≪ 二 ≫

 他里の忍だ、もう二度と会うこともないだろう。
 あの時、は心のどこかでそう思っていた。



 あれから十数年。
 時は過ぎ、四代目風影は思いもよらない形でこの世を去った。新たな風影が誕生する頃には、テマリは立派なくノ一となった。それはにとって、あっという間だった。は今でもあの日の事を事細かに話せる程鮮明に覚えていた。一方で、彼女にとってあの出来事は幼少期の雑多な記憶の一部に過ぎず、なんとなく覚えている、その程度に留まっていた。だが、“国外から生き残って帰ってきた”ということだけは理解していたらしい。そのためか、何かある度に「は命の恩人だ」と言うものだから、は居心地が悪かった。
 

 そんなある日の事。風影が攫われるという非常事態が起きた。
 上役は慌てふためいた。もちろん、もその騒動を傍観しては居られなかった。何度も警備の確認をし、里の中を行ったり来たりと忙しない。そうこうしている間に、ついに風影の兄まで敵の手に掛かってしまった。僅かな情報を頼りに動かざるを得なかった。風影不在中、有望な忍までもがいつ命を落としてもおかしくない状態という一大事。皆が不安な日々を過ごす中、一つ朗報が入った。伝令に出していたタカ丸が帰ってきたのだ。武器庫に居た忍は皆喜んだ。もちろん、もそのうちの一人だった。
「木ノ葉の忍が助けにきてくれるらしいわよ」
 くノ一の一人が忍具の数を確認しながらに言った。タカ丸が伝令を送ったのは木ノ葉の里だったらしい。
「木ノ葉……テマリさんは」
「さあ、多分一緒じゃないかしら」
「木ノ葉からは誰が?」
「上忍とその部下が来るみたい。チヨ様は誰が来てもどうせろくでもない奴だって言ってたわ」
 確かに砂と木ノ葉は同盟国だった。
 だが、今までのことを考えると同盟国だなんて名ばかり、そう言う者も少なくなかった。
「そんなことないよ……」
 そのつぶやきに答える者はいなかった。



 それから三日後、彼らは約束通り砂隠れの里にやってきた。
 その一行を目にしたは、驚いた。
 しかも、あろうことか彼らの案内役になってしまったは再びあの男と顔を合わせる事となったのだ。

 が処置室の廊下の片隅で待機していると、バキがこちらにやってきた。出発は明日になったという。
「宿の部屋は空けてあるか?」
「はい」
「彼らをそこに案内してくれ」
「承知しました」
 は彼らの方へ歩み寄ると、小さく頭を下げだ。「こちらへどうぞ」と先を歩く。
 
 後ろを歩く彼らに里の忍達の反応は様々だった。助っ人だと喜ぶものも居る一方で、詳しい事情を知らない忍達は物言いたげな視線を向けた。
 部屋の鍵を渡し、はできるだけ彼らと視線が合わないように気を配った。
「これはくノ一に。こちらがあなた方の分です。お二人は同室になります。何かあれば、上の階までいらしてください。警備が待機してますので……」
「了解」
 鍵を受け取とろう差し出された左手に、は思わずあの時の光景が過った。
 間違いない。ビンゴブックにも載っていた。
 震えた自分の指先に気づき、はすぐにその手を引っ込め、軽く拳を握った。目の前の男が「これ、サクラに渡しておいて」と青年にその鍵を手渡すと、その青年はあっという間に居なくなってしまった。
 その場に残されたは目の前の男、はたけカカシから視線を外すのが精一杯だった。あの時を思い返すと忍としてあまりにも滑稽に思えて仕方がなかった。
 それに、十数年も前の事だ。
 もしかすると、あっちは忘れているかもしれないし、気づいていないかもしれない。
 はそう思った。

「案内役のくノ一って、君のことだったの」
 その言葉を聞く瞬間まで——



 が反射的に顔を上げると、黒い瞳がじっとこちらを見ていた。あの時分からなかった面の下が、はっきりとの視界に飛び込んでくる。鋭い視線ではなかったが、はどうしてもその目を直視できなかった。
「覚えていらしたんですね……」
 ぽつりと呟いたに、カカシは言った。
「やっぱりそういうこと。なんか、見覚えがある気がしたんだけど」
 あの時と同じように「なるほどね」というカカシに、は何と言っていいのか分からなかった。
 の知るカカシの印象とは随分違う。まんまと鎌をかけられた自分が恥ずかしかった。考えてみれば、カカシは元暗部。綺麗さっぱり忘れている—— そんな事があるはずがない。
「まさか、こんなふうに会うとはね」
「……」
 —— もう会わないと思っていたのに。
 そう言いかけて、は慌てて口をつぐんだ。
 あの時の貸しはどうなったのか。そう言われたらと思うと、カカシの顔を見ることができなかった。少しの沈黙の後、いつまでも足元を見つめているの心情を察したようにカカシが口を開いた。
「でも、はじめましての方が正しいかな」
「……え?」
「あの時会ったのは、旅人の途中のどこかの忍だったはずだから」
 そう言って、カカシは目を細めた。その表情はが想像したものとは随分違っていた。あの冷たい印象はなんだったのだろうか。そう思う程に、その目は暖かい。
「あの事は誰かに?」
「いいえ……」
 四代目も同行した忍ももうこの世には居ない。今、あの状況を説明できるのは、自身とカカシだけしか居なかった。
 の言葉を耳にしたカカシは、「そうか」と呟くと、続けて言った。

「なら、——
 カカシの提案には戸惑った。


 —— あの時、
 は四代目風影に嘘をついた。
「巻物は、木ノ葉の忍に奪われました」
 そう言って、頭を下げた。

 帰郷すると、里の者は安堵と驚き、そして落胆の入り混じった表情をした。二人も犠牲を出したのに、大事な巻物は奪われてしまったのだ。もう忍は続けられないかもしれないと上忍の誰かが言った。だが、四代目風影は怒りもしなかった。落胆しすぎて怒る気力も無かったのかもしれない。または、木ノ葉の忍なら仕方がない、十三歳の忍なら生きて帰っただけマシだ、そう思ったかもしれない。
「下がっていい」
 風影はに一言述べただけだった。


「それじゃ、また」
 そう言い残して、カカシは部屋へ入っていく。
 交代を知らせに来た警備班に声をかけられるまで、はその場に立ち尽くしていた。