私が花屋になった理由

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 カカシに二度惚れただったが、そんな夢のような日々さえも忘れてしまいそうな程に、その日は多忙を極めた。予約の数は増え続け、とうとうお断りしなければならない状態になったホワイトデー当日。店に出て手伝いをしようとした母は若い人向けのラッピングを勉強するべきだったと嘆いた。

 木ノ葉の里にこんなにも流行にうるさい男子が居るとはは思いもしなかった。情報誌が『今年のホワイトデーは花束でロマンチックに』なんて書かなければ、きっとこんな事にはなっていないだろう。逆を言えば店は一年間で最も書き入れ時とも言えるわけだが、売上の事など考える余裕は今のにはなかった。数週間かけて希望の花を取り揃え、開花時期を可能な限り調整し、在庫を増やす努力をした。今年の木ノ葉の里の花屋はどこもそんな状態らしく、皆もまた他店の事を考える余裕もなかった。商店街の端にある花店は最後の砦となっているのか、すべての花屋で断られてここに来た、という客も少なくない。そんな客を門前払いするということができず、結局仕事を増やす羽目になった。冷たい水を何度も触りながら、指が千切れるのではないかとさえ思えた。
 気がつけば花という花が店から消え、数えるほどになってしまった。


「お疲れさま、随分繁盛したみたいじゃない」
 一連の噂を知っているのか、店に来たカカシはにそう言った。いつもなら「カカシさん!」と喜々として出ていくだが、さすがに今日という今日はそんな元気はなかった。もちろん気分だけはそうだったが、気力と体力は別物のようだ。空になったバケツにつまづきながら、はカカシの元へ駆け寄った。

「こんにちは!」
 は爽やかにそう言ったつもりだが、またバケツを蹴り飛ばす。
「ちょっと、大丈夫?」
「大丈夫です! あ、すみません、あのーご覧の通りで……」
 店を見渡しながら、はカカシに詫びた。
「せっかく寄っていただいたのに、すみません」
「あー、それは気にしないで。今日は別の用で来たんだよね」
「はぁ……別の?」
 カカシの言葉の意味がわからずには少し間抜けな声をあげた。
「今日が何の日か忘れた?」
「え、ああ、ホワイトデーですね、そうですとも……」
 疲れきった脳みそは伝達不良を起こしたのか、は驚くほど何も思わなかった。あるのは目の前にカカシが居るという認識のみだ。

「それでね、オレなりに色々考えたけど……これ、この前の御礼ね」
 そう言ってカカシのポケットから出てきたのは小さな小包。小洒落たラッピング、知らない店のものだ。
「え……。え、あの?」
 わざわざ自分の為にこれを持ってきたという事でいいのだろうか。は自問自答を繰り返した。
「なんでもくノ一の間で人気のハンドクリームらしくて、よく効くって話なんだけど。えーっと、誕生日とクリスマスと、それからバレンタインデーのお返しね」
 そう言って目の前に差し出されたそれがには神々しい物に見えた。きっと疲れて感情がおかしくなっているに違いない。
「そ、そんな素敵なもの頂いていいんですか?」
「もちろん。素敵かどうかはあれだけど、そのために来たんだから」
 疲れきった心にはかなりの特攻薬だ。奇麗なラッピングが可愛く、しかもそれはが知らない忍の世界の女子に人気の品だというのだ。そして、それをカカシ直々にもらえるなんて、正に夢のようだった。ハンドクリームを受け取るだけで手が震えるなんて聞いたことがない。ふと手を見ると、ガサガサであかぎれがひどい指先だった。はそれが恥ずかしくてたまらなくなった。だが、カカシが選んだ品がハンドクリームという時点ですべてが完了しているような気がした。

「とっても嬉しいです、ありがとうございます」
 疲れも吹き飛ぶくらい嬉しかった。が生きてきた十九年の中で最高に幸せなホワイトデーと言って間違いなかった。しかも、それだけでは終わらなかった。
「あとこれ、少しだけど。たまたま任務で里の外に出たから」
 そう言ってカカシが差し出したのは小さな花束だった。
って花屋だからさ、なかなか貰うことないんじゃないかと思って」
「うわぁ……奇麗……」
 花屋をしていながらこんなにも奇麗な花が里の外にあるとは知らなかった。カカシの言う通り、「は花屋だからね」と言って事あるごとに祝いの花をパスされ続けたことを一時は残念に思っていたが、今ではとてもラッキーだったと言える。なんせ人生初の花束がカカシからなのだから。
「カカシさん、ありがとうございます」
 どおりで、こぞって木ノ葉の男子が花束を買いに来るわけだ。流行りに乗っかっていい男風にしたいのも分かる。今頃木ノ葉の里の女子たちは、こんな気持ちなのだろうか。だとしたらとんでもなく幸せなことだ。自分の仕事で誰かが幸せな気持ちになってくれているかもしれないなんて、なんて贅沢なことなんだろうとは思った。
 誰かに花を貰う事はこんなに嬉しいことなのか。

「あの……ま、舞い上がっちゃっていいですか?」
 思わずそんな言葉が飛び出しカカシは一瞬何のことかと言いたげな顔をしたが、すぐに「どうぞ、ご自由に」とくすくす笑った。初めて見るカカシの様子には密かに胸を高鳴らせた。今日は沢山のものを頂き過ぎている気がした。舞い上がったついでに宣言する。

「カカシさん、私、花屋になります!」

 それは向かい側のお茶屋さんにも届く程の勢いだった。通りがかった人々が、何だと一瞬だけ振り向いたがすぐに関心をなくし商店街の奥へ進んで行く。そんな、突拍子のない話でもカカシは理解したらしく、
「というか、既に立派な花屋だけどね。四代目のさん」
と、またくすくす笑った。カカシの顔を見て、もつられるように笑った。


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