空蝉-第一章-

 翌朝は昨日の晴天と違い、どんよりとした曇り空だった。A地点は既に撤収に掛かっていると聞き、B地点に到着したたちは早速情報交換や巻物回収、物品の補給を行った。そして、アオバが彼らに巻物を手渡していると、一人の忍が変なことを言い出した。

「最近、妙な二人組がうろうろしているという噂がありまして。密猟みたいですよ」
「鹿か? だが、あの場所は奈良一族しか立ち入れないはずだ」
 鹿の角はとてもよい薬になるらしく、たまにそういった輩が狙って森に入ってくることがある。だが、奈良一族の鹿は警戒心が強く非常に賢い。餌につられてのこのこ近づいてくるようなことはない。下手をしたら追いかけ回されて角で一突き、なんてこともあるらしいのだ。 が巻物にその内容を書き残していると、アジトから出てきたくノ一が声をかけてきた。
「あんたたち、次はどこに行くの?」
「C地点です」
「へー、C地点か。あそこ、気をつけなさいよ」
「どうして?」
「蛇が出るらしいからさ。医療忍者も居ないんじゃ、解毒するまえに……なんてことも」
 そのくノ一はからかうようにくくっと笑った。そんな彼女を見てはやや引きつった笑みを浮かべた。
「新顔をあまりビビらせるなよ……」
「これくらい何てことないわよ、ね? お互い頑張りましょうねってこと」
 アオバとそのくノ一のやり取りを耳にしたは巻物をポーチにしまった。



 C地点は木ノ葉の里と国境のちょうど真ん中辺りの場所だった。そこは、他国へ続くルートがある場所でもあり、警戒すべき場所でもある。アオバが地図を広げ、目的地を確認している間、とトクマは休憩を取ることになった。

「移動するだけなのに、結構疲れるね」
「まあ、距離が距離ですからね。火の国だからと最初の時はオレも油断してましたよ」
 情報収集と言っても国外に行くわけではない。人里離れた集落に立ち寄って世間話をしたり、密偵任務をしている忍に会ったりする。里の周りを走り回っている状態なのだが、雑木林は視界も悪く、足場も良くない所も多かった。密偵者に迷惑がかからないようにと変化の術を使ったり、何かと気を使う場面が多いこともあるかもしれない。大したことをしていなくても、疲労が蓄積されていくのをは感じた。しかも、地点を通過する度に大事な物が増えていく。責任は重大だ。

「これを落としたら、オレたちは三人そろってクビだな……」
 運搬用の巻物に最後の巻物を放り込んだアオバは、独り言ともつかない口調でそう言うと、表情を強張らせた。
「しかし、そういう場合クビになるのは隊長だけでは?」
 何食わぬ顔でトクマはアオバが持っている地図を覗き込んだ。巻物を持っているのはアオバであり、隊長はアオバ、要するに責任者は彼になると言いたいようだ。
「トクマ。“連帯責任”って言葉……、知ってるか?」
「はい。もちろん知ってます」
 そんな会話をする二人の横で、もアオバが書いた地図の印を確認する。数年前、この辺りはちょっとしたいざこざがあったと聞いていたからだ。おそらく、あのくノ一はこの事を言っていたのだろう。

「二人とも、ここは慎重に進む。変なものがあっても絶対に触るなよ」
 アオバの後ろを歩きながら、は周囲を見回した。湿気っていて空気がどんよりとしている気がする。日当たりが悪く、はっきり言って気味が悪い。しばらく誰も足を踏み入れていないのか、ツル科の植物が太陽を求めて周囲の枝木に巻き付き、複雑に絡まりあっていた。奥まった山の中を歩いていると、少し開けた部分に出た。これで少しはマシになるだろう、がそう思った矢先のこと。先頭を歩いていたアオバは足を止め、ため息をついた。すぐにアオバの方へ近寄ると、真新しい足跡が二組残っていた。B地点の彼らが言っていた密猟者だろうか。
「これはすぐに知らせたほうがいいですか?」
 は巻物に、場所の位置と足のサイズの記録を取りながら、アオバに尋ねた。
「そうだな……そう言えば、C地点には連絡用の鷹を連れた奴が一人いたはずだ。そいつに飛ばしてもらおう」
 が巻物をしまう間、トクマが白眼で周りを探索していたが、この足跡らしい人影は見えなかったらしく、随分と残念がっていた。


 それからは更に慎重になった。まだ何処かに潜んでいると言う可能性と、罠があるかもしれない危険がはらんでいた。火の国は緑豊かだ。だが、その分視界が悪く、罠や隠れアジトが張りやすいと言う欠点もある。所々雑草を踏みしめた跡や枝木が折れていた場所が見つかった。少し手前ではこんな痕跡は無かったはずなのに。トクマが隈なく周囲を見渡したが、やはり誰も居ないようだった。トクマは息をつくと、額の汗を拭った。どうしたものかと思案するアオバの少し後ろで、は背嚢を探った。確か、薬局で購入した飢渇丸きかつがんがあったはずだ。
「トクマくん、これ食べて。薬局の飢渇丸」
「すみません、ありがとうございます」
 小粒のそれを口にするトクマを見て、はアオバにもそれを配った。兵糧丸は携帯食としてよく食べるが、飢渇丸は即効性はないため、完全に空腹になる前に食べるのが基本である。
「まずい」
 トクマとアオバが顔をしかめた。飢渇丸は兵糧丸よりちょっと薬っぽく、決して“美味”ではない。それが難点だった。
「これでも美味しい方らしいけど、……」
 もそれを口に含んだ。が、やはり彼らと同じく顔をしかめたのだった。



「ついた……」
 目的地に着くと、はほっとしたように呟いた。C地点は地図上でちょうど木ノ葉の里から北西方向。なんとも言えない緊張感のまま長距離移動というのは神経を使う。だが、それもつかの間のことだった。

「誰も、いない?」

 トクマの呟きに、思わずとアオバは顔を見合わせた。
「本当に、誰も居ないのか?」
「はい」
 さっきの足跡の者が襲ってきたのだろうか。密猟者と出くわして、戦闘している可能性も否めない。
「D地点に行って、この事を知らせに……何なら私が行きます」
 そうすれば、増援を呼ぶことができるかもしれない。しかし、の提案はアオバによって却下された。
「それはだめだ。増援ならすでにここの奴らが行っているかもしれないし、ここで隊を乱すわけにはいかない。C地点に居た奴らを見つけるほうが先だ」
 そう言って、アオバは一体の影分身を出した。アジト内の様子を見てくるつもりのようだ。
「それなら、三体、オレたち全員揃ったほうがいいのでは。どこかでオレたちを見ていたかもしれませんよ」
 と、影分身を出したトクマを見て、もそれに続く。こうして新たなスリーマンセルを作り上げると、一方はそのアジト内へ、本体は捜索に当たることにしたのだった。
 書き出していたメモも確認し、慎重に探っていく。C地点よりも更に北へ進んでいると、地面がぬかるみ、時折樹木の葉から雫が落ちた。昼休憩をはさみながら、辺りを調べているときだ。
「あれは……」
 トクマはぽつりと言った。草むらの方を見ていると、一人の忍が息絶えていた。二人とも木ノ葉の額当てをしていた。周囲は争った形跡もあり、僅かに焦げ臭い匂いが漂っていた。
「……作戦変更だ、オレ達はD地点へ向かう」
「え、どうしてですか?」
 痕跡が残っている内に捜索しなければならないのに、とトクマは言う。確かに、彼が言うことも一理ある。しかし、
「オレは今情報を持ちすぎているし、何よりこの事を早く知らせないと。そろそろ影分身も帰ってくるはずだ」
と、アオバが言った途端、記憶が流れ込む。思わず表情が強張った。アジト内では二人の忍はすでに屍となり、折り重なるように倒れ込んでいたからだ。
「では、捜索はオレとさんの二名で行う、というのはどうですか?」
 トクマの意見を聞いたアオバは眉をひそめた。
「二人で?」
「はい。オレは白眼がありますし、万が一、敵が国内に居るのであれば、辺りを見た限りでは、オレたちしか跡を追える者はいません」
 彼の意見に思うところもあったのか、アオバは少し考えるような仕草をした。
「確かに、そうだが……。戦闘になったらどうする? どう考えてもこっちが不利だろ」
「追跡だけです。痕跡だけでも、きっと何か役に立つはずです。そうですよね、さん」
 トクマの問いかけに、は驚いた。どちらかといえばアオバの意見に賛成だったからだ。今まで回収してきた巻物は絶対に誰かの手に渡ってはいけないし、無くしてはいけない。それに、『止む終えない場合を除き、戦闘には加わってはならない』と任務計画表の優先事項に書いてあった。安全策が妥当であると判断すべき、そう思った。
 すると、彼は続けて言った。
「情報は多いほうがいいのではないですか?」
 本当にトクマはツーマンセルで行くつもりなのだ。一人でも行くと言い出しそうだった。
 安全策を取るのか、リスクを承知で探すのか。今、どちらを選択すべきなのか。
 もしもここで、万が一、逃して、大変なことになったなら?……——
「……できる限り、詳細がわかった方がいいと思います」
はオレと同じ意見だと思ったが……、確かに、トクマの言う通りかもな」

 別れる間際になり、お前たちに何かあったら、とアオバが不安を吐露した。
「大丈夫ですよ、万が一オレになにかあったら、日向家の者が一生アオバさんを恨み続けるくらいなものですから」
と、にっこり笑うトクマに、は目眩がした。苦笑いを浮かべたアオバにトクマは冗談ですよ、と笑いながら言うのだ。本当に肝が座っている。この度胸のよさは三人の中では一番だろう。
「一生恨まれるとか勘弁な……」
 かろうじて、と言っていいかもしれない。トクマの冗談に、アオバはははと力ない笑みを見せたのだった。




「どう、トクマくん」
「いえ、何も見えないですね」

 太い木の幹の近くに腰をおろすと、トクマは小さくため息をついた。闇雲に進むのは危険だ。だからといって、日が登るまでのんびり夜を明かすというわけではない。
 アオバは無事D地点に到着できただろうか。そこから木ノ葉の里へ向かうとなれば一日はかかるだろう。その前に、何か連絡はないだろうかと空を見上げるが、空にはどんよりと雲がかかり、所々見えるのは漆黒の闇だった。時折、山風が木々を揺らし、不安を助長する。急遽ツーマンセルになってしまったこともあり、ここでのリーダーはということになっている。一応、年上だからという理由らしいが、しっかり者のトクマの方が良いのではないかとは思った。こうして休憩場所を決めたのも彼だった。
「静か、ですね。アオバさんが居ないからでしょうか?」
「それは……どうだろう?」
 僅かな物音もよく響くほどに、静かな夜だった。もしや、この森には自分達しか居ないのではないか、そう思うほどに。



 急に手招きをされたはトクマとの距離を縮め、できる限り身を潜めた。
「どうしたの?」
「何か聞こえませんか? あっちの方」
「え?」
 も彼が指差す方へ意識を向ける。今日は無風ではない。山風の可能性もある。しばらくじっとそちらに集中していたが、それ以降聞こえるのは僅かに葉の揺れる音だけだった。
「何も見えないなら風の音じゃないのかな」
「そうでしょうか」
「考えすぎなんじゃない? 一応、見てくるからここで待ってて」
「なら、オレも」
 立ち上がろうとしたトクマを制し、はゆっくりと立ち上がった。
「こういう時は一人の方がいいよ、風向きもあるし。すぐ戻るからトクマくんはしっかり休んでて」
 そう言い残し、は少し奥の方へ足を向けた。夜は視界も悪く、不気味だ。気をつけるべきなのは敵や罠だけではない。蛇に毒虫、猛獣。緑が多い場所というのは動物や虫だって過ごしやすい環境なのだ。ゆっくりとトクマが言っていた方向へ進んでいくと、足裏に何かが張り付いた。
「……」
 恐る恐るそれを確認すると、小さな果実がべっとりと張り付いていた。どうやら落ちていた物を踏んでしまったようだ。匂いがしたら困るとが近くの石でそれを剥がしていると、何か物音がした。

「まだバレてねーよな」

 は腰に手をやり忍具ポーチを探ろうとした。段々と足跡が近づいてくる気配がする。待つべきか、仕掛けるべきか……。待っている彼にも知らせなければ。
「ああ、早く温泉でも入りてーよ」
 徐々にはっきりと聞こえた男たちの会話に、は緊張で息がつまりそうだった。忍具ポーチに手を掛け、手を止めた。万が一音がしたら大変だ。ここは手裏剣の方が無難だろうとは太もものポーチに手を伸ばすとホルダーの留め具を外し、人差し指を一枚目の穴にかけた。
「おい、」
 野太い声が響いた。そして、急に男たちが足を止めた。
「なにか、そこに居なかったか?」
 視線がこちらに向けられているのがわかる。
 とっさには頭の中で手順を確認した。まずは変わり身で距離をとって、それから、手裏剣で気をそらす。煙玉を使って、それから——

「なんだ、ウサギじゃんかよ」
 もう一人の男がそのウサギの耳を掴んだ。ばたばたと手足を動かすウサギは逃げようと必死だ。
「それ、食ったらうまいんだぜ」
「さっき、たらふく猪の肉食っただろうがよ」
 男がぱっと手を離すと、ウサギは地面に横たわって動かなくなった。
 そして、彼らは反対方向へ足を向けた。やがてその声は小さくなっていった——




 さっきまでもたれかかっていた樹木を見つけると、彼はすぐに気がついた。
「どうでした」
「うん、なにもなかったよ、やっぱり空耳だよ」
「そうですか」
 気づかれるかとハラハラしたが、彼は何も無いとわかると、幹にもたれかかって座り込んだ。瞳力を多用するのはあまりよくないに違いない。そして、一つ決めていたことがあった。これをしたら彼は怒るかもしれないが、仕方がない。やはり、二人の探索は危険だ。彼はまだ若い忍だ。何かあってはいけないのだ。絶対に——

「兵糧丸も飽きたでしょ? これ食べる?」
 は小さな包を広げた。
「それって、あのまずいやつじゃないですよね……」
 そう言って、彼は訝しげにそれを見つめた。
「違うよ、さっき兵糧丸食べたのに栄養過多になっちゃうでしょう?」
 お菓子だと伝えると、トクマはが広げたそれを口に運んだ。
「ん、なんかすごく……うまい」
 きっと、彼の口にはほんのり甘くて香ばしい味が広がっているはずだ。くるみのようなカリッとした食感に、ココアのような風味。そして、ほろほろと口の中で解けていく。
「なんか、チョコクッキーみたいですね」
 飢渇丸の味がよほど気に入らなかったのか、飢渇丸もこんな味だったらいいのにな、とトクマは微笑んだ。




 フクロウの鳴き声がする中、は背嚢を背負い直して、隣の彼を見つめた。そして、彼の肩を抱きとぼとぼと歩き出した。さすがに、成長期の男の子。仕方なくは背嚢を前にし、背中で彼をおぶった。それでもやはり重いものは重い。筋肉質な人ほど重いと言うが……。彼はあの粒を二つも食べてしまった。誤算である。これでは目を覚ますのは数時間後になるだろう。一応、眠気覚しの漢方も背嚢に入っているが、どうやって飲ますのかが問題である。彼がそのうち目をさますことを祈りながら、はD地点へと続く山道をひたすら歩いた。
 何かあったときのために、と用意した睡眠薬入のお菓子。それはが作ったものだった。もちろん、こんな風に使おうとは思っていない。久しぶりの任務で眠れないかも、というなんとも情けない理由である。だから味も美味しくしておいた。ナッツ入りのココア味は睡眠薬のへんな風味も消してくれるし、ちょうどよかったのだ。だが、急遽使い方を変更してしまったこともあり、こんなことになっている。薬は便利だ。しかし、薬は薬。分量を守らなければ危険で、毒薬にもなり得る。食べあわせで効果が薄まることもあれば、逆に効きすぎてしまうこともある。

 しばらく歩いていると、前方から人の気配がした。すぐに敵ではないと分かり、は足を止めた。
 やって来たのはアオバとD地点に居た忍二名だった。
、引き返してきたのか? トクマは、」
 そうつぶやくアオバは途端に険しい顔をした。
「どういうことか説明しろ」
「トクマくんが、睡眠薬入りのお菓子を二つも食べてしまいまして」
 は至って普通だった。さっき敵と遭遇したときよりも落ち着いていた。
「……そうか。じゃあ敵にやられたわけじゃないんだな」
 が頷くと、アオバは少しほっとしたような表情を見せた。しかし、それはほんの一瞬だった。
「で、その影分身はどう説明するんだ」
 すぐにばれるとは思っていた。だが、どう説明するのかまでは至らず、曖昧なまま来てしまったことをは後悔した。とっさに考える言い訳程悪いものはないだろう。
「リーダーの判断、でしょうか」
 この言葉で、さらに彼を怒らせたのは言うまでもない。

十、任務遂行

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