≪ 一 ≫

 あの日、砂隠れの里は大荒れの天気だった。
 あれはまだ、対戦の余波がくすぶっていた頃の出来事。



「こんな年端も行かぬガキに任せるとは思わぬはずだ」

 その一言に、は耳を疑った。
 すると、側近達が慌てた様子で次々に口を開いた。

「風影様、戦時中ではないにしても、何もお嬢様を同行させなくとも、」
「そうです、他の者に任せてみてはいかがでしょうか」
「下忍にもそこそこ見どころのある者が居ります」

 だが、そんな彼らを鼻で笑うかのように、風影は続ける。
「そうか。お前達はうちの子では話にならんと言うのか」
「いえ、そうではありません! 私はただ、お嬢様の、身の安全を……」
 四代目風影の威圧感に負けたのか、側近が発する声は次第に尻すぼみになった。
「人手不足はどこも同じだ。これくらいの任務で命を落とすというのなら、それまでの忍ということ」
 その言葉に、ついに側近も黙り込む。
 実の子—— しかも、先日五歳の誕生日を向かえたばかりの女の子に、こんな危険な任務を……。
 本当に実父なのだろうか、という無礼な疑問を抱いたのはだけではなかったようだ。皆、口にこそ出しはしないが、風影の執務室には異様な空気が漂っていた。
 
 が指示通り出国の準備をしていると、側近の一人が囁いた。
、お嬢様を頼んだぞ」
 側近の瞳には不安の色が渦巻いている。揺らぐ瞳を真正面から受け止めたの返事は短いものだった。




 と他二名、そして、風影のご令嬢とともに向かったのは、雲隠れの里の巻物を奪う任務だった。
 忍と言っても子供であることは変わりない。なんと言っても一人は五歳の女の子。
「これから何をするんだ?」
 その質問に、同行者は頭を抱えざるを得なかった。
 彼女はこれが任務だと知らないのだろう。他二人は互いに顔を見合わせ言葉を探した。
「実戦の予行練習……でしょうか」
 の言葉に、彼女は「そうか」とぽつりと言った。 

 一行は忍服を着ていなかった。途中休憩を称して茶屋に立ち寄り、警戒しながら目的地まで向かう。
 子供達だけで旅をしているように見えるのかも知れない。道中、すれ違う大人達からは飴玉を貰うこともあった。特に可愛らしい包み紙は少女の心を掴んだようだ。じっとそれを見つめていた事に気がついたは釘を指すように言って聞かせた。
「いつのものか分かりませんからね、お腹を壊したら大変です」
「わかっている……」
 この時なぜか、何が入っているかわからないから—— と言えなかった。手のひらに転がるそれが何なのか知っている上に、この長旅だ。ころんと口の中に転がるそれを想像してしまうのは無理もないだろう。じっとそれを見つめる様子に耐えかねたのもある。は徐にポケットを探った。確か、こんなこともあろうかと部屋を出る寸前に掴んできたはずだ……。
「四代目様には秘密ですよ」
 が飴玉を差し出すと、テマリは僅かに笑みを浮かべた。



 意外にも巻物を手に入れるのに然程苦労はしなかった。
 というのも、持っていたのは岩隠れの忍だとわかっていたからだ。
 岩隠れの里といえば、隣国の隠れ里。奪えば、すぐに帰郷すればいい、はそう思っていた。
 だが、対戦の残り火がくすぶる時代。そう甘い話はない……。


 奪った巻物を探しているのは砂隠れだけではなかった。
 あの木ノ葉隠れの里も狙っていると知ったのは、幸か不幸か砂隠れの忍が巻物を奪ってからしばらくしての事だった。同盟を結んだと言ってもどこまで信用できるのかもわからない。

 川の国までやって来た二人は、一刻も早く帰還しなければならなかった。
「大丈夫ですか?」
 遅れ気味になっている彼女には何度も声をかける。
「私のことは気にするな。ところで、あとの二人はどうした?」
 はどう答えるべきか悩んだ。
 適当に話をそらすか、本当のことを言うべきか。
 澄んだ瞳に見つめられ、は観念したように息を吐いた。ここで嘘をついてもいずれはバレるだろう、そう感じたのだ。
「後の二人はおそらくもう戻りません。此処から先は私とお嬢様で向かわなければなりません。いざとなったら、わかりますね」
 テマリは淡々とした表情で聞いていた。怯える様子や不安で泣き出す様子もない。
 それどころか、「そんな腑抜けた忍になるものか」とを睨んだ。気が強いところは実父によく似ている。
「さすがですね。では、先を急ぎましょう」
 テマリが頷いたのを確認し、それからは休むことなく懸命に里を目指した。



 だが、いくら強がっても五歳の女の子である事は変わりない。休憩をしながら里を目指すしかないのだが、この時、は言い知れぬ不安にかられていた。
 —— 川の国の忍だろうか。
 一瞬、はそう思った。だが、川の国の忍は里を持たず然程勢力はない。砂隠れの忍が狙われる理由もない。他里に雇われたというのなら、別の話だが。
 慣れない子供とのツーマンセルで疲れていたのか、それほどの手練なのか……。
 はいつからつけられていたのかさえ分からなかった。


「こんなお嬢ちゃんとはな」
 気づいた時には木の上から野太い男の声がした。
 はっとして隣を見ると、テマリは別の男に囚われていた。慌ててクナイを投げつけてみたが、難なく避けられてしまう。
「その子に何を、」
「気絶しているだけだ。こんな子供を連れているとは思いもしなかったが……」
 その男の方を睨むと、鋭い視線がに向けられた。 
 服装と面。それを見ればどこの忍であるか、一目瞭然だった。敵は三名、もしかすると別れて探している可能性も考えられる。
 どうするべきか——

「この子、どうします?」
 高めの声、と同い年くらいの青年だ。だが、力の差は歴然だった。よりにもよって、木ノ葉の暗部につけられるとは……。
 里を出た時から、の考えは一つだった。
 もしもの事態を想定して里を出てきたのだ。それが今、現実になろうとしているだけの事。
 二人の犠牲を出してまで、ようやく手に入れたものを、そう安々と差し出すわけにはいかない—— そう、思いはした。
 何気ない一言だった。あれは無意識だったのかもしれない。何かの用事でが彼女の母と会った時のことだ。「あの子には兄も姉もいないから」—— そう、吐露したことがあった。

 腑抜けな忍だと言われるかもしれない。
 だが、それでもいい。
 どんな罰でも受ける覚悟はできている——

「あなた方の目的は、巻物だけ、ですか?」
 の声に耳を傾けたのは、犬のような面をした男だった。
 冷やりとするのは、山風のせいだけではないだろう……。
「そうだ、と言ったらどうする」
 時折、銀色の髪の毛が揺れる。面の下の表情は窺い知ることはできない。たが、淡々とした口調から、かなり“慣れた忍”だと悟った。時折、日の光で見える瞳に息を呑む。

「その子を返していただけるのなら、巻物は、お渡しします……」
 その言葉に、木の上の男がくすくすと笑い始めた。砂隠れのくノ一はその程度かと言っているようだった。現にその忍は「お前の所の長は何を考えているのやら」と愚弄した。彼女がこれを聞いていないのは幸いだ。
「彼女を連れていくというのなら、巻物はここで破り捨てるまで」
「本物という確証はない」
「これが偽物という確証もありません。火影はきっとこの巻物が必要なはずです」
「なら、この子を先に始末するのは?」
 そう言って、テマリを捕えている男が彼女の喉元にクナイを突きつけた。それと同時に巻物がビリっと裂けていくのに気がついたのは、目の前の男だった。
「なるほど」
 そう言うと、男はクナイを下ろすように指示を出した。

「ならば、取引は平等。同時交換が基本だ」
「取引……、応じるつもり?」
「ああ。オレたちの任務は巻物を持ち帰る事だ。人質を連れ帰れとは言われていない。もちろん、殺せとも言われていない……おい、そのクナイを下げろ」
 その言葉に、一人の男がこちらに聞こえる程のため息をついた。
「……では、一対一ということになりますが」
「いいだろう」
 
 目の前の男がテマリを引き取り、無言でこちらを見つめた。
 心臓の鼓動が身体中に響いているようだ。は男にこの心音が聞こえているような気がしてならなかった。
 そして、テマリを胸に抱きしめた瞬間、巻物は手の平から消えていた。

「あの、……」
 その声は届いていたのかわからない。
 呆然としているの事など気に留める様子もない。本物と判断したのか、木ノ葉の忍達はあっという間に消え去った。

 —— 私は安易に情報を渡す愚か者だ。
 どんな処罰も受ける、はそう覚悟をしていた。

「木ノ葉に巻物を奪われた。そう言っておけ」

 テマリを受け止めた瞬間、木ノ葉の忍はそう囁いた。