空蝉-第一章-

 火遁で手際よく枯れ木に火を点ける様を、は静かに見ていた。
 やがてぱちぱちと音を立て始めたそれは、時折その男の顔を照らしては影を落とした。




 国境とほど近い場所。ここまで来るとどこかで一夜を明かさなければ里に戻るのは困難だ。日が落ちたこともある。自来也の「メシにするか」の一言で、一同は足を止めた。は兵糧丸でいいと考えていたが、一人ならまだしも三人も居るのだから火を囲って食べたほうがいいと自来也は言った。カカシが火の準備をしている間に、が山菜を採って戻ると、それから程なくして自来也も戻ってきた。とても良いものが取れたと言いながら。はなんだか嫌な予感がした。そして、それは見事に的中することになる。

「自来也様、それは……」
 思わずは呟いた。まさかと思うが、そのまさか。
「なんだ、カエルの肉を食ったことがないのか?」
 自来也はそれを捌こうと木片の上に置いた。その傍らで強張った表情をどうにかしようとするとは対照的に、瞬く間に丸裸にされてしまったそれを、カカシは特に顔色を変えることもなく無言で見ていた。
 確か、自来也の口寄せは……。
 耳を澄ませば、微かに川のせせらぎが聞こえる。カエルが居るのなら、どこかに魚も。なぜ木ノ葉の男たちは猪などを狩ることをしないのか。カカシはこういう事には慣れているのだろう。それを目にしても特に気にならないらしく、焚き木の火加減に注意を払っていた。

「カエルの肉は鶏肉とほぼ同じ、高タンパク低脂肪。栄養バツグンだ」
 自慢気な自来也に、は愛想笑いを浮かべた。手造りの竹串に刺さったそれはやがて香ばしい匂いを漂わせ、残念なことにほとんど原型を残したままこんがりと焼きあがった。レディーファーストとあの三忍から差し出され、は薄目でそれを手にとった。もしかすると、手は震えていたかもしれない。これは鶏肉なのだ、若干小ぶりな手羽元肉……そう思うようにした。だが、手にしているそれはどう見ても某の足にしか見えないのだ。一旦、それを笹の葉に乗せ思った。彼はどうするのだろうと。そんなの考えを見透かしていたかのように、カカシは涼しい顔をして言った。

「オレは任務中だから」

 カカシにそう言われると何も言えなくなってしまう。忍の大先輩から食べたらわかる、そう言われて嫌ですとは言えない。物は試しだ、見た目こそあれだが口の中胃の中に入れば何の肉でも同じ—— そう言い聞かせ、が笹の葉に手を伸ばしかけた時だった。何かが目にも留まらぬ速さでそれをかっさらっていく。上空を見ると、鳶がそれを咥えていた。それを知った自来也は、「さっさと食わんから……」と、とても残念そうにしていた。




 食事を終え、特にすることもなく手持ち無沙汰になったは揺らめく炎を見つめた。この辺りは特に怪しい気配もなく、夜の静けさが広がっている。
 そんな中、「さっきの続きだが、」と話を切り出したのは自来也だった。

「あの男たちはある者に取り入る手段として、ある物を探しておったらしくてな……」
 —— 男たちは探していた物。それは木ノ葉の忍が知っている。
 そこまでは知っていたようだが、後の事は曖昧にしか知らなかったようだ。手当たり次第に襲っても時間の無駄であると考える。計画的に彼らはそれを知り得そうな忍を襲った。それが、医療忍者——
「大方、そのくノ一にも『これが作れたら、その足の治る方法を教えてやる』とでも言ったんだろう……、弱みに付け込まれるというのはよくある話だ」
 そう言うと、自来也はバッグから袋を取り出した。何をしているのかと思えば……。それはイカの燻製のようなものだった。それをかじった自来也はこれに酒でもあれば、と不満げに呟いた。ほれ、と差し出され、はそれを手にとった。恐る恐る口にする。噛めば噛むほど味が出る。
「旨いだろ?」
「……はい。」
 正直に答えたつもりだった。しかし、自来也はじとっと見つめてため息を漏らした。それはカカシに冗談を言っていた時とほぼ同じであった。

 は半信半疑だった。自来也の言うことが嘘ではないとしても、彼女が簡単に口車にのるだろうか。その考えを見通しているかのように自来也は続けた。

「それを作れば自分の腕も試せる、名声も手に入るかもしれない。諦めかけた願いも叶うかもしれない—— 時として、魅力的に映ることもあるかもしれん……」

 本当にそうだとしたら、彼女は自らすすんでそれを探していたということになる。
 どうしても叶えたい。それが叶うかもしれないその瞬間、望みを持ってしまうのは仕方のないことなのだろうか……。
 黙り込んだに代わるように、カカシは自来也に問いかけた。
「それで、探していたものというのは?」
「幻の自白剤、とでも言うかの」
 自来也がちらりとこちらを見た気がした。途端に内臓が締め付けられたような感覚に襲われ、は人知れず身体を強張らせる。
「おそらく、彼女は知らずにそうしたのではなかろうかと思う」
 カカシは意味を探るようにな視線を自来也へ向けた。もちろん、自来也もそれに気づいていたはずだ。だが、それに答えることはなく息をつくと、物思いに耽るように目を伏せたのだった。



 しばらくすると、自来也は念の為周りを見てくる、と言って立ち上がった。
「自来也様、オレが行きます」
「なに、偵察といってもちょっと用を足してくるついでだ」
 自来也はカカシにそう告げると茂みの奥へと消えていった。その足音が完全に聞こえなくなると、とカカシは無言のまま揺らめく炎を見ていた。音を立てて燃える枝木は次第に小さくなり、辺りは薄暗さが増した。ちょっと用を足す、と言っていたのに、自来也の帰りは遅かった。自分たちも様子を見に行ったほうがいいのではないか、そう思い始めた頃だった。

「知ってるのか?」

 冷やりとした。が真っ先に思い浮かべたのはあの巻物の内容だった。リンの死因。敵に殺されたわけではなく、カカシのあの術で、自分のチームメイトを、友達を……。勝手に巻物を見てしまったことを—— そう思ったが、は直ぐにその考えを打ち消した。あの巻物を見たことを、カカシが知るはずがない。
「なんのこと?」
 動揺したと悟られずにうまく言えたと思った。現にカカシはさっきと変わらない視線を向けていた。それを見て、密かに胸を撫で下ろす。
 だが、それも束の間だった。

「あの自白剤の作り方」

 まるで不意打ちだった。なぜ一番に考えなかったのか。話の流れを考えればわかりそうなことを。今更「そんなの知らないよ?」と言うにはあまりにも白々しい。わかりやすく目を逸してしまったことをは後悔した。
「なぜそれを? 詳細は閲覧禁止のはずだ」
 その口ぶりには焦った。使用禁止の薬物の仕様書を勝手に見るだなんて、ご法度。処罰ものである。
「ち、……違う、私そんなことしてない!」
「なら、誰から聞いた」
 答えられないのか、と咎めるような視線を受け、一瞬たじろいだ。誤解を解くにはそれなりに納得できることを話さなければならない。どう言えば納得してもらえるのかと色々と考えたが、結局たどりつくのは一つだけだった。
「昔……母から聞いたことがあって」
「母親に?」
 カカシが不思議そうにしたのが意外だった。幼いときから度々「ああ、あの人の」と言われていたこともある。皆知っているものだと思っていたが、勝手な思い込みだったようだ。
「私の母は、医療忍者だったから」
 そこまで話し、は口を閉ざした。自来也は、ツヅリは知らずにそうしたのではないかと言った。もし、自分がツヅリにこの事を話していたら。彼女が死ぬことはなかったのではないか。そう思うとやるせない思いがこみ上げてきて、は膝を抱えたまま俯いた。



「昨日の話だけど、」
 その声に、ははっとしたように顔を上げた。
「やなだという男が火影室に来たそうだ。はどこに居るんだと」
 あのツヅリの父が。一体どうして、がそう思っているとカカシは言った。
「自分がをけしかけたかもしれないと言ってね」
「けしかけただなんて、……」
 そう口にしたものの、実のところを言えばそういい切れるのかは自信がなかった。
 突然の訪問にもかかわらず、お茶と煎餅を用意してくれていた。違和感の始まりはそんな些細なことからだった。あの辺りにはせんべい屋はなかった。足が悪いからと墓地に行くのも大変だと言っていた人が、わざわざ街にきて—— もしかしたら、弔問客の為にとついでだったかもしれない。しかし、あの町の雰囲気ではわざわざやなだ家に線香をあげにくる人は……残念だが形だけだったのではないかと思う。いつかあの娘なら訪ねてくるのではないかと密かに思っていたのだろうか。話す手順も考えて、手紙を書きなおして、いつか来ると信じていたのではないだろうか。そんな風に捉えられなくもない。
「あと、せっかく来てくれたのに余計なものまで渡したと言っていたらしいけど?」
 カカシはの方へ視線を向けた。彼はそれが何かわかっているのだ。そして今がそれを持っているのも、きっとわかっている。帰り際に渡された、真新しい忍具。余計なことばかり考える、そう言っていたこともある。何のことだというのは、最早愚問でしかなかった。

「受け取ったけど、もう使わないとおっしゃるから分けてもらったの……それだけ」
「……なんでもないなら、別にいいんだけど。」
「……」
 初めは追跡だけ、そう思っていたはずだった。自分の行動を考えればカカシが疑念を抱かくのは当然だと理解している。彼が思っていることは間違いではない。それなのに、わずかに胸がちくりと痛んだ。
 そしてふとポケットの物を思い出す。今このタイミングで、と思いはした。だが、今度こそ本当に返さなければならない。

「これ……、遅くなってごめんなさい」
 カカシは一瞬何のことかわからないようだった。手のひらを見ると困惑したような表情を浮かべた。
「それはオレのじゃなくて、」
「うん。でも、アスマから言われて」
 すると、カカシは眉を寄せじっとそれを見つめた。
「そんなこと一言も、……」
 しまったとは思った。あの時、無理にでもアスマに返しておけばよかったのだ。
「あ、アスマは悪くないの、私がぐずぐずしてただけで、」
 ずっと遠回りしていた自分が悪いのだ。その一番の原因がまさか、暗部に行くのが怖かったからと言えるはずもなくは口を噤んだ。カカシはの手のひらからそれを受け取ると、今度はちゃんと返しておくとポケットにしまった。それを見て、少しほっとしたのもある。
「あと、この前の葬儀、ありがとう……って言うのも変だよね。私、お節介やいて、お願いしたのに行かなかったし……」
 いきなり話し出して変だと思われたかもしれない。今頃礼なんて言われても、そう思ったかもしれないが、何も言わないままで居続けることもできなかった。そこから続く言葉がなくても構わない、はそう思っていた。

「……いや、知らせてくれたのは正解だったよ」
 思わず振り向いたものの、は慌てて視線を落とした。そして、必死にその言葉の意味を考えていた。ツヅリの葬儀の日、橋の上で見たカカシは喪服を着ていた—— ガイと一緒だったはず。
「どうして、」
 その言葉は茂みから聞こえた足音でかき消された。自来也が戻ってきたのだ。
 気がつけば、焚き火の炎はかろうじて残っている状態だった。僅かにも風が吹けばあっという間に消えてしまいそうだった。


「さて、そろそろ寝たほうが良いかの。特にはな」
「いえ、私は大丈夫です」
 さすがにこの状況で自分が寝るわけにはいかない、がそう思っていると、自来也は言った。
「なに、心配はいらん。戦時中でもなければ敵地でもないからの。休息も重要だ、違うか?」
 そう言えば昨晩は殆ど寝ていない。そう意識した途端、急に瞼が重くなってきた。まるで睡眠薬でも飲んだかのようだった。カカシは徐に立ち上がると、何も言わず森の奥へと足を向けた。見張りだろうか、そう思いながらはその背中を見つめた。わずかに波打つ空気が頬に触れると、漆黒に取り込まれるかのようにその背中は姿を消したのだった。


 何かあった時、足手まといにならないようにしなければ。そう思ったは自来也の言葉に甘えることにした。
 乾いた地面に寝転ぶと、緑の中にしっとりとした夜の匂いがする。とても眠いはずなのに、なかなか寝付けない。ふと、自来也の方に視線を向けると、メモ帳に何かを書き込んでいた。ああでもない、こうでもない、あれはどうだ、と言いながら筆を滑らせては塗りつぶしているようだった。そう言えば、国境で会ったとき、執筆がどうとかと言っていた。本当に小説を書いているのだろうか。その表紙の角は擦れ、所々汚れも目立った。常に持ち歩いて度々こんなことをしているのだろう。凄い忍なのに、本当は小説家になりたかったのだろうかとはぼんやりと思う。

「さて、ネタもさっぱり浮かばんし、そろそろ寝るとするか」
 自来也はメモ帳をバッグにしまうとその場でごろんと横になり、あっという間に寝息を立て始めた。
 それを見て、は暗闇に人の気配を探した。時折照らす月の光が影絵のような世界を映し出す。生い茂る雑草、無数の樹木。きっとその中に彼の姿も—— 。それはやがて、ふわりと漂う夜風とともに闇夜に溶けて消えていった。

十二、正しいこと

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