空蝉-第二章-


 三日というのはあくまでも予定。早くそれを知っていれば。
 火影の帰還により誤解が解けたのは良かった。胸を撫で下ろしたのは言うまでもなく、どっと肩の力が抜けたのか、牢の鍵が開くとはその場にくたりとしゃがみ込んでしまった。その姿を見たイビキはハハッと豪快に笑った。

 家に着いたら真っ先に湿気でべたついた身体をさっぱりさせよう、そう考えていただったが、事の経緯を証言しなければならず、すぐに家に帰ることは先延ばしになった。仕方なく洗面所で顔を洗っていると、看守係のくノ一が同情したのか、「これしかないんですが」と申し訳なさそうにタオルを差し出した。だが、それはが想像したものとは大きく違っていた。これはタオルと言えるのか、と、手にした薄っぺらい手ぬぐいのような布を見て思うが、居心地のよい物が留置所にあるはずはない。脱衣所の棚を見る着ていた制服が置かれていた。着慣れた黒いシャツを手に取ると、何かが滑り落ち、カシャンと音を立てた。
「あ、」
 額当てだ。

 ピカピカの額当ては恥ずかしい

 卒業試験の後。真新しい額当てを手にし、皆が言っていたのを思い出す。
 今まで特に気にしたこともなかったが、昔に比べれば随分傷が目立つようになっていた。はそれを拾い上げるとじっと見つめた。身に付けて当たり前だと思うようになったのはいつからだろうか。


 脱衣所を後にし、向かった先は三代目の待つ火影室。罪状を見た三代目は大きなため息を吐いた。里を開けた間にこんなことになっているのだから無理もないだろう。
—— 騒動になると余計な混乱を招く。
 そう言ったのは、三代目火影ではなく別の人物だった。

「誤認とは、呆れて物も言えぬ……」

 ダンゾウが部屋を出ていくと、三代目はしばらく物思いに耽っていた。そして、徐にぱらぱらと書類を眺めて、手を止めた。
「お主……」
「はい」
 なんとも言えない緊張感に、思わず息を呑む。
 そして、書類から顔を上げた御仁は目を合わせるとぽつりと言った。
「趣味はボランティアか」




 この前代未聞の出来事を知る者は少なかった。極秘であったことを知ったのはしばらく後のこと。所詮、他人事。周りは当人が思うよりも随分あっさりとしていた。殆ど気に留めていなかった。数日の間に一人のくノ一の身に起こった出来事など、里の忍とって大した事ではない。里の片隅でそんな騒ぎになっていたことすら知らないのだ。
 但し、情報部だけは違っていた。が所属して以来、初めてのことだろう。この日は終始「」の話題でもちきりだった。が作業場に立ち寄ると皆が出迎えた。そして、あれは仕方のないことだったのだと皆口々に言うのだ。本当だろうかと思わず疑ってしまったのは、あの場所に居たことが多少は影響しているのかもしれない。「とんだ災難だったな」と声をかけてきたランカは自宅まで送ると言い出した。そしてなぜかマワシも近くに用があると言って付いてくる。何もかも初めてのことで、は戸惑うと同時に不審に思った。何か企んでるのではと疑ってかかったことを彼らは気づいているのか、いないのか。
「一人で帰れますから」
 彼らの申し出を断ると、真剣な顔をしてランカが言った。
「これはオレたちの優しさ半分、いのいちさんと火影の命令半分ってところで断れないんだ。つまり、絶対命令ってやつ」
 しかしながら、中忍に心配される上忍とは……。の気持ちに反し、彼らの足取りは軽やかなものだった。
 

 たった二日間の出来事だったが、久しぶりの開放感には軽く背伸びをした。もう湿気った薄暗い場所に居なくていい。なんて幸せなんだ。そんな境地に陥っていると、彼らの足は商店へ向かっていた。今日は奢りだといっていろんなものを買い物かごに放りこまれる。朝食用のパンと牛乳の他に、ビスケットやスナック菓子、明らかに彼らの好物と思われる物が多く目立った。こんなに必要ないと言っても二人は聞く耳を持たず、小ぶりの買い物かごはすぐにいっぱいになった。

「そういえばマワシさん、の取り調べ、他よりちょっと甘くしてましたよね?」
 店を出て、の隣を歩くランカは思い出したような口調で目の前の背中に声をかけた。
「そんなことあるもんか……。仕事は仕事。甘かったのはいのいちさんだろ?」
「そうだ、いのいちさんは甘々だったな。がそんなことするはずないってずーっと言ってたもんな……」
 聴けば、いのいちはずっとの無実を証明するために色々な人に声をかけ、情報を集めていたというのだ。思い出すようにランカは頷くと、徐々にそれは神妙な面持ちへと変化した。
「今頃警務部隊は大騒動だろう。まあ、ちっとはお灸になるか」
「警務部隊?」
 不思議そうにしたに答えるように、ここだけの話だとランカは辺りを見渡し、続けた。
を連れてきた奴らだよ」
「えっ、じゃあ……」
「あの術に幻術返しなんか効くもんか」
 里の忍に写輪眼を使うなんてどうかしてる、とランカは眉間に皺を寄せた。
「最近の奴らを不満に思ってる者がいるのも頷ける」
と、ランカはポケットから飴玉を取り出すと、こちらに差し出してきた。それは先程立ち寄った店にレジ前にあったものだった。
「目についたからさ」
「ありがとう」
 ポケットに入れると、さっさと食べてしまえと急かされる。
「その顔色で家までたどり着けるのか心配だ」
「え?」
 ランカに同意するようにマワシも頷いた。思わずはぺたぺたと頬に手を触れた。そして、ある人物の姿が思い浮かび、ぞわりとした。彼らに聞いてみようかと思ったが、マワシが足を止めたの気づき、は口を噤んだ。
「さ、着いたぞ。確か、ここだったな?」
 路地を曲がると、マワシはアパートを見つめた。特に変わった様子はない、いつものアパートだ。
「はい、ありがとうございます。……あの、マワシさん」
「なんだ?」
「あの日の任務は……」
 と言った途端、ランカは呆れたようにため息を吐いた。それなら心配無用だと言うマワシの返答も、ランカと同様の雰囲気を含んでいた。

「そうだ。任務は心配ない、任務はな……」
 ランカは頬をかきながら眉を寄せた。
「どうしたの?」
 思わずランカの顔を覗き込む。目が合うと、少しばかり気まずそうな黒い瞳がこちらを見つめた。
「アイツら……ハンドブック持ってるよな?」
 昔、薬草取りは自分の仕事だったのだとランカは言った。
 聞かなければよかったのか、聞いておいてよかったのか。
 阿吽の門の方角を見つめたを彼らは必死で止めた。
「また何かあったらどうするんだよ」
「ランカの言うとおりだ。子供じゃないんだ、そんな馬鹿なことにはならないだろ」
 仮にも彼らは特別上忍。毒草の誤食なんかするわけがないと、マワシは一蹴した。
「それに、お前はオレたちが来た意味を無にする気か?」
 メガネ越しに嗜めるような視線を受け、はただ押し黙る他なかった。
 結局、二人はが部屋に入ってからも、しばらくの間アパートから目を離そうとしなかった。





 翌朝。特別休暇という名の元に安堵していた。疲労もあって、深い眠りについていたは突如玄関の呼び鈴によってその眠りを妨げられる。
 寝癖を直しながらは玄関の除き穴を見つめた。
 そうか、私は寝ぼけているんだ。
 そう思いたかったが、レンズの奥には早く出てきてくれないだろうかと言いたげに困った表情が写り込んでいた。
 寝間着のまま飛び出すような失礼をできる相手ではない。そう判断したのは決して間違いではないだろう。
「すみません、少し、少しお待ち下さい……!」
 相手の返事を待たずして、は慌てて忍服を着込んだのだった。


「すまない、急がせただろう?」
 玄関の呼び鈴を鳴らしたのは、上司のいのいちだった。ここが女子アパートだと知ってのことだろう。が玄関から出てくるとほっとした様子でこちらを見つめた。
「いえ、大丈夫です、全然」
 本当に、全然大丈夫。例え後ろの髪が少々四方へ向いていようとも、前はきちんと整っている。前から見ればきちんと整えている、ように見えるはずだ。は言い聞かせるように心の中で呟いた。
 突然の上司の来訪。玄関を開けたは不思議に思った。作業着姿だと思っていたいのいちはカーキ色のベストを着ていた。任務に出るのかと思ったが、それらしい荷物はない。忍具ポーチは必要ないと言われ、は手にしたそれを床に下ろした。
「あの、何かあったんですか?」
「今日はな、誕生日プレゼント選びに付き合ってほしいんだ」
「……誕生日、プレゼント?」



 半信半疑で付いて行くと、いのいちは商店街の一角で歩みを止めた。腕組みをし、「花屋とは訳が違うか」と呟く。今は朝の9時。雑貨屋が開くにはしばらくかかりそうだ。

「最近の流行りってのがイマイチわからなくてな。クリスマスに人形をプレゼントしたら、いのがこんなのダサいって……。」
 ついこの間まで人形遊びをしていたはずなのに、といのいちは首をかしげる。
「たまたま飽きてしまっただけかもしれないですよ?」
「そういうもんなのか?」
「たぶんそうです、きっと……」
 他になんと言えばいいのかとも内心困り果てた。父親のチョイスがおかしいというのは世間ではわりとよく耳にする話だと思うのだが、そんなことを上司に言えるはずがない。もうすぐ7歳になる女の子が人形遊びを好まないのは普通のことなのか、にもわからなかったというのもある。流行り物と言われても、正直なところさっぱりだとも言えず、は通りすがりの同じ年頃の子供に注視した。
「因みに、奥様は何と?」
「それがな〜、『父さんのプレゼントがいい』んだと。なんか、矛盾してるよな?」
 もしや試されているのでは、そんな考えが浮かんだのはいのいちには秘密にしておかなければならないとは思った。しかし、こうしてふらふらと商店街を歩き回っても早く開くわけではない。
「あ、そうだ。お前、朝食は?」
「あ、いえ、私のことはどうぞお構いなく……」
「そうもいかんだろう」
 和食か、洋食か。いのいちは看板が出ている店に目をむけた。その後姿を見ていると、まるで担当上忍が下忍の世話をしているようだとは思った。それと同時に申し訳なく思う。これでは数年前とまるで変わっていないではないか、と。

 中途半端な時間だったこともあり、結局、公園のベンチで持ち帰り用のおにぎりを頬張ることで落ち着いた。
「すみません」
「そこはありがとうございます、が正解だ」
「ありがとうございます……」
 立ち寄った公園は静かなものだった。アカデミーの子どもたちもこの時間は座学に勤しんでいるようだ。時々老夫婦やベビーカーを押した女性が通り過ぎるのをはぼんやりと見つめた。
「そう言えば、昔もこんなことがあったな」
 ベンチで二人。あの時はサンドイッチだっただろうか。それはまだ十代の頃。情報部に入って間もない時だった。部内の独特な空気にいまいち馴染めずにいたにいのいちが声をかけてきた。こんなおじさんですまない、とぎこちない笑みを浮かべながら。ベンチに座り他愛もない話をしたのが、ついこの間のことのように感じられる。

「あの日、本当は火遁の練習をしてたんだって?」
 手元のおにぎりが、口元でぴたりと止まった。
「あの……それは、……はい」
 何の心構えもしていなかった。唐突な言葉に、は素直に答えるしかなかった。誰から聞いたのだろうか。あの少年? いや、あの子は何をしていたのかわからなかったはずだ。ならばアスマが、これも違うか。では、あの二人が……、と、は答え合わせをするように考えを巡らせた。そして、居たたまれない気持ちでいっぱいになった。
「別にウソを付く必要なんてなかっただろう」
「……すみません」
「だが、気持ちはわからんでもない。修行っていうのは、こっそりやりたいもんだからな」
 そう言って、いのいちは笑う。

「しかし、がな……」
 どういう心境の変化だと言いたいのだろう。柄にもないことをするからだ、と説教を受けるだろうか。
「この前、話の流れでアオバさんに勧められて」
「なるほど、アオバが発端か」
「あ、いえ……練習は私が勝手に……」
 そうか、と頷くいのいちにははっとする。今頃になってどうして。そう思われるのは当然だ。
 だが、わざわざ古びた参考書を引っ張り出したりして、珍しく乗り気になったのは確かだった。



「いのいちさん」
 俯いたまま、はぽつりと言った。
「ん?」
「私は外務に向いてないでしょうか?」
 その言葉が想像と随分かけ離れていたのだとわかった。いのいちは、「えっ、」と珍しく声を上げ慌てふためいた。
「なぜそういう話になるんだ? 誰かがそう言ったのか?」
「いいえ。ただ……ランカは、彼はとても器用に仕事をこなしていると聞きました」
「ああ、あいつはな。意外と手先が器用で、……いや、それはそれだ。がそんなこと言うなんて珍しいな」
 心配そうにこちらを見るいのいちに気づき、は思わず視線を逸らした。
「お前……、オレが単にランカの代わりに外務に出したと思ってたのか」
「……」
 が小さく頷くと、いのいちはははっと笑みを浮かべた。これには拍子抜けだった。何がおかしいのかと困惑したにいのいちはいう。オレは相当単純な上司に思われているようだ、と。
「あっいえ! そういうことではなく、」
 慌てるを見て、より一層いのいちは可笑しそうにした。「わかっている」と言われるまで、は堪らなく居心地が悪かった。

が火遁の練習をしていたと聞いた時、正直驚いた。だが、嬉しく思ってもいたんだ」
 あんな大変な時だというのに可笑しいだろ、といのいちは目元にくしゃりと皺を寄せた。
「うちの部署は特殊だ。籠りがちになるのは仕方がないかもしれない。しかし、を見てると、このままでいいものかと思い始めてな……。外にでて得るものがあればと、オレなりに色々と考えていたわけだ」
 熱くなったのは頬だけではなかった。突如、頭の中で自分へのバッシングが巻き起こる。更に「オレの与り知らぬところで色々あったようだが……、それもまた経験だな」という言葉が追い打ちをかけた。の思考に様々な出来事が駆け巡った。思い当たることが多すぎる。

「曲がりなりにも上忍だ、新しい術を覚えて損ではない。だがな、の強みはそこか?」
 なかなか話が見えないことに、は息が詰まりそうだった。
「でも、いのいちさん。私は……、恥ずかしながら、成績は然程良くはなかったと思いますし、ですから、その……」
 筆記はたまたまよく出来たかもしれないが、情報収集の試験も良くて上の下、体力測定も然程目立ったものでもなかったと記憶している。面接もド緊張でしどろもどろ。志願者は皆優秀にみえる。これは落ちた。そう思うのは無理もないだろう。だが、結果は……。
「ああ、あれはな〜、ここだけの話、あまり参考にはしてないんだ」
「えっ!」
 爆弾発言だ。筆記の過去問、模擬練習に面接練習は?と目を瞬くにいのちは本当に誰にも言うなよ、と釘を差した。
「大事なのは適性だ」
「適性……?」
 これは超難問の謎解きか。
 適正なんて、持っての他ではないかとは思う。
「情報部に必要なのは忍術が優れていることだけでも体力がある者だけではない。喧嘩っ早さも不向きと言えるかもな。人は激情すると余計なことを口走るものだ」

 ならば、どうして自分なんかが上忍にと、一つ知るとまた次が。今まで思っていた疑問が浮かんでくる。戦闘力が優れていることもなければ何か秘伝の術を使いこなせるわけでもない。リーダーシップ、これも然程。言葉に詰まったにいのいちは続けた。

「あえてそうすることで能力を引き出せることもある—— というのが、火影様のお考えかもな……。は一生中忍でも不満を持たないだろう?」

 頭の中を見られたのでは? 思わずそう思ってしまった。「だが、命に関わることだ。理由なしに決めたりはなさらない」といのいちはいう。的確に言い当てているようで、最早返す言葉も見つからなかった。

「しかし、あれだな」
「はい?」
「額当ての無いはなんだか締りがないな。まあ、忘れてきたのなら仕方がない」
「あ……」
 きっと今の自分は困り顔になっているに違いないとは思った。靴を履きながら、手に取ることを止めた。それを見られていたというのか。
「次の任務が終わったら覚悟しておけよ。まだ教えた足りてない事が沢山あるからな」
 大きな手が肩に触れる。ビシバシ鍛えてやると言うその声色は、穏やかだった。


 気づけば大分時間が経っていた。
 早めにでてきたのは、いのいちの思案だったのではないだろうかとは思う。喋らされてしまったのだと気づくまでしばらくかかった。娘の誕生日プレゼントを買いに来たというのもウソだったのではないか。はそう考えていた。しかし、
「さて、そろそろ店も開いただろう」
 と、いのいちは腕まくりをしながらベンチから立ち上がった。
「まずは、情報収取が基本だろうな」
 そこに居るのは、木ノ葉の忍・山中いのいちではなかった。今度こそダサいだなんて言わせないと意気込んでいる姿は、どこにでも居る一児の父だった。



「これで間違いない、よな……」
「はい」
 店員のお墨付きもあるというのに、まだ心配そうに紙袋を見つめるいのいちは、にとって新鮮だった。赤いギンガムチェックの紙袋に可愛らしいリボン。店の袋も需要だ。決して訳のわからない忍文字の入った茶色の紙袋では駄目なのだ、ということくらいは流行物のわからないにも理解できた。
 これはどうだ、あれはどうだ、と低めの陳列棚に身を屈め、一生懸命娘が喜びそうな品物を選ぶ姿は普段からは想像もできないだろう。とりあえず、「なんでもいいけど、かわいいヤツ」という彼女のリクエストには答えてあげられるのではないだろうか。

「ああそうだ、」
 帰り際、いのいちはポケットから何かを取り出した。
「レジの隣にあったもんだからな、つい手が伸びてしまった」
「あ、」
 不思議なものだ。
 いのいちから受け取ったそれは、先日ランカがくれた物と同じであった。




 雑貨屋の帰り道。自分の上司も今日は休暇だとばかり思っていたは慌てた。情報部へ戻らなければならないからと姿を消したいのいちと別れ、家路へと足を向けた頃。

!」
 振り返ると、アオバとトクマが驚いた顔をして立ち尽くしていた。そして慌てて駆け寄りながら、無事に安堵する三つの声が重なり合った。
 商店街の人達は死闘の末、任務を終えた三人が感動の再開を果たした、などと思っていたのかもしれない。通りすがりの人々が「よかったね〜」と言いながら、なんとも優しい眼差しを向けた。

「よかった ……」
「……なんでまでそうなるんだ?」
 それはこっちのセリフだと言わんばかりにアオバが言った。
「あ、ハンドブックを忘れたんじゃないかって気になってたから、つい」
 するとトクマは合点がいくと言わんばかりになるほど呟いた。訝しげに見つめると、アオバがバツが悪そうに言った。
「あー、それ。よくわかったな」
 途中、みたらしアンコにハンドブックを借りようと声をかけたらしいが、「はぁ?そんな物私が持ってるわけないじゃない。毒虫に刺されたらって、そんなの刺されなければいいじゃないの」と、自分の身は自分で守れと一蹴したらしい。
「えっ、その、怪我とか大丈夫なの?」
 慌てて二人の頭の先からつま先まで見つめたを宥めたのはトクマだった。
「その心配はないですよ。細心の注意を払って行動しましたから」
 下手に怪我もできないと笑みを浮かべた。ちなみに、ニリンソウとトリカブトが判別不能と理解した時点で、野草を食べることは早々に諦めたらしい。
「というか、はオレたちより自分の心配が先だろ」
 後で知らせを聞いたからよかったものの、とアオバは溜め息を漏らした。その隣でトクマは同感だと何度も頷く。
 二人が戻ってきた。きっと二人はあれぐらいの任務でと笑うだろうが、それでもほっとした。
 知らず識らずのうちに気を張っていたのかもしれない。感情にも時差があるのか、困ったことに今頃になって涙がじんわりと滲む。
「ちょっと待て、オレはそういう意味ではなくてだな、は別に悪くないんだ。悪くない」
「これは、違うんだけど、ごめん」
「あ、えっ、違う?」
 それに気づいたトクマが一つ咳をした。
「こういう時は、」
と、何の躊躇いもなくトクマは真っ白なハンカチを差し出した。返さなくて結構です、と言う彼は本当に16歳なのかと疑問が浮かぶ。それを目にし、忍が常日頃そんなものを持っている方がおかしいとアオバは最もな意見を口にした。しかし、ハンカチは男の嗜みであるとアカデミーで教わったはずだとトクマは言い張る。「この一枚で敵のくノ一がころっと寝返るのなら安いものだ」と言っていたのは聞かなかったことにしておこうと思う。


 火影室に行く二人に付きそうことにしたは道中留置所の中の話を聞かせた。普段は入れない閉ざされた空間に、アオバとトクマも多少は興味を持ったようだ。

「情報部は他より尋問の訓練が長いと聞くが……、やっぱり違うもんなのか?」
 未知の世界だとアオバは呟く。
「うん。だから、二人とも絶対変なことしたらダメ。特にトクマくん」
 突然の名指しにトクマは驚いたようだ。
「えっ、オレ?」
「だって留置所は……」
「留置所は?」
「乾パンが、……とんでもなく不味いの。たぶん、クソ不味いってあのことだと思う」
 トクマは絶対に食べられない。これはあなたにとって長引くほど死活問題になるのだと真剣な顔で告げる。するとトクマは「……クソ不味い」と何度か呟き、別の何かをみたような視線を向けた。
が言うんだ、よっぽどだな……」
と、隣で聞いていたアオバも真剣な顔をした。


「あ、そうだ。火遁のこと、いのいちさんに言ってくれてありがとう」
 証言が池の魚じゃどうにもならないもんね、と、ぽつりとこぼしたを見て、二人は顔を見合わせた。
 それは小さな商店を通り過ぎたあたりの出来事だった。

九、みちびき

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