空蝉-第一章-

 正午過ぎのこと。この日の里の天気は雲ひとつない青空、快晴である。

「任務前は糖分補給しないとね」
 彼女は竹串を手に取ると、あん団子を口に運んだ。そんな彼女を見て、向かい合わせに座っていたも同じようにヨモギ団子に手を付けた。すると、彼女はの皿を見て怪訝そうな顔をし、また一つ団子を口にした。

 彼女の名はやなだツヅリ。の友人だ。そんな彼女の好物は団子—— ではなく、あんこである。あんこがあれば幸せというくらいに好きだった。そして、彼女は子供の頃から活発だった。交友関係は幅広く、狭く深いとは対照的な女の子だった。たとえば、この団子一つにしてもそうだ。はあんこが苦手だった。粒あんだろうがこしあんだろうが、白あんだとかうぐいすあんだとか、関係なく。
 が団子を一つ口にしていると、ツヅリはさっそく店の外に向かって手を振った。そして、団子と同様、には彼女のように、見かけたらすぐに声をかけたくなるような人も居なければ、かけられることもなかった。


 木ノ葉の里にはいくつか団子屋があるが、里を知る者であれば団子屋と言えば真っ先にここだと答えるだろう。店主のたまえが作る団子は忍の間でも評判だった。アカデミー帰りのおやつから始まり、任務帰りの腹ごしらえ、待ち合わせをしたり、井戸端会議が始まったりするのもここだった。
 そんな“いつもの団子屋”に来ると、ツヅリは決まって道路側が見える席に座った。それに対し、はいつも彼女と向かい合わせに座った。これは昔からの定位置だ。そのおかげか、壁に貼り付けられた手書きのメニュー表を意味もなく暗記している。が初めて見た手書きのメニュー表も今ではすっかり文字が薄くなり、紙は薄茶色っぽい色へと変化していた。この店の売れ筋は三色団子、そしてその次があんこ、みたらしが同順位できなこに黒蜜がけと続く。それら一般的なメニューの後半にヨモギ団子が加わるのだが、若い忍たちの間では決して人気の高い部類とは言えなかった。

「お、ツヅリ。今日は非番か?」
 頬に傷のあるその忍に会釈をすると、「よう」気さくな返事が返ってくる。
 ツヅリはさっそく声をかける。
「ライドウさんはどうしたの?」
「オレは今から打ち合わせだ」
「へー、いつも大変だね」
 特殊任務が多い特別上忍の彼らは、こうして時々呼び出されているらしい。二人の会話を聞きながら、は湯呑に手を伸ばした。すると、店のカウンターの方から「今日は10本でいいのかい?」と店主の声が聞こえた。その客が誰であるのか、想像するのは簡単なことだ。それはこの団子屋で一番の常連客だった。
「ほら、やっぱりこれって邪道だよ、邪道。アレが本物」
 ツヅリ曰く、カウンターの前で袋と別に彼女が手にしているぽってりとあんこが乗ったものこそ、真のヨモギ団子なのだという。あんこが上に乗っていなくとも団子自体はヨモギである。それのどこが邪道だというのだろう。確かにこの店では決して人気の部類ではないが……。やや不服そうに団子を頬張るを彼女は面白そうに見ていた。
 そんな時、の肩に雀が止まった。それはつかの間の休息の時が幕を閉じだ瞬間でもあった。
「ちょうど団子を食べ終えた時……つまり、誰かがを監視してるってことだわ」
 ツヅリはこんな冗談を真顔で言った。もちろんそんなはずはない、偶然である。たまたまタイミングよくやってきただけだ。監視下に置かれるようなやっかいな忍ではないと自負している。こんな冗談に一々誰も驚きはしない。常連客は団子の入った袋を手にし、ライドウと共に店を後にした。が彼女の後ろ姿を見送ると、ツヅリが言った。
も早く行かないと怒られるんじゃないの?」
 彼女は最後の団子を口に含むみ私も行かないと、とさっと席を立つ。
「じゃ、またね」
 そう言って、彼女はぽんっと音を立て、煙と共に消え去ったのだった。




「遅くなりました」
 小走りで情報部に入ると、早速「遅いぞ」と言う声が聞こえてきた。待ち構えていたようにこちらに視線を向けられたは後悔した。
「いいか、お前はまだ新人だ。そんなんじゃいつまで経っても独り立ちできないぞ」
 作業場へ入るや否や説教を始めたのは、よりも5つ歳上の先輩、独楽マワシである。メガネが唯一のトレードマークで、最近は新人指導に力を入れている。そして彼は若手有望株であり情報部の期待の星、そうは思っている。
「だいたい、お前はな、」
 声が小さい、熱意が足りない、もっと自信をもて。
 いつもこの三拍子が始まるのだが、今日は違った。
「そう言うな。ちゃんと5分前に来てるじゃないか」
 また説教を始められては困ると言わんばかりに助け舟を出したのは、の上司である山中いのいちだった。
「いのいちさんはに甘いんですよ!」
「そうか? そんなことないと思うぞ。が遅いというのなら、あいつはどうなる?」
 そう言って、いのいちはこっそりと扉を閉めている男を指さした。すると、標的は後ろの男へと移り、は事なきを得ることになった。また説教を始めるマワシをみて、いのいちはため息をついた。
「熱血なのはいいんだが……」
 誰にでも一長一短あるもので、上手くバランスを取るのはなかなか難しいようだ。
 だが、マワシの言うことは一理ある。
「いのいちさん、私は何をしたらいいのですか?」
 こうして指示を仰がなければ何一つできない。それがの現状だった。

「暗部から上がってきた報告書だ。目を通し終わったら、今日は実践といこう」
「了解」
 いのいちからバインダーを受け取り、さっそく目を通す。

 捉えられた男は四十代前半。数々の修羅場も乗り越えてきたベテランの忍である。額当ては岩隠れのものではあるが、この男がそうであるかは今のところ判っていない。尋問部にいかないということは、何かあるのだろう。このバインダーは遅れてやって来た彼にも渡すべきだ、そう思い後ろを見ると「今日は実践でしょうか!」と意気込みながらも、見事撃沈している彼の姿を目にした。どうやら彼は先週に引き続き書類整理をすることに決定したようだった。

、そろそろ始めるぞ」
「はい」
 指示された場所ではさっきまで説教をしていたマワシが待ち構えていた。手本を見せてくれるつもりのようだ。
「宜しくお願いします」
「足をひっぱるなよ」
「精一杯がんばります……」
 普通なら「もちろんです!」と答えなければならない所ではあるが、正直な所その自信はないというのがの本音だった。
 情報部には解析班がある。解析といっても様々で、本当に資料を解析する場合もあれば今のように人の記憶を見ることもある。かと思えば医療班と共に遺体の解剖、検視、検案に参加することもあり、時には暗号部に助っ人に出かけたりと何かと忙しい部署だった。そんな情報部という特殊な部署にが配属されたのは数年前。ただでさえわからないことだらけなのに、わからないことを探さなければならないのはにとって毎日が試練のようだった。忍になり早十年近く経とうとしているというのに、ここでは未だに新人扱いされていた。担当もまだ決まっていないのだから当然のことかもしれない。

「何が起るかわからないからな。変なことがあったらすぐ言え」
「了解」
 それでも時にはこうして実践を交えることも多々ある。新人育成とはいかに手間のかかることか。装置を装着しすっかりおとなしくなっている捕縛者を見ながら、自分がこんなことをされたらたまったものではないとは思った。忍術で支配された脳内は情報として見ることができ、それらは巻物になり一定期間保管され続けるのだ。あんなことやそんなことも見ようと思えば見ることができる。例えば、今朝何を食べてきたか、得意な忍術は何か、秘密にしている日記帳の中身までも。
 先輩と同じように印を結ぶと、はそれに集中した。見ることができるのは本当にほんの一部分でしかなかったが、それでも沢山の情報が出てくる。人は右に進むのか、左に進むのかなどだけを選択しているわけではない。朝起きて、顔を洗う。この一連の動作さえ選択して生きているのだという。そのため、ほとんど無意識の中から意識的なことを見つけ出すのは比較的簡単だ、といのいちは言うのだが、はっきり言ってはまだその段階ではなかった。

 とりあえずとは先輩が指示した部分に目を通した。この男は妻子持ちで、好きな食べ物はお好み焼きと冷麺。嫌いな食べ物は奥さんが作る青椒肉絲。ピーマンが嫌いなようだった。ピーマンが嫌いならば奥さんに言えばいいだけではないだろうか、とそこまで考えはまた別の物に目を通した。好きな女性のタイプはロングヘアーの……。
 どれもこれも不要な情報ばかりだという判断はきっと間違いではないはずだ。こんなことまで延々と巻物に書き出していく必要はあるのだろうか。
「マワシさん……」
 は隣に向かって訝しげな視線を送ると、咳払いが聞こえた。
 ピンポイントで必要な情報を得るというのはなかなか難しいもののようで、ただ時間だけを消費していくことも少なくはない。
 そんなことを繰り返している間にもいのいちはものすごい速さで記憶をたどっている。「あのレベルになるにはまだまだか」と珍しくマワシが弱気なことを呟いた。実力もそうだが、実戦経験、直感も重要だ。だが、いつまでもわけがわからないと言っていられるほどのんびりとはしていられない。案件は次から次へとやって来る。


 どれくらいそうしていただろうか。
 これもまた必要のないものだろう。そう思いながらも、は一点に視線を向けた。
 それは、森の中を駆け巡りながら、誰かと話をしていた記憶のようだった。

『おい、早くしろ』
『悪いな、ちょっとてまどっちまって』
 彼らがはそんな会話をしながら走っているのは森の中。こんな山深く広大な場所はここ、火の国以外ありえないだろう。しかも、つい最近のことだと見受けられる。その理由は彼からがツーマンセルで動いているからだ。余程腕に自信がない限り、のんびりと会話をしながら敵地に入り込む、なんてことは普通はしないものだ。
『その下、見てみろよ』
『は? どこだよ』
 男の視線が左右に揺れ動いた。
『ほら、あの倒木の跡の近くいるだろ、ウサギが』
 そう言って、何度か揺れ動いた視線がようやく定まった。
『ああ、居るな。可愛いもんじゃねーか。じゃ、ここは頼んだからな』
 と、男はその森を抜け出した——


 が目にした記憶はそこまでだった。
 どうやらここも空振りのようだ。がわかったことといえば、この男の食べ物と女の好みくらいなもので、これと言って何かに繋がりそうなことはなかった。

 結局、何の収穫もないままは一旦作業を止めることになった。気がつけば作業に入ってから数時間経過していた。休憩室へ向かいながら、出てくるのはため息ばかりだ。
「こいつもハズレかな」
 コーヒーを飲みながら、マワシがぽつりと呟いた。あれだけ時間を割いても何もわからない、そんなことも本当に年に数回起こり得るのだ。
 情報部に居て辛いのは結果が出せない時なのかもしれない。誰かが犠牲になっているのに、何もわからない。そうしている間にも、また誰かが犠牲になる。も何度も目にしてきたことだ。

 二人の重い空気に割り込んできたのは、別の部屋で作業をしていた忍だった。
「気ばかり焦ったって仕方ないだろ。休憩は休憩。あんまり考えると分かるもんも分かんねーぞ」
 いのいちよりも大分年上に見えるその忍もまた、捕縛者と同様に修羅場をくぐり抜けてきた忍でもある。説得力を持たせるには十分だった。
「あいつは絶対に何かあるはずだ。なんせあれを捕縛したのはあのろ班だからな」
 そう言って、男は缶コーヒーの蓋を開けた。
「ろ班?」
 思わず呟いたの一言に、男は「そうか、」と思い出したようにいう。暗部の事は口外禁止ということもあり内部事情を知る者は限られているからだ。
「お前、歳はいくつだ?」
「19です」
「19……ん? ひょっとして、あいつと同期か」
 —— あいつ?
 は一瞬、ぽかんとした表情を浮かべた。
「ほら、はたけカカシだよ」
 はたけカカシ。もちろん知っている。知らないほうが変だ。例え同期でなくても知っている忍の名である。彼の名は他里の忍でさえ知っている。しかも、通り名つきで。
「そうです。一応……」
「じゃあ、いのいちさんも期待するよな」
 はこれまた意味がわからないという顔をした。そんなを、男はははっと笑う。
「お前らの年は当たり年なんて言われてな、俺らの間じゃ結構噂になったんだぞ」
 それは初耳である。そして、はとんでもなく恥ずかしくなった。何が恥ずかしいのかと言えば、そんな世代に生まれながら全くもって取りえのないことだ。一世代を一括りにされては困る。
「でもまあ、はたけカカシって言ったら彼は特別ですよ」
 マワシは意味深にその男の方を見つめた。
「特別か……」
 男はそう呟くと、たばこに火をつけた。途端に休憩室は煙が漂い始めた。少し懐かしい、昔ながらのたばこの匂いがした。

一、過去への見開き

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