空蝉-第二章-

「ここから見えるとはな」
 明らみ始めた東の空を見つめ、トクマは目を細めた。
 それにつられるようにもそちらに視線を向けると、まるで生い茂る樹木を掻い潜るかのように、一番星が顔を出していた。

 ランカの代わりにが外務に加わって、一年が過ぎた。三代目はスリーマンセルをしばらく変更する気は無いらしく、任務報告に行くと次の任務表にはいつも同じメンバーが記載されている。初任務の印象は良くも悪くもたちの記憶に深く刻まれた。いろんな意味で“落ち着いている”と評価され始めたのはこの頃だ。



「さてと、これで巻物は揃ったな」
 アオバはほっとした様子で巻物を背嚢にしまった。それを見たは思わず口を開いた。
「アオバさん、巻物は全部で4本じゃなかった?」
 ちらりと見えた巻き物の数に違和感を覚えたのだ。
「ちゃんと回収したはずだが……、あとひとつはトクマが持ってるんじゃないか?」
 アオバは自分のポーチにも数え忘れが無い事を確認すると、左へと視線を向けた。その視線を受けたトクマは眉根を寄せる。
「オレは巻物なんて持ってませんよ」
 証拠を見せるかの如く、トクマはポーチの中を広げてみせた。彼の言葉通り、その中にはクナイと起爆札が数枚入っているだけだった。それを見たアオバは考え込んだ。自分の記憶を何度も確認しているのか、眉間のシワは徐々に深くなっていく。どこでしくじったんだと言うように考え揺らめいていた視線はある拍子にぴたりと定まった。
「いや。オレは確かにB地点で休憩した時に渡した」
「アオバさん。やっぱりさんに渡すって言ったじゃないですか」
 その発言で二人の視線は一気に一点へと移され、そのやり取りを見ていたは、急に胸のあたりが冷えたように感じた。
「……あれって、アンコの所へ置いてくる巻物じゃなかったの?」
「まさか、そんなわけないだろ」
と、まあこんな事もたまに、たまにある。前回はトクマがD地点に物資を置き忘れた。その前はアオバだ。しっかりしてよね、と言う役回りだとは思っていた。だが、ついにそれを言えるものはこの隊にはいなくなってしまった。
 そして、こんな時ぽろりとこぼす。
「まあ、あの時に比べたらまだましかな……」
 戻れば何とかなるような事は大した事ではないな、と。

 しかし、この日は違った。正確には、この日も違っていたというべきだろう。
「アオバさんが適当に管理をしてるのがそもそもの間違いなんですよ」
 ふんっと絵に描いたようなむくれ面で顔を背けるトクマを見て、アオバが言った。
「悪かったな、適当で」
「こんな適当な人が隊長でいいのでしょうか。さんはどう思います?」
「えっ?!」
 は導火線をじりじりと上り詰めるものを感じ取った。ここで何とか事を収めたいが、こうしてもたもたしている間にも、どうなんだよ? と言う二つの視線がに降りかかる。どちらか一方の肩を持つというのはこの場合避けたい。あくまでも平等に、公平にするのがベストなはずだ。
「ええっと、私は……」
「……そうだよな、はあまり意見を言わないもんな。かと思えばいつぞやのようにオレたちをほっぽり出して単独行動にでるからな」
と、アオバが冗談めいた口調で言った。思えば、この時点で彼の意図を組んでいれば、多少はマシだったのかもしれないと思う。だが、それは後になって気づいたことだ。ここは素直に自分の非を認めるべき、はそう考えた。
「あの時のことは、私が悪かったと思ってます。すみません」
 これがまさか、火に油を注ぐことになるとは思いもしない。
「あ。そうやってアオバさんは年甲斐もなく弱い者いじめみたいなこと言い出すんですね?」
 やっぱり隊長には向いていないと、トクマの言葉は留まることを知らないようだ。
「おいおい、人を勝手にいじめ者扱いするなよ」
「勝手に、なんて言ってません。感じたことをそのまま申し上げたまで。」
「それ、先輩に言うセリフか?」
「先輩なら先輩らしく振る舞ってくださいよ」
 苦虫を噛み潰したかのようなアオバの表情を見たはどうしたものかと考えた。ちらりと視線を向けると、「オレは大人だからな……」と、アオバは呟いた。だが、彼の堪忍袋が里に帰るまで持ちこたえてくれるだろうかと不安に思ったのは言うまでもない。
はホントのところどう思ってるんだ? ずっと不服だったってんなら今ここですっきりしておけ」
 そしたらこの隊は解散だ!と言い出しそうな勢いには戸惑った。不服と思ったことなんて一度もない、そう言いたい気持ちは山々だが、それではトクマが悪者になってしまう。そもそも、きちんと説明した所で彼らの耳にまともに届くかもわからない。
「私は、アオバさんは先輩だし経験も私たちより上で……、もちろん、トクマくんもとても優秀だし、隊長には向いてるかもしれない……、でも、今回は火影様がお決めになったことで、このままでいいと思います。巻き物は私のミスだから、一人で取りに戻ります。だから、二人は先に帰ってください!」
 とにかくこの事態を収拾しなければならない、そう考えての発言だった。半ば諦めも混ざっていたかもしれない。だが、この発言が功を奏したのか、事態はあっさりと沈静化することになる。
「あのな〜、。そんなことできるわけないだろ? とりあえず、巻き物は取りに戻る。トクマ、いいな?」
「……わかってますよ、そんなこと」
 任務ですから、とポツリと言って歩き出したトクマを見て胸を撫で下ろしたのはだけではなかった。さっさと終わらせて帰ると言い出した青年を見て、何とか三人揃って里に戻れそうだと一安心する。
「さっきは悪かったな」
「え? いえ、全然気にしてませんよ。それより、どうしちゃったんだろう……」
 いつも冷静沈着な彼がこんなにも熱くなってしまう理由がにはわからなかった。つい先程、星を見ていた姿は何だったのかと思うほどだ。
「どうせ反抗期だろ」
「反抗期?」
 アオバは大きなため息をつき、困ったもんだと呟いた。
「このままだと、本当に解散しなきゃいけなくなるかもしれないぞ……」
 この調子ではいつか任務に支障がでるのではないか? そう思っているのはだけではなかったのだ。心なしか体が重く感じるのは、任務の疲労か。それとも、いつ破裂するかもわからない癇癪玉が気になってしまうからなのか、には判別しようがなかった。言葉通り、先を急ぐ青年の背中は焦っているように見えた。


 無駄足を踏んだこと。その事でのしかかった疲労感は無視できず、更に二人の機嫌を悪くした。そんな彼らの気分がやや上向きに傾いたのは、その日の夕刻のこと。予備日を1日残し、帰郷した一同は休暇が与えられることになったのだ。
 一時の開放感を全身で感じ取るかのように、火影室の建物を降りた途端、たちは大きく伸びをした。
「じゃ、明後日の卯の刻にあうんの門に集合な」
 アオバは大きく欠伸をし、「お疲れ様」と言うや否や、やっとこの妙な空気から開放されると言わんばかりにあっという間に居なくなってしまった。そんな彼を見て、小さくトクマはため息をついた。
「……あの、トクマくん」
「はい?」
「夕食でも、食べに行かない? あ、もちろん、私のおごりだから」
 ふと、ランカの言葉を思い出したのだ。同じ釜の飯を食えば何とかというではないか、と。まさか、自分が声をかけるとはトクマは思っていないはず。きっと驚くだろう、そう思っただったが、その予想に反し、こちらを見つめるトクマは顔色一つ変えていなかった。
「すみません、用事があるので失礼します。お疲れ様でした」
 トクマは澄ました顔でそう告げると、風に溶け込むようにの目の前から消え去った。ぽつんと取り残されたようになったをアカデミー帰りの子供たちが次々と通り過ぎていく。その後ろ姿をぼんやりと見つめていたが、静かになったことに気づき、ようやくも歩きだしたのだった。いつぶりかの、深いため息をつきながら——



「あれ、じゃないか?」
?」
 深みのある声と艶やかな声色には覚えがある。振り返ると、少し後ろにアスマと紅が立っていた。
「任務帰りか?」
「あ、うん。さっき報告が終わったところ」
 アスマはあの二人はどうしたんだと辺りを見回した。彼らはとっくに帰ったのだと告げると、珍しいと不思議そうにする。いつもはどこか腹ごしらえをして解散する、というのがお決まりだと知っているからだ。
「アスマたちは非番?」
「まあ、な」
 そんなところだと答えるアスマの視線が僅かにそれた。そんな彼をちらりと見て、紅はこちらに視線を向けた。
「それより、どうしたの?」
「え?」
「は〜あ、って。ため息ばかりついてるようだったけど」
 アスマと紅はこちらを窺った。二人に相談してみようか。ひょっとすると何かいい考えが聞けるかもしれない、そう思いつつも踏みとどまる。アスマも紅もそれぞれ任務をきちんとこなしている。トラブルなんか聞いたこともない。こんなことで相談などできるわけがない。
「大丈夫、大したことじゃないから」
「そう……。でも、いつもより疲れてるように見えるわ。慣れた時こそ用心しないとね」
「うん、ありがとう」
 お疲れ様と彼らと別けを告げたものの、の思考はまたしてもトクマの不可解な言動へと逆戻りした。反抗期でチームが解散……、これも聞いたことがない話だ。少し前までいい雰囲気だったと思ったのは自分だけだったのだろうかとは思う。ランカだったら、こうはならなかったのではないか……、そう思わずにはいられなかった。




 が自宅へ帰る頃、遠くの方から夕方の帰宅を促す音楽が聞こえた。暗くなり始めた景色に比例するかの如く、の気分も落ち込んだ。どうにかできないものかと考えるが、これと言っていい案が浮かぶこともない。アオバは反抗期と言ったが、本当にそうなのだろうか。あの年頃の男の子ならありえる話ではある。そもそも男の子の反抗期というのがどんなものなのか、いまいち理解していないということに気づく。またしてもため息をついたは玄関のポストを開けた。すると、バサバサと不揃いなチラシが足元に散らばった。長期任務後はよくある光景だ。
「これで何回目?……」
 そんな独り言も虚しく、散らばったチラシを拾い終え、はいつものようにただいまと言って部屋に入った。当然、出迎えてくれるような人はいない。こもった空気を吐き出すため換気扇をフル回転させると、一瞬鈍い音がした。こんな時は一度電源を入れ直すに限る。スイッチを二、三度入れ直し、プロペラを見つめた。そろそろ修理をお願いしようか。依頼するなら明日しかないか……、費用はいくらだろう?などと考えていると、いつの間にか、調子を取り戻していた。シャワーを浴び、身支度を整え、締め切ったままのカーテンを開けようと、窓を見た。
 —— なにか、居るような気がする。
 いつもの野良猫か? チラシに紛れた郵便物に手をつけ、ふと、その手を止めた。そういえば、ツヅリがよく言っていた。久しぶりに家に帰った時は部屋の様子をよく確認するべきだ、と……。急に胸騒ぎがして、は思わず近くにあったクナイポーチに手をかけた。恐る恐る、そっとカーテンに手をかける……。

「っ!」

、久しぶりだな! 元気にしてたか』
 半分は推測だが、そう言っているようだ。これ以上大きな声を出されては近所迷惑になりかねないと、は慌てて窓を開けた。カーテンの向こう側に見えた物体は、ガイだったのだ。
「ひ、久しぶり……どうしたの?」
「たまたま通りかかってな」
「そうなんだ、たまたま……」
「なあ、
 急にかしこまったガイを見て、は思わず背筋を伸ばした。
「はい」
「オレが暗部に入るにはどうしたらいいと思う」
「ガイが、暗部に?」
「ああ。今朝からずっとその事について考えていてな」
 久しぶりに会った割には唐突すぎる。話の様子から、彼は裏口入隊の糸口を探しているようだ。情報部のくノ一なら何か知っているのではないかと考えたのだろう。しかし、さすがにそんな情報を知るわけもなく。そもそも暗部は火影直轄の部隊だ。そんなことができるとは思えず、は率直に告げることにした。
「暗部は火影様がお決めになるから、こっそりツテでっていうのは難しいと思うけど……」
 仮に、たまたま人手不足で火影の信用のある人に推薦してもらうのであれば、可能かもしれない。ガイの場合はカカシに推薦してもらうのが一番ではあるが、難しいだろう。あとは直談判ということになるが、やはりこの案も極めて困難な気がしてならなかった。このハツラツとした姿が、あの建物に……。それがどれほど違和感を与えるのか、彼は気づいていないようだ。
「やはりそうか。こうなったら腹をくくるしかないな」
「それはどういう、……あ、ガイ!?」
 意味深なことを呟いたガイは、の話もほとんど聞かずに颯爽とアパートの雨どいをかけていった。
 ガイが暗部……何がどうなっているのかさっぱりだった。この一件は、のため息を更に深くした。


 ため息ばかりついていても何もかわりはしない。こんな時はとりあえず腹ごしらえだ。そう思い、買い出しに出かけたまでは良かった。食材の下ごしらえを済ませ、火にかけ食材が焼ける音がした頃。すっかり調子を取り戻したと思っていた換気扇は、徐々にブリキの玩具のような妙な音を立て、ついに空気を吐きだす気配が消え失せた。配線の不具合か、換気扇の異音の止む気配はまるで感じられない。どうしてこんな時に魚を焼いてしまったのだろう、そう思わずにはいられなかった。ため息も底につきたのか、はただ黙って窓を全開した。だが、ワンルームにこの煙たさ。すぐに消えそうになく、しつこく残っている。このままでは部屋中が香ばしい香りに包まれ、その中で眠りにつくことになってしまう。は仕方なく押入れから扇風機を引っ張り出した。
 呼び鈴が鳴ったのは、そんなことをしている時だった。夜遅くに押入れを漁ったのはまずかった。誰かが文句を言いに来たのだろう。三度目の呼び鈴を耳にし、は慌てて玄関に駆け寄った。
「はい、今行きます!」
 慌てていてものぞき穴を確認すべきだった、とは思う。

「すみません、お待たせしまし、た……」

「こんばんは。」

 は唖然と目の前の男を見つめた。なぜ彼がここにいるのか、という疑問が何度も頭の中を巡った。まさか、彼もこのアパートに?なんて馬鹿なことを考えてしまうほど動転していた。ここは女子専用アパートだというのに。一瞬、時が止まったと感じるほどだった。
 そんなを現実に引き戻したのは、見知らぬ少年の一言だった。

「鯖の塩焼き……」

 その瞬間、炊きあがったことを知らせる炊飯器の電子音がの背後で鳴り響いた。

一、後日の憂い

-14-