空蝉-第一章-

 久しぶりに火影室に呼び出されたは任務計画表を手にしていた。
 今月に入りランカが正式に解析班の検死担当になった。それにより、彼が請け負っていた任務を誰かが引き受けなければならなくなったのだ。任務内容は主に情報収集と長期任務に出ている忍達の聞き取りと偵察。もちろん、こちらに回ってきている情報も彼らに回さなければならない。情報収集と言ってもほとんど通常任務と変わらないものだった。移動が多く、里を空ける日も多くなるだろう。

「とりあえずそれで進めていくが、よいかの?」
 特に驚きはしなかった。情報部の間では随分前からそんな噂話が飛び交っていたからだ。あとは誰が担うのか、という話で止まっていた。
「承知しました」
 は任務計画表を八つ折りにし、ポケットの中にしまった。


 情報部の作業場へ向かうと、早速ランカが声をかけてきた。
がオレの代わりなんだって?」
「うん。一応」
「あいつら、いい奴だから安心しろよ」
 ランカはそう言ったが、は名を知る程度で、顔も性格も知らなかった。不安がないわけではないが、こういうことは任務に出る時によくある。変に考えるのは止めておこう、はそう思った。だが、この男は何を思ったのか、いいことを思いついたと言わんばかりの表情を浮かべた。
「なんなら、今晩あいつらとメシでも食えばいい。オレが声かけといてやるよ」
 嫌でもこれから数日間一緒に過ごさなければならないというのに、そんなことをする必要があるのかとは思う。
「……べつにそんなことしなくたっていいよ」
「同じ釜の飯を食えば、嫌でも仲が良くなるってもんだろ」
「みんな気にしないと思うけど……」
「そんなことないだろ、一応チームなんだぜ?」
「そうだけど、わざわざ呼び出さなくってもいいんじゃないの?」
「まあまあ。どうせあいつらも今日は非番なんだからさ」
 長期任務前は大抵半日、良い時は丸一日休暇が与えられることになっている。それを知ってのことだろう。
 だが、
「誰かと約束してるかもしれないじゃない」
 長期任務前は誰かと出かけたり、家族団らんを楽しんだりすることに時間を当てる忍は少なくない。しかし、きっぱりとランカは言い切る。
「それはないな」
「どうして?」
「なんつったって、あいつらは暇だ」
「……仮にそうだったとしても、私は用があるから無理だよ」
「用って言っても、夕飯くらい食う暇はあるだろ?」
 意地でも二人と顔を合わせて欲しいのか、ランカは食い下がってきた。面倒ではあるが、ここまで言われて駄目だとも言えなかった。どうせ顔を合わせるのなら、今夜だろうが明日だろうが変わりはしない、はそう思うことにした。
「……わかった、夜は空けとくね」
「よし、了解」
 そんな話をしていると、作業場の奥の方からマワシが無駄話がすぎると声を張り上げた。
「そうか、ここは鬼軍曹がいたんだっけな」
 今日は説教コースだなと言いながら、ランカはため息をついてマワシの方へ向かっていった。


 商店街の一角で足を止めると、この店の小さな看板娘が「こんにちは!」と明るく元気な声で声をかけてきた。それとなく店内を見回すが、店番はこの子だけのようだった。
「お花はどれがいいですか?」
 小さな体に少し大きめのエプロンをして店頭に立っている女の子に向け、は身を屈めた。どれにしようかなとその子と一緒に花を選び始めたときだ。
「あら、ちゃんいらっしゃい」
 もうそんな歳ではないのに、未だに“ちゃん”と言うのはこの店を切り盛りしている店主。ちなみに、の上司いのいちの奥さんでもある。
「こんにちは」
「聞いたわ。明日から任務に出るんですってね」
「はい。しばらく里を空けることになっています」
「そう、ならこれなんかどうかしら? 日持ちするし、最後までとても綺麗な色をしているの」
 気さくに話かけてくるが、あまり踏み込んだ話はしない。これは仕事柄というよりも、この御婦人の心配りなのだろう。花を見繕ってもらうと、はそれを持って目的地に向かった。

 ツヅリの父は毎日顔を出せないと言っていた。できる限りはあの場所に行くようにしていたが、未だにあの時のユリの花を供えたのが誰だったのか分からなかった。大抵は綺麗な花が供えられている。あの時はリンの家族なのだと思ったが、二種類の花をみると、どうも違うようだ。最近はここに来ていないのか、その花は古くなっていた。枯れていた部分を取り除き、は先程見繕ってもらったばかりの花を供えた。そして、任務に出ることになって暫く来れないということを告げた。二人のことを思っていてくれる人がいるのかと思うと、会ってみたいと思わないでもなかったが、なんとなくこのままの方が互いに良いのではないか、そんな気がした。



 久しぶりの外務となり、が買い出しに出かけていると、任務帰りの紅と出会した。
 数日前、新しい店に行くと言いながら、あんな事があり、同じ店に入るのが気が引けたたちは、結局例の立ち食い蕎麦屋に向かった。珍しく美人な若い子が来たからか、店主はやけに張り切っていたのを思い出す。紅の姿はこうして少し離れたところからでも目を引いた。華があるというのはああいうことなのだろうとは思った。紅はスリーマンセルで出かけていたらしく、他の二人と分かれるとすぐにこちらに駆け寄ってきた。
、聞いたわよ、外務になるんですって?」
「うん。ランカの担当が決まったから、それで」
「じゃあ彼と入れ替わりってわけね」
 立ち話もなんだから、と言って紅はを抹茶屋に誘った。真新しい看板がとても目立っていた。
「この前の店は行けなかったから」
「そっか……、なんかごめんね」
「そんなのいいの。立ち食い蕎麦、なかなか楽しかったわ」
 紅は気に入ったらしく、今度アスマ達と行くことになってるのだという。
「それ、どうしたの?」
 が手にしていた紙袋をみた紅は不思議そうに言った。その紙袋は薬局のもので、普段はなかなか利用しない店だった。
「あ、これ? 今度の任務は医療忍者がいないから、ちょっとした薬と治療道具」
 用意周到というよりもただ心配だった。久しぶりの外務はあれもこれもとあっという間に不安要素が増えていくのだ。
「なるほど。そういうの鈍感だものね、男たちは」
 そのくせちょっとしたかすり傷なのに痛いだの、腹が減っただの、我慢が足りないのよ、と紅は言った。まるでさっきの任務でそういう事があったかのような口ぶりだ。中には彼女が言うようにすぐに口に出す男たちもいるが、すべてがそうではない。逆に我慢強く、言って欲しいのに言ってくれない性格の者も多い。どちらかと言えばこちらのタイプの方が困るときもある。任務遂行は万全でなければならないこともあるからだ。

「そういえば、ライターはどうなったの?」
 不意なことで、はお茶菓子を味わうことなく、一気に飲み込んでしまった。そうだった、と思いつつ、は慌ててお茶を口に含んだ。あれから相当な時間が経っている。カカシはきっと本人が返したと思っているだろうし(ガイが話したかもしれない)、アスマはアスマでカカシが返しに来ないと思っているかもしれない。あれ以降、カカシの姿を見ていない。ガイも非番の日は一人でトレーニングをしているようで、一緒に行動している様子はなかった。まだ返していないなんて、きっと彼女には理解しがたいだろう。
「それが、……全然見かけなくて」
 苦し紛れにそう言うと、紅は意外にもあっさりとしていた。
「そう言えばそうね。多分、任務にでてるんじゃないかしら」
「任務、……紅は暗部がいつ誰が休みとか知ってる?」
「知らないわ。私、あそこに行ったこともないもの。イビキには聞いてみたの?」
「うん。でも、教えてくれなくて」
「暗部は秘密主義だから仕方ないわよ」
 
—— 秘密主義。
 そう言えばと、は一旦は心の奥にしまったある疑問を引っ張り出した。今聞いておかなければいけない、そんな気がしたのだ。
「ねえ、紅……」
「どうしたの?」
 一瞬、彼女が身構えたように見えた気がした。
「知ってる? リンのこと」
 久しぶりにどきどきした。触れてはいけない事を口にするのはとても勇気がいる。
 はずっと気になっていたのだ。あの巻物に書かれていたことを。あの事については色々な噂が飛び交っていたが、彼女は本当のことを知っているのだろうか……。
「私はただの噂だと思ってる。カカシがそんなことするわけないもの」
 それを聞いて、は一瞬言葉に詰まった。
 彼女は、本当の事を知らない。
 おそらく、ガイもアスマも。誰も—— 。そもそも、あれは非公開の巻物。見てはいけない物だ。
「そうだよね……私も、そう思ってる」



 その日の夕方。戌の刻に差し掛かろうとした頃、は約束通り情報部の門の前にやってきた。ランカはああ言ったが、本当に彼らは来るだろうかと思う。もしかして、一番暇なのは自分なのでは、そう思い始めた時だった。
「あなたがさんですか?」
「あ、はい。あなたは日向家の、……」
 懸命にリストの内容を思い浮かべるが、肝心の下の名前が思い出せない。早々に「日向、何だっけ?」とはさすがに言えず、はそこで口を閉ざした。
「日向トクマです。あなたのことはランカさんから聞いています。宜しくお願いします」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
 内心、は少し戸惑った。名家らしい丁寧な挨拶もそうだが、なんて言ったって彼はまだ15歳だ。少年っぽいあどけなさが残る“男の子”だった。情報によれば、瞳力の使い手としてはかなりのものらしい。日向家の忍は接近戦も得意とすると聞く。柔拳の腕前は聞くまでもないだろう。それよりも気になるのは、彼の言葉だ。“ランカさんから聞いています”とは、あの男は彼に何を話したのだろう。気になる気持ちを抑え、冷静に彼の様子を窺った。
 辺りを見回しながらトクマは腰に手を当てて、小さく息をついた。そして、「自分が一番に出迎えるって言ったくせに、何やってんだか」と呟いた。すると、さっと目の前に一人の男が現れた。面倒くさい人に捕まったと言いながらやってきたかと思えば、いきなり「あ!」と声を上げた。人の顔を見て随分と失礼だ。
「あんた、確か先月失踪したくノ一……?」
 第一印象は最悪だった。胡散臭い、これに尽きる。額当ては斜めになっているし、サングラスまでかけている。
「失踪してません。誤報を信じ込まないでください」
 淡々と答えるを見たトクマがアオバにこそこそと耳打ちする。
「だめですよ、アオバさん。思ってることほいほい口にだしたら」
「トクマ、お前も今人のこと言えないって気づいてるか?」
 二人のやり取りを見ながら、は即刻夕食を中止したい思いでいっぱいになった。なにがいい奴、だ。おまけにランカときたら、妙なことまで吹き込んでいる。


 終始にこりともしないをみて、二人はまさに腫れ物を扱うかのようだ。二人はランカと共に何度か任務を一緒にこなしているらしく、仲は良好のようだ。
「オレは言ったんです。ランカさんの言うことを鵜呑みにしたらダメだと」
「付き合いの長いやつがそう言うんだから、普通は信じるものだろ」
 小声で言い訳がましいことを口にする彼らをはただ無言で見ていた。彼らの言い分はこうだった。

か……。そうだ、なんか冗談でも話してやれば早く打ち解けられるかもしれないな。例えば……ほら、こないだの話とかどうだ?』

 そう、ランカが言っていたというのだ。アドバイスだとかなんとか言って。確かに彼ならそういいかねないとは思ったが、明日任務を同行する者からそんな事を言われて笑えるわけがなかった。
 だが、彼のことだ。このユーモアにというくノ一は笑うはずだと本気で思っていたのかもしれない。ランカは完全に忘れている。そのくノ一は彼らとは初対面だということを。


 とてもじゃないが、今から楽しく食事をしよう、そんな気分ではなかった。だが、せっかく集まったのだからと、微妙な空気を取り持ったのは最年少のトクマだった。
「そうだ、みんな一斉に今から行く店を言ってみませんか? 揃ったらそこに決定ということで」
 トクマは先輩にも物怖じしない積極的なタイプらしい。にはそれが少し意外だった。
「お、それいいな。じゃあ、いっせーので同時に言うぞ。もいいか?」
 が頷くのを確認し、アオバが掛け声をかけた。

「うどん」
「中華」
「焼き肉」

 見事に揃わない。揃うほうが奇跡だ。それもそうだ。
 一同は名と階級と年齢しか知らない、初対面だ。

八、新しい顔ぶれ

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