空蝉-第一章-(注)

「あなた、検死は初めてかしら?」
 担当責任者の問いかけにが頷くと、彼女は小さくため息をついた。白衣とマスクに身を包み、出ている部分は目元のみ。名乗られるまで、彼女がツヅリの上司であったことに全く気がつかなかった。

「今日は記録係って聞いているけど、よく見ておいて。しっかり勉強していきなさいよ。それが、彼女にできる最後のことでもあるんだから」
 念を押すようにそう言われ、はただ頷くしかなかった。
 彼女はツヅリのことをよく知っているくノ一の一人だ。悲しくないはずはない。しかし、あまりにもあっさりとしていて、はそれが不快だった。「彼女に感謝するのね」と言われた時にはどう返事をしていいものかわからなかった。感謝なんてできるわけもない。もっと早く原因がわかっていれば、こんなことにはならなかったのだから。まるでサンプルでも扱うかのように、淡々と作業を進めている姿に苛立ちを覚えたほどだ。ここでは情報部のように勝手に巻物になるわけではない。一字一句間違えのないように、文字に起こす。そうすることで、どんな状態であったか詳細が浮かび上がる。

 この部屋には心電計は必要なかった。電子音もなく、聞こえてくるのはカチャカチャと器具同士がぶつかりあう音、粘着質な鈍い音。慌てず、ゆっくりと進められていく。一つ一つ丁寧に探りながら。細胞をこそぎ取る仕草は治療とのそれとはまるで違っていた。それらは戦争で亡くなった人たちを見るのともまた違っていた。情報部に入った時に一通り研修を受けはしたが……。それとは比にならないと、は思わず目を逸した。自分にはこれ以上無理だと喉まででかかったが、そんなことを言うのは彼女に対して失礼なのではないか、と、ふと思った。それ以降は目を逸らすこともなく、なりに真剣に向き合った。
 しばらくしてわかったのは、ツヅリはチャクラを使い切ったわけでもなく、術で攻撃された致命傷があるわけでもないということだった。

「致命傷がないとすると、あとは……」
と、その上司がぽろりと言った。その言葉に続くように他の忍が口を挟んだ。
「でも、薬剤の知識は他の忍よりもあるはずですよ」
「彼女よりも詳しい忍も居るわ」
 彼女は切開した部分を縫い合わせながら反論するような口調で答えた。が思うよりも、その手つきはずいぶん雑なもののように見えた。がその手元を見つめると、視線はそのままに、語りかけるような口調で、「時間が経つと、縫い合わせるのも大変なものなのよ」と呟いた。終始淡々としている。当たり前と言えば当たり前なのだが、やっぱり、とはマスクの下で唇を噛み締めた。最後に彼女に対し、「お疲れ様」という声があったことが、せめてもの救いだった。

 気がつけば、時刻は深夜に差し掛かっていた。正式な書類は明日書き上げるということになった。
「卒倒すると思ったけれど。顔を青くするだけで済むなんてね」
 意外だったのか、感心したようにマスクを取った彼女は呟いた。正直に言うと、いつ気を失ってもおかしくなかった。これが赤の他人、全く知らない忍ならばとっくに倒れて使い物にならなくなっていたに違いない。
「あ、B欄は空けておいてね。そこは私しか書けないから」
「了解」
 は書類に付箋を貼り付けると書類を捲る手を止めた。
「あの」
「何?」
「……ツヅリは、このままですか?」
 手術台に乗せられたまま、彼女はここで一夜を明かすのだろうかとは不安になった。
「いいえ。一旦霊安室に移動するから、ご家族の方が面会に来るはずよ」
 ツヅリの元上司は何かを確かめるように、バインダーの書類に視線を落とした。

 ツヅリの家族は元忍だ。ツヅリからは第三次忍界大戦で負傷し引退したのだと聞いていた。だが、この状態を見たらなんと言うだろうか。大事な一人娘が自分よりも先立ってしまったことをどう思うのか、には想像もできないことだった。もしかしたら、恨まれるのではないか、そんな思いもあった。今までにも火影室や検死室に乗り込んでくる者を見たことがあった。怒りと悲しみに満ちた形相をして、采配ミスなどと罵る。そして最後には「忍になんかさせるんじゃなかった」と吐き捨てる。火影はもちろん、いのいちのようにベテランともなれば、すっかり慣れた様子で上手い具合に説得をして事を収めるのだが、自分にはとてもそのような対応はできないと思った。




 次の日。早朝から書類を書き終えたは一旦自宅に戻った。クローゼットの中から喪服を取り出し、それに袖を通しながらもどこか上の空だった。ただでさえ間に合いそうにないのだから、もたもたしている時間などあるはずがない。しかし、早く行かなければならないという思いはあるものの、本当にそれが彼女のものであるという実感が沸かなかった。昨晩のこともすべて夢であったら、などと考えたところで、時計の針が逆戻りすることはない。今も刻々と時を刻み続けている。
 それからしばらくして、ようやく現実を直視したは慌てて玄関を飛び出した。家を出た時には晴れ間が差していたはずなのに、あっという間に曇り空へと変わっていく。ぽたりと頬に落ちた雫は、徐々に激しさを増していった。本降りになった空模様にかまう暇もなかった。
 そして、赤い欄干の橋の上に差し掛かった時。前から来る人物とはたと目が合った。だが、それは朗らかなものではなかった。強張った顔をしていて、にはこちらを睨んでいるように見えた。
「今更こんなところで何してるのよ……」
 刺々しい口調の彼女は同級生、アカデミーでは同期だった。
「一番仲が良かったの、じゃないの?」
 彼女の口ぶりから、とっくに葬儀は終わってしまったのだと知る。
 泣いているのか、何度も鼻をすする彼女に寄り添う人物もまた同級生である。彼女たちは元忍、今は家の手伝いをしていると風の噂で耳にした。
「ねえイト、もう行こうよ……、私達とは感覚が違うんだよ」
 ナタネは彼女の肩を抱いてこちらを見据えた。睨みこそしないが、何か物言いたげな視線を向けられ、は目を逸らすこともできず、二人が自分の隣を通り過ぎるのを待つ他なかった。
 二人が向けた視線と似たものをは里の者から向けられたことが何度かあった。一度目は「お前たちのせいでせがれが死んだんだ」といきなり老人に胸ぐらを掴まれそうになった。その時はたまたま近くを通りかかった忍の男が助けてくれた。二度目は里の外へ任務に出ていた時だ。「お前たちが戦争なんかするせいで」と子供に石を投げられたこともある。そんな時は黙ってやり過ごすしか無いのだと先輩から教わった。それらに共通することは、皆大切な人を亡くしたということだ 。




 呼びかけに答えるように視線を向けると、その先では二人の男が立っていた。同級生であり、彼らは現役の忍である。二人ともアカデミー時代もとても目立っていた。声をかけてきたのは、おかっぱ頭をした方、マイト・ガイだった。
「こんな所にいたのか。紅が探していたぞ」
「あ、うん……」
 それは自身も驚く程に、情けなく弱い声だった。そのせいか、責めているつもりはないんだとガイは困ったように言った。もしかしたら、さっきのやり取りを見ていたのかもしれない。そんな気がした。
「今から団子屋に行く予定なんだが、もどうだ? 紅とアスマも居る。そうだ、カカシも来る」
 ガイは隣の男、カカシの肩に手を回した。元気づけようとしてくれているのだと傍目でもわかるくらい明るく振る舞った。そんなガイをカカシはやや冷ややかに見ていた。そしてため息をつき、呟く。
「そんな約束してないから」
 それにガイが黙っているわけがなかった。空気が読めないだの、こんな時こそ気をつかえだの、彼の小言は尽きる様子はなかった。

 一方。二人を目の前に、はまともに視線を合わせることができなかった。昨晩、はカカシに頼み事をしていた。暗部の出入り口で待ち伏せまでして。暗部の建物に行ったのはそれが初めてだった。薄暗く、独特の空気が漂っているように感じた。すれ違う忍は殆どが面をしていて、不思議そうにこちらを見てくる。こちらから声をかけていいかさえわからずに立ち尽くしていると、しばらくして一人の男が近寄ってきて彼が任務に出ているということを教えてくれた。数時間は戻らないかもしれない、そう告げられたが、帰るつもりはなかった。見知らぬ女に会ってくれるかどうかもわからないというのに、だ。玄関で待ち続けること数時間。深夜は通り越し、明朝と言ったほうがいいような時間帯になってしまった。やっとのことでメモを手渡した。ツヅリの葬儀に来て欲しい。そう、お願いしていた。もちろん強要はしていなかった。
 こうして彼も喪服姿をしているということは、申し出を聞き入れてくれたのだろうか。もしかすると、初めから行く気でいてくれたのかもしれない。ガイが声をかけるかもしれないことをすっかり忘れていた。だとしたら、お節介を焼いてしまったことになる。なんにしてもここで一言礼を言わなければならないはずだが、どうにもばつが悪かった。なにしろ頼んだ本人がそれに行けずにいたのだから。

「ごめん、ガイ。その前に私、線香あげてこないと」
「ああ、そうか。そうだな……」
 そう言うと、ガイは口を閉ざした。俯いたままのにかける言葉を探しているようだった。
 しばし、沈黙が流れた。いつの間にか小雨になった空は明るみ始め、ところどころ青空が見え始めていた。
「じゃあ、……そろそろ行くね」
 気まずさに耐えられなくなったは煙と共にその場を後にした。消える直前、ガイが引き留めようとこちらに駆け寄ってきたのが見えた。


 慰霊碑の近くにある墓地の一角。探す必要もないほどだった。真新しい花が沢山供えられているその場所は、とても目立っていた。先程の雨で線香の火はすっかり消えかかっていた。それを手のひらで覆い、ふっと優しく息を吹きかけると再び息を吹き返したように芯からじわりと朱に色づいた。
「遅くなって、ごめんね……」
 色々な思いがあったはずなのに上手く言葉にできなかった。墓石に掘られた真新しい文字。それをただじっと見つめる。それだけで頬に涙が伝った。気がつけば、束になった線香はが見た時の三分の一程になっていた。そろそろ自分も、というところではため息をついた。
 一体ここに何をしに来たのだろう。肝心の火種がないことにはそれに火を点けることができないというのに。
「ごめん、また来るね」
 仕方なく出直すことにしたは墓石に背を向けた。

 人影を目にしたは慌てて頬を手のひらで拭い、そちらに視線を向けた。いつからそこに居たのだろうか。
「あの」
 今度こそお礼を言わなければと口を開いたが、黙って近づいてくる目の前の男には口を閉ざした。あの橋の上での出来事のように、文句を言われる—— そう、が思った時だった。
「これ。無いと点けれないんじゃない?」
 はすっと目の前に差し出された左手を見つめた。その手には銀色のライターがあった。
「…………」
「要らなかった?」
「……いえ、お借りします」
 戸惑いながらもはその厚意を受け取ることにした。さっと火を灯したらすぐに返そう—— 。墓石の脇に置かれていた線香の箱を開け、一つ手に取った。炎の先端にそれが触れると、じんわりと赤くなり薄っすらと一筋の煙が立ち上った。

 振り返ったが見たのは誰もいなくなった墓地だった。手にはしっかりとライターを握りしめたまま。は小さく息をつくと、仕方なくそれをポケットにしまった。
 結局その日、言えないままだった。たった一言、ありがとうが言えなかった。しかも借り物まで作ってしまった。これを返すには、またあの建物に行く他ない。
 木ノ葉の暗部と言えば、他里でも名のしれた存在だ。忍を志す者が一度は憧れる、いわゆる花形部署。しかし、にとってそこはすっかり苦手な場所になっていた。行った時間も悪かったかもしれない。皆が憧れを抱くあの場所に、あまり近付こうとは思えない自分はおかしいのかもしれない。しかし、苦手なものはどうしようもない。
 まだ近くに居るんじゃないかと捜し回ったが、結局見つけられないままだった。

四、煙とともに

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