≪ 五 ≫

「頼まれてくれないか」

 珍しく執務室に呼び出されたは、その内容を知り少々驚いた。
 だからと言って、里の長が詫びる事など一つもない。どんな事でも引き受けるに決まっているのに、五代目風影は時折このように謙虚な部分を垣間見せた。


「承知しました、風影様」
「世話の焼ける姉ですまないな」
 風影はほんの少し笑みを見せた。
「いえ、そのような事は……」
 その様子を見ていた側近が「でもよ」と口を挟む。
「普通、忘れるか? 平和ボケにしては早すぎるじゃん」
 木ノ葉の通行証を見つめながら、彼は呆れた顔をした。その様子を見た風影は苦笑いを浮かべた。
「ここにテマリが居なくてよかったな」



 あの人はどうしているだろうか——
 洗濯物を干している時だったり、あるいは会議の書類を眺めている時であったり。ふとした瞬間、はそう思うことがあった。
 だが、これと言って何かするわけでもない。何かしようとも思わなかった。
 が再度その姿を目にしたのは開戦前の集合場所だった。最後尾にいたこともあり、先頭に居る人物は豆粒程にしか見えなかった。周りの忍達の話す内容で、それがあの忍だとはようやく理解したほどだ。先の大戦では、それはもう言葉では言い尽くせないほどの活躍ぶりだったと聞く。「とにかく凄かったのよ」としか言わない元封印班のくノ一の言葉だけが、が知る彼についての最後の情報だった。


 テマリと合流し忘れ物を届けたら、川の国の宿で一泊し、すぐに砂隠れの里へ戻る—— その予定で動いていたはずだった。
 翌朝、立ち寄った宿で身支度を整えていると、窓の外側の手すりに鷹が一羽止まった。必要以上に羽をばたつかせることもなく、窓枠を二、三度突くと、そこからじっと行儀よくの様子を見ていた。こんな行儀の良い鷹は他にない。

 急な変更というのはよくある話だ。風影の鷹から受け取った地図を、は澄ました顔で広げた。右を見ても左を見ても緑ばかり。里とは正反対の景色に首をかしげたくなった。早道になるという三本目の松の木というのはどの三本目を意味しているのだろうか。右か、それとも左か。右側とは木ノ葉の里を見て、という事なのだろうか。カンクロウが書いたと思われる走り書きのメモを見ながら、は小道へと足を向けた。獣が出てきそうな山の中というのは、にはあまり経験のない事で、より注意を払わなければならなかった。先を急ぎたいところだが、念には念を入れ、雑木林の方から物音がする度にはクナイを握りしめた。
 ここはあの山の中とよく似ていた。
 必死にテマリを連れて走った日のことを懐かしく思っていると、目の前に現れた人影に足を止めた。

「ずいぶん探したよ」
 その声の主をは思わず凝視した。探されるような事は何一つしていないつもりだ。
「凄く遠回りしてるの、気づいてないのね」
 そんなことはない、そう思いながらもは地図と景色を見比べた。だが、正直なところ、一度宿まで引っ返そうか、そう思わないでもなかった。赤い丸印がカカシにバレてはたまらない。それを悟られないように、は地図を畳んで見えなくした。
「そろそろ着いても良い頃なのに、って誰かさんが心配してるよ」
 風影からの手紙はテマリにも届いていたらしい。きっとやきもきしているに違いない。
「……でも、どうしてあなたが?」
「人探しは得意だから」
 と、カカシはくすりと笑った。


 
 木ノ葉の里の正門が見えた時、テマリが眉を寄せて近づいてきた。そして、の姿を見て、ほっとした様子で息を吐いた。
「遅いぞ。何かあったのか?」
 訝しげにテマリはの方へ詰め寄った。
 さて、どうしたものか……。
 仮にも上忍である自分が迷ったなどと言えば、一日中嫌味を言われかねないとは思った。それよりも、風影の耳に入る方が心配だ。しっかりと「承知しました」と言っておきながら、失態を演じたことになるが……仕方ない。
「それが、」
 にかぶさるように口を挟んだのはカカシだった。
「ちょっとトラブルがあったみたいでね。ま、良かったじゃない。無事着いたんだし」
 その言葉を聞いたテマリは他にも思うことがあったのか、が持ってきた通行証を手に取ると、「確かにそうだな」とそれ以上理由を聞くことはなかった。


 木ノ葉の通行証—— それがどれほど便利な代物かは身をもって思い知った。
「いつもこうなのですか?」
 の言葉に手荷物検査をする忍は「そうですよ、この時間は少ないほうですけど」と言う。夕暮れ時だと言うのに、木ノ葉の里はとても賑わっていた。テマリのような武器を持っていないにもかかわらず、が所持していた手裏剣やクナイの数までしっかりと記録され、里に来た理由まで書かなければならなかった。それらを一通り済ませたと思えば今度はその証明が必要だと言う。
「視察ですね……では、証明書をお願いします」
 テーブルには形式の記入例の用紙が貼られていた。当たり前だがはそれを持ち合わせていなかった。
「これでいいですか?」
 が検査員に風影の捺印付きの手紙を見せると、その忍は少し驚いた様子で通行の許可を出したのだった。

 一通り検査を終える頃にはすっかり日が落ちていた。門をくぐれば、木ノ葉の里の中。
 さあ、これからどうしますか?
 しかし、そう投げかけたはずの相手は姿を消していた。その代わりにそこに立っていたのが、あの男だ。
「必要でしょ」
 差し出されたのは木ノ葉の里のパンフレットと観光用の地図。視察に来たはずだが、……確かに、地図は必要だ。そう思ったは素直にそれを受け取った。
「ありがとうございます」
 前を進もうと一歩足を踏み出したところで、は一向に立ち去る素振りを見せないカカシに気がついた。もう結構ですよ、そう言うつもりでいたのだが、
「木ノ葉の里は初めて?」
「はい」
「じゃあ、色々教えてあげないとね」
 カカシはどこから行こうかと呟いたかと思えば「あ、」と思い出したように続ける。
「自己紹介、まだだったよね。オレは君の案内役のはたけカカシって言うんだけど……」
「案内役?」
 そんな話は聞いていない。はカカシの方を見つめた。それに、いまさら自己紹介とは改まってどうしたのだろうか。そう思ったが、はずっと「君」と呼ばれていた理由に気がついた。
「私は砂隠れの忍のと申します」
 考えてみれば、一度も名乗った記憶はない。
 あの時も、あの時も——
 もう会わないだろう、そう思っていたからだ。

「じゃあ、よろしくね。
 そう言って、カカシは笑みを浮かべた。
「……こちらこそ、よろしくお願いします。カカシさん」



 木ノ葉は噂通りの綺麗な緑、そよ風がとても心地よい場所だった。最近は里内への移住者が多いらしく、一般人の姿がよく目立つ。きっと、この里はこれからもっと栄えていくのだろう。
「少しは参考になりそうかな」
というカカシの様子は以前と少し違って見えた。どこか、晴れやかな雰囲気がある。
「どうかした?」
「……いえ。とても素敵な里ですね」
「そう? でも、夜空は砂隠れの里に敵わないかな」
 すっかり暗くなった夜空を見つめるカカシには言った。
「そんなことないですよ、空はずっと繋がっているんですから」
 木ノ葉の里の夜空を見つめながら、は里の事を思い浮かべた。きっとあの場所でも、今夜は綺麗な星空が見れるのではないだろうか。





 それからしばらくして、木ノ葉の里には新しい火影が誕生した。
 そしてその日、砂隠れの里は朝早くから五影会談の準備が行われていた。忍達は皆忙しなく動き回る。が風影の執務室の前を通りかかると何か揉めている声がする。
「オレのほうが美的センスに溢れているに決まってるじゃん」
「美的?……お前のセンスはどうなってるんだ?」
 そんな事を言いながら、数人が見つめているのは風影の執務室へ飾る生花だ。
「なあ、はどう思う?」
と、問いかけられた事に気づきながら、がその声に答えることはなかった。


「お待ちしておりました、火影様。控室はこちらでございます」
 は手荷物を預かろうと向き直った。
「元気そうだね」
「……お陰様で。」
 カカシさんこそ、そう言いかけては口をつぐんだ。二人の背後を砂の忍が通り過ぎ、廊下の奥の方からは「を見ていないか」と上役の声がする。
「お呼びのようだよ?」
「そのようですね……」
 カカシはくすり笑みを浮かべて言った。
「また今度ね」
 は小さく頷き一礼し、次の仕事を進めるべく声のする方へ足を向けた。


 会談中、外で警備をしていると手持ち無沙汰になったのか、突然若手の忍が木ノ葉の六代目について知りたいと言い出した。その一言に興味を持った周辺の忍達は口々に言った。強い、賢い、そんな言葉が多く飛び交った。「じゃあ、暗部時代ってどんな感じだったんですか?」という忍に対し、「ここに知ってる奴が居ると思うか?」とベテランの忍がわざとらしく大きなため息をついた。誰かが付け足すように「居たらそいつは幽霊だな」と確信めいた口調で言った。殆どの忍が笑う中、若者だけがきょとんとした顔をした。
 そんな彼らの談笑に時々相槌を打ちながら、は黄土色の世界をじっと見つめていた。