押して病室を出ようとした。
「ああ、そうだ」
 その声には立ち止まり振り返った。すると、どこか照れくさそうに、ガイは言葉を続けた。
「さっき、言っておったが……その〜、……」
「あ、散歩ですね、わかりました! では、お昼に伺います。あと、パワーリストは外しておいてくださいね」
 そう言って、は笑顔で病室を後にした。が去った後、ワゴンの音が遠ざかる音とゆっくりと閉まる扉をガイはどこか物寂しい気持ちで見つめた。

 しかし、そんな余韻もつかの間だった。
 程無くして、遠慮なく開いた扉の先では、彼の永遠のライバルが物言いたげな視線でこちらを見ていた。
「良い天気だねー、散歩でも行こうか?」
と、わざとらしく言ってきたとか、言わなかったとか。


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