空蝉-第二章-


—— それとも、大人しくしなきゃいけない理由でもあるの?』

 理由などあるはずがない。これは性格なのだから。カカシの言葉がいつも意味深に思えてならないのは自分が劣っているからなのか。賢い人は一歩先が見えているとでもいうのだろうか。思わず漏れたため息は、強引にわだかまりを吐き出したかのような妙なものだった。そうしたところですっきりすることもなければ、何かはっとすることが思い浮かぶことも無く。そもそも、直感どころか「もしかして」という単なる想像でさえあの男には全くもって意味をなさないのだと、やっと気づいたばかりなのだ。
 一々気に揉む必要はない。
 カカシは自分が思うほど、気にかけてはいない。
 それはわかってる。わかっているのに……。


「なあ、

 我に返ったように顔をあげると、茶碗と箸を手にしたアオバが物言いたげな顔をしてこちらを見ていた。

「どうしたの?」
「さすがにもういいだろ、それ」

 レアだろうがミディアムだろうが他人の好みに口を出すのは主義ではない。そう主張していたはずだが、今回は見過ごせなかったようだ。は呼応するようにアオバの目線の先を見つめた。漂い始めだ煙は筒の中へと吸い込まれ、網の上ではじゅわっと旨味がにじみ出ている。アオバが声をかけなければとっくに食べごろを過ぎていただろう。網の上に放置されていたそれを救出すべく、は慌ててトングと箸を持ち替えた。そして、特製たれで一呼吸。粗熱が取れるか取れないかという絶妙なタイミングで頬張った。




 今度の任務明けは焼肉にしよう!
 たまにはパーッとしたって罰は当たらない、気晴らしだ!と意気込む彼らと前もって約束をしていたにもかかわらず、が焼肉Qに到着したのは待ち合わせ時間の数分前だった。案の定「遅い!」と二人から苦情を受ける。換気扇の修理を依頼し、廃棄した服の代わりの準備をしていたら、あっという間に約束の時間が迫っていたのだ。
 今回、メニューの選択は彼らにまかせておいた。しかし、網に肉を置いた覚えはない。さっきまで利き手にトングを握りしめていたのは、おそらく焼く係に専念しようとしていたのだろう……。
 いつの間に注文したのか、特上骨付きカルビが目に留まる。
「えーっと、そろそろこれも焼いていい?」
 呆けていたのを誤魔化すように、は皿を手にとった。

「変だ」
「へん……?」
 何が?さっきまで焼いていたのに。それとも遠回しに自分のことを? いや、今は肉。肉のことに決まっている。はトクマの呟きを不審に思いつつ、確かめるように七輪を覗き込んだ。すると突然、トクマがトングを手に取り、その先で遠慮なくガツガツと突く。
「あー、通りで焼けるのが遅いはずだ。下の方、火が回ってないですよ? ほら」
 その言葉通り、いくら炭を突いても火の粉が飛ぶ様子はない。どうやらさっきの肉が無事だったのはこれが原因のようだ。
「今までこんなことなかったけどな……」
 勢いのない七輪を見つめながら、アオバは小さく唸った。焼肉Qと言えば、贔屓している忍は多い。価格はお手頃なのに早くて旨いと評判だった。『胃袋にも懐にも安心・安全』の焼肉Qの異変に気がついたのは、この8番テーブルだけではないようだ。チリンと呼び鈴が鳴り慌てて店員が駆け寄っていくのが視界に入る。「ねえ、これどうしちゃったの?」「申し訳ありません、種火の調子が良くないようで……」そんな会話がの耳にも届いた。
 すると、徐にアオバが席を立った。

「アオバさん?」
「ちょっと様子を見てくる。随分困ってるようだしな」
 辺りを見回すとアルバイトの女の子が一生懸命火加減を調節していた。
「あ、じゃあ私も」
「なら、オレも」
と、立ち上がったたちをアオバが制す。「そんなにぞろぞろ行っても店の人だって困るだろ」と、リーダーらしい真っ当な意見に返す言葉もなく、とトクマはおとなしく席についた。すっかり手持無沙汰になりメニュー表を眺めていると、そういえば、とトクマが言った。

さん、昨日蕎麦屋に居ませんでした? ほら、ランカさんがよく行く立食い蕎麦の店」
「うん。そうだけど?」
「オレの見間違いかと、さん——
「あ、おかえりなさい」
 戻って来たアオバにトクマが訝しげな視線を向けた。というのも、ほんの数分席を離れただけだというのにアオバはとても上機嫌だった。なぜなら——

「二人とも、聞いて驚け。店主の御厚意で本日の食事代は半額にしてくださるそうだ」

 どうしてまた?
 そんな疑問を抱いたのはだけではなかった。ははっと得意気に笑い出しそうなアオバにトクマが言った。
「あのー、どういうことか説明してもらわないと素直に喜べないんですが?」
「ああ、悪い。どうも種火に着火する機械が故障したらしくてな。オレが火を点けたら大層喜んでくださって、はじめはタダにするとおっしゃったんだが、さすがにそれは悪いだろう?」
「あー、なるほど。そういうことならいいんですけど」
 そうなると予定を変更しなければならないな、と早速トクマはメニュー表を手に取った。そんな話をしていると、店員がせっせと炭の交換を始めた。次第に腹ペコたちのもやもやした店内の雰囲気は一変し、いつもの賑やかな雰囲気へと戻っていく。順を追って8番テーブルにも新しい炭が届けられた。そんな中、全く何の貢献もしていないとトクマにも礼を言われたことで、少々困った事態が起きた。こちらが礼を言えばあちらも礼を言い、どちらも感謝の気持ちを押し付けあった結果、終いにはやや強引に礼を言い合うという羽目になった。「あなた方がいらして助かりました」と聞くまで、ここに居る忍は自分たちだけだったのだということに気づいていなかった。すっかり店内が落ち着きを取り戻した頃、仕切り直しだとアオバはトングを握った。

「ねえ、アオバさん」
 その呼びかけに、アオバはピタリと手を止めた。
「どうした?」
「あの、火をつけたっていうのは?」
 わざわざ巻物を使って術を発動させたのか不思議に思ったのだ。まさかマッチやライターで点けたわけではないだろう。これから店はピークの時間帯を迎えるというのに、そんな細かな作業では種火が追いつかない。

「あ、には言ってなかったか。オレ、火遁使えるようになったんだ」
 アオバは平然と告げると、牛脂を網に乗せた。

「えっ!?」

 店員が奥の方からちらりとこちらを覗き込んだ。また何かあったのかと不安げな様子をしていることに気づき、慌てて頭を振って否定した。
「驚きすぎだろ……」
「ご、ごめんなさい。でもそんなこと……いつから?」
「始めたのが一年くらい前、出来るようになったのはここ最近」
「そうだったんだ」
「元々覚えたいと思ってたのもあるが、さすがにいつまでも巻物で凌ぐのもな……。敵に手の内をバラしてるようなもんだし、書くのも手間がかかる。何より効率が悪い」
と、今までを思い返すようにアオバは小さく息を吐いた。いつの間にそんなことを。アオバも色々と忙しくしているようだったのに。複数の術を習得するにはそれなりのセンスと根気が必要なはずだ。
もやってみたらどうだ」
「私が?」
「コツさえ掴めば案外するっといけたりしてな」
「うーん……私はちょっと……」
 数年前。が上忍になる前だ。先輩の助言を受け、火遁の練習に勤しんでいた時期があった。虎の印を結んでも全くそれらしい気配はなく、は半ばヤケになって別の性質変化を試した。なぜかこれが上手くいき、なんだか分からぬ間に術を習得していた経緯がある。二つ目の性質変化でさえ偶然の産物のようなもの。とても相性がいいとは思えなかった。
「トクマもどうだ」
「オレは興味ありませんから」
「でもなぁ〜、日向の火遁ってなかなかレアじゃないか?」
「レアだろうが何だろうが、オレは必要にかられない限り覚えるつもりはないですから」
 トクマは断固として譲らなかった。そんな彼を見て、アオバもこれ以上勧めようとは思わなかったようだ。勿体無いと一言呟いた。

「そもそもオレはそういうのはあまり向いてない……というか話をするのはいいんですけど、肉焼きません? カルビを焼くには最高の火加減だと思うんですよね?」
 青年の表情は苛立ちの中に空腹を訴えていた。何もせず話している時間こそ最も効率が悪い事だと主張した。ここは定食屋や蕎麦屋ではなく焼肉屋だ。手を進めなければ一生メインにありつけない。が急いで特上カルビを乗せると、ジュッと勢いよく音を立てた。



 肉、肉、野菜、肉。ついでに白米。
 そんな感じで腹を満たしていく男性陣を見ながら、約一人前を食べきるか食べきらないかのところで、は早くも満腹感に見舞われた。上質な特上カルビはあっという間に無くなり、最後の皿にも数枚肉を残すのみとなった。うっかりが焼き忘れたかぼちゃの切れ端を網に乗せながらアオバが言った。
「そういえば、昨日そば処に居なかったか?」
 その言葉に、最後の肉を頬張っていたトクマがちらりと盗み見た。
「オレの見間違いかと思ったんだが、カカシさんと一緒だったろ?」
「あ……うん」
「何を話してたんだ?」
「特には」
 本当に何を話していたんだろう。話をしたというよりも、むしろ沈黙のほうが長かったのではないかと思うのだが、彼らはそんな風とは思いもしていないようだ。トクマとアオバは意味深に顔を見合わせた。「それが何か?」と声をかけたのは間違いだった。特に、「さん、この前オレにカカシさんとは取り持てないって言ったのに……」とトクマがいうのには困った。確かにそう言ったが、まさかこんな直近で会うとは思いもしていない。彼からしてみれば嘘を吐かれたとでも思っているのかもしれない。
「昨日はたまたま店が一緒だったから、ついでにこの前のことで伝言を聞いて、昨日の……、あの事は黙っていてほしいって。それだけ」
「それだけ……」
 心なしかつまらなそうにするトクマの呟きを耳にし、は小さくため息を吐いた。そんなトクマの様子を横目で見ながらアオバが言った。
「なあ、黙ってろってカカシさんが言ったのか?」
「うん。一応って言ってたから、そんなに気にしなくていいんじゃないかな」
「そうか……っだあッ!しまった!」
「うわっ!」
 慌ててトングを手に取ったが、一足遅かった。勢いの衰えない炭火で真っ黒になったかぼちゃの切れ端は誰も口をつけられず、の取り皿にぽつんと取り残されることになった。





 トクマがアオバとに疑問を呈したのは、食後のシャーベットを食べている時だった。
—— なぜ『カカシさん』と呼ぶのか?

「なぜって言われてもな〜」
「しかも、アオバさんは時々呼び捨てにするし、さんは滅多に名前を呼ばないですよね?」

 アオバは年上だし、は同期なのに。と、トクマは心底不思議そうにする。痛いところをつかれたような気分になったのは言うまでもない。だか、今回言葉に詰まったのはだけではなかった。
「なんというか、アレだ。厳密に言えばカカシサンはセンパイだし……なァ?」
「そう、そんな感じ……かな?」
 後輩の純粋な疑問というのはなかなかだ。何気ない言葉の節々をしっかりと憶えているのには感心すら覚える。しかし、トクマはその回答では納得がいかないのか、考え込んだ。
「でも、さんは上忍でしょ?」
「でも、私は日も浅いし……」
 この手の質問はにとって難題だった。そもそも何故自分が上忍になれたのか。考えられるのは、たまたま任務回数が条件を満たしていたか、いよいよ先の大戦が響いて任務が回らなくなったからか。そんなところが無難な理由だろうか。は懸命に後に続く言葉を探したが、口の端がわずかに動くだけだった。おそらくアオバも困ったに違いない。
「とにかく、トクマの時と違って色々フクザツなんだよ。それに呼び方なんて失礼にならなきゃいいだろ?」
「まあ、それはそうですけど」
 結局彼が納得したのかは定かではないが、なんとか丸く収まったのは間違いない。



 程なくし、勘定を済ませ店を出た一同は足を止めた。

「真っ昼間から焼肉とはなかなか贅沢だな」

 こちらに気づくや否や、本気とも冗談ともつかぬ口調で声をかけてきたのはゲンマだった。いち早く頭を下げたトクマと一言二言話をし、こちらを見てにやりとする。その様子を見たアオバは不思議そうに眉を寄せた。
「なんだよ?」
「別になんでもねーよ。で、。お前、角谷のおっちゃん知ってるか?」
「カドヤのおっちゃん?」
「饅頭屋の隣に工房があるだろ」
「ああ、うん」
 商店街のとある一角に金具屋がある。そして、その隣には不釣り合いとも言える大きめの建物があった。何かの倉庫だと思っていたが、違ったようだ。
「そこの大工のおっさんなんだけどよー、あの人達が出るなんて聞いてないぜ」

 まさか、まさか、まさか。
 角谷とは、蕎麦屋で話した大工のあの男のことだろうか。

「もしかして……、綱引き大会って今日だったの?」
「ああ。ギリギリエントリーしてきたくせにそいつらが一等を掻っ攫っていきやがった。なんでも、そば処のお嬢ちゃんにいいとこ見せなきゃとかなんとかで妙に気合が入っててな」
 彼奴等がいなければなーと悔しそうに愚痴をこぼす辺り、ゲンマたちはかなりいい線だったのだろう。
「へ、へ〜……」
「ってか、あの蕎麦屋ほとんど男しかいねーのに、“嬢ちゃん”って誰だ?」
 半ば独り言のように、ゲンマはぶつぶつと文句を言った。右方向から視線を感じるのは気の所為だと思いたい。するとアオバがゲンマの肩にポンっと手を添えた。
「なあゲンマ。」
「ア?」
「知らないほうが幸せなこともこの世は沢山あると思わないか?」
「そりゃ、そうかもな……」
 じっとゲンマはアオバの方を見つめた。
 その様子を目にし、トクマはいつもの強めの口調を封印した代わりか、ぶっと吹き出したのをごまかそうとゴッホンゴッホンと急に咳き込んだ。その一方で、は奇妙な作り笑いになっていることにも気づかぬまま、どうやってこの場をやり過ごすかを考えていた。

「ところでライドウさんは? 今日は一緒じゃないの?」
「アイツは急遽任務が入った。そんで、ガイは相変わらずトレーニング、オレは一人飯食ってきたところってわけだ」
 だからオレは暇なんだとぽろりとこぼした。それを聞いたトクマが声を上げた。「知ってたらゲンマさんもお誘いしたのに……」と、絵に描いたようにがっくりと肩を落とす。そんな彼に、また今度行けばいいだけだとゲンマが声をかけるとさっそくトクマはいつにするかと詰め寄った。

「あの二人、仲いいの?」
 いつの間に仲良くなったのかと考えていると、アオバが言った。
「時々会議で一緒になるんだ」
「あ、そっか」
 会議と聞いて特別上忍のメンバーを思い浮かべる。彼らが揃ったら……、さぞ賑やかなことだろう。まとめ役は誰がするのか気になるところだ。そんなことを考えていると、トクマは団子屋へ行こうと言い出した。デザートならシャーベットを食べたばかりだし、三時のおやつにしては早すぎる。「さっきたらふく肉食っただろ?」と言うゲンマの言葉にも何処吹く風。「腹八分目ですから」という返答に、彼はもう何も言わないと決めたようだ。アオバはそれに同行するか否か決めかねているようだ。
「あれだけ食って団子とくるか……。なあ、はどうする?」
「私は、」
 ふと、鳶の鳴き声がしたような気がして、は空を見上げた。
「どうした?」
「さっき、」
 言ったそばから一羽が上空をくるくると旋回する。一際澄んだ鳴き声に、通りすがりの一般人も珍しいものを見るように空へと意識を向けた。
「上忍だけって、何だろう」
「さあな……」
 一、二回周るとまた別の方角へと飛んでは同じことを繰り返した。それは、火影の呼び出しだった。








 火影室に向かうと、ほとんどの上忍が集まっていた。中にはほぼ初対面と言える者も居る。上司のいのいちは先頭の列に、ガイが部屋の真ん中に居るのを目にした。任務に出ているのか紅の姿は見当たらなかった。しばらく様子を窺っていたが、なかなか知り合いに話しかけるタイミングも無く、後から入ってきた者たちの邪魔にならないようには壁側に身を寄せた。


「さて。そろそろ集まった頃かの?」

 三代目は周囲を見渡すと一つ咳払いをした。すると火影室は瞬時に静寂につつまれた。そして、皆の関心が一点に集中する。
「今回、集まってもらった件じゃが……、守護忍十二士として我が里より一名選出されることが決定した」
 ああと声を漏らす者、何のことかと隣の者に声を掛ける者で、再び室内は騒つきはじめた。
「なあ、あんた。誰のことか知ってるか?」
 は思わず顔を上げた。声をかけてきたのは隣に立っていた中年の男だった。
「いえ、私もちょっと。すみません」
 守護忍十二士と言えば大名直轄の忍組織。当然その忍は粒揃い。選ばれた者は大名の護衛で里を離れることになる。暫くの間、貴重な人材が一人欠けた状態になるということだ。その男が自分が声をかけたくノ一が情報部だと気づいていないのは救いだった。その手を司る部署に居ながら、全くの寝耳の水であると白状するのは少々肩身の狭いものがある。

—— よって、班編成を変更することになった。該当者は随時申し渡す。責任者の引き継ぎ等は各々責任を持って完了するように。以上」
 解散の合図で皆列を成して火影室を退室していく。自分もその流れに混ざろうとが足を向けた、その時。





 突然の呼びかけに歩みを止めた。
 今、何て? まさか……。空耳?
 踏み出し損ねた足を再び前へと進めながら、考え直した直後。今度はよりはっきりと耳にする。

は居らぬか?」

 と、それはもうごまかしようがないくらいに。
 三代目の声に気づき、何だどうしたと誰もが足を止めた。そんな状態で後から「すみません、聞こえませんでした」などと白を切れるはずもなく。ここで返事をしたらどうなるのか、考える必要もないだろう。

「……はい、ここに。」
「おお、ちゃんと来ておったな」

 案の定だ。残っていた上忍たちがちらちらとこちらを見てくるのだ。その意味が痛いほどよく分かる。「まさか、このくノ一が?」という疑心を一身に浴び、額や手のひらに汗が滲んだ。絶対にそんなはずがない……。自分でもそう思っているのに、と、はわけがわからず困惑した。「あのこ誰?」と、訝しげな声も聞こえる。その事に気づいた三代目が声をかけるまでどれくらい間があっただろうか。「ああ、彼女は別件じゃ」と言う声に、そりゃそうだと言わんばかりの安堵の声が広まった。そして途端に興味を無くしたのか、皆、足早に火影室を後にしたのだった。




「いやはや、さっきはすまんかったの〜。ちと、タイミングが早すぎたようじゃ」
 三代目はハッハッハと笑い飛ばしたが、はまだ笑う心境に至らず、ぎこちない笑みを浮かべるに留まった。お陰で口がカラカラだ。
「要件はこれじゃ。さっきのこともあってな、急遽二名昇格が確定した」
 すっと目の前に藍色の封筒を差し出される。
「では、差し替えということですね」
「左様」
「承知しました」
 はそれを受け取ると、封筒を左脇に抱えた。
「ところで、あの者たちとは上手くやれとるかの?」
「はい。私は問題ないと考えています」
 色々あったけど、と、心の中で付け足しておく。いきなりそんな事を聞いてくるということは、あの隊も対象なのだろうか。それなら適任のアオバが呼ばれるはずだ。が疑問に感じていると、三代目が切り出した。
「そうかそうか……。実は、いのいちが気にしておってな」
「えっ、いのいちさんが?」
「うむ。いのいちは時期に交代させるつもりでおったようだが、ランカもなかなか器用にやっておるらしくての。医療班が手放すのを惜しんでおるらしい」
「……そうですか」
 ランカと交代。つまり、いのいちは自分は外務に向いていない、そう思っているのだろうか。
「ただ、ワシは——
 三代目の言葉はそこで途切れ、その視線はの向こう側へと注がれた。


「まったく。ノックぐらいしたらどうじゃ?」
「これは失敬……。まさか、先客が居るとは思わなくてな。」


 は慌てて一礼した。すっと肝が冷えるような空気。じっとりとした視線はどこか気味の悪さを感じる。

「三代目様、私はまた改めさせて頂きます」
「ああ、結構。引き止めてすまぬな」
「とんでもございません。では、私はこれで……」


 火影室の扉を閉めるとほっとした。がらりと変わった空気に息が詰まるような重さに圧倒されたこともあるが、はあの人物が苦手だった。志村ダンゾウ—— 三代目火影と同じく乱世時代を生き抜き、築き上げてきた忍である。ただ、人柄において二人はまるで正反対だと感じていた。近寄りがたいのは、あまりいい噂を聞かないこともあるかもしれない。
 じっと扉の奥を見つめていると、人の気配に気づき慌てて振り返った。

 視線を上げた先に居た人物。それは暗部の制服に身を包んだカカシだった。
「何かあった?」
「……うーうん」
 何でも無いと返せば、カカシはが手にしていた封筒に目を向けた。顔を上げればまた別の視線とかちあった。火影室の扉を挟むように立っていたのはカカシだけではなかったのだ。うちはの少年も一緒だった。本日の任務は火影の護衛ということのようだ。やがてその少年の視線はカカシと同じく封筒へと移った。一瞬のことだった。


「そろそろ行ったほうがいい。もうすぐ出てくる」
「あっ、うん」

 カカシに促され、は慌ててその場を後にした。火影室の廊下に蝶番の音が聞こえたのはそれからすぐのことだった。

六、燻る焔

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