空蝉-間章-

「なんじゃ、わざわざそれを言いに来たのか?」

 三代目火影はため息をつき、煙管を吹かした。カカシはその様をただ黙って見ている他なかった。そして思い浮かぶのは、なぜこんなことを言ってしまったのか、という己への疑問だった。


「本人は問題ないと申しておる。任務報告書も期日内に提出済み、トラブルも聞かぬ。不適任というわけではなかろう?」
「……はい」
「まあ、一意見として聞いておくとするかの」
 そう言ったきり、三代目火影はだんまりだった。

 カカシは火影室を後にすると思わずため息を漏らした。
 暇というのは本当にろくでもない。

 気がつけば、火影室に向かい、気がつけば、余計なことを進言していた。
 の単独任務はいかがなものか、と。



 スリーマンセル、またはフォーマンセルを組んで行動をするのはどこも同じ。そう思うのだが、久しぶりの通常任務はなんだか間の抜けたような感覚だった。
 「カカシさん」と見知らぬ忍が普通に名を呼ぶ。そして、「カカシさんが居れば安心ですよ」と口々に言う。
 安心。妙なことを言うものだとカカシは思う。というのも、そう口にする者は高確率で何も考えていなかった。任務が終わればそれでよい。“無事に終われば”の話であるということは抜けている。それはある種の軽蔑だったのか、ただ冷めてしまっただけなのかわからない。そのようなことを言われる度に、心の中で小さな棘がちくりと顔をだしたような気がした。

 それでも任務がある日はまだよかった。とりあえず、暇ではないからだ。だが、非番が非番というのに慣れるには少々時間がかかるようだ。カカシは買ったばかりの本を手にし、先日と同じく宛もなくぷらぷらと街を出歩いていた。
 そこで、どうやら暇なのは自分だけではないのだと気づく。本を読むふりをしながら、カカシは向かい側を歩く男へと視線を移した。すると、男の眉がわずかに動いた。「さて、今日の報告はっと……」とぶつぶつと言う男。バッグから巻物を取り出して眺めているが、大方それは真っ白だろう。彼の思惑をすべて見越したかのように、「やあ。奇遇だねぇ」と声をかける。
「面倒事じゃないですよね……?」
 アオバは眉を寄せ、やや不安な面持ちでこちらを見つめたのだった。


「オレ、何かしたか? 無意識に何か……」
 カカシが声をかけてからというもの、アオバはこのように独り言が絶えなかった。
「いや、何も。どうも暇をしてるようだったものだから」
「暇ではない。非番だ」
「それって、要するに暇ってことでしょ?」
「暇というか……そういうカカシさんこそ何してるんですか?」
「……さあ、何してんだかねぇ」
「はぁ……」
 これはなんなんだ?と、まるで疫病神にでもとりつかれたかのようにアオバは肩を落とした。どこに行くわけでもなく、ふらふらと二人で歩いていると、観念したようにアオバが言った。
「……いい加減どっか座りません? 聞きたいことがあるなら答えますよ。わかる範囲ですけど」
「……そう?」
 どうやらこの男は察しが良いようだ。


 しかし。
 とりあえず、と入った場所にアオバは眉を寄せた。
「……甘い物、得意でしたっけ?」
「いいや」
「はぁ……」
 すっかり「はぁ」としか言わなくなったアオバは「とりあえず」と三色団子を注文した。ちなみにアオバにとって団子は可もなく不可もなくといった類のようだ。テーブルに二人分のお茶と団子が並び、一息つく。そして、物静かな男が声を上げたのはすぐのことだった。


「いや、ムリムリ! カカシさんでそれなのにオレが言ってもどうにもならないって!」

 カカシが口を開くなり、アオバは椅子から立ち上がらんばかりの勢いでそう言った。

「君ならなんとかなりそうだと思ったんだけど」
「言いたいことはわからなくもないが……、無理なものは無理ですよ」
 唸りながらアオバは一つ団子を頬張ると続けた。
「第一、本人がその気なのに止める必要がどこにあるんですか?」
「だって、火遁勧めたのは君でしょ」
「それとこれは全くの別では……お言葉ですが、オレはそこまで気にすることとは思えないんですけどね」
 アオバはお茶を飲みながら店の外を眺めた。ふわりと漂う心地よい風が店ののれんを揺らす。彼が薄情なのかと言えば、そうではない。どちらかと言えば気にするタイプだ。その男がそう言うのだ、少しばかり考えすぎたのかもしれない。
 —— それもそうだな。
と、妙に納得してしまった。もう用はない、そろそろ店を出よう。そう考えていたカカシだったが、不本意にももう少し居座ることになった。

「あら、珍しい組合せね」

 「あ」と声を漏らしたアオバの視線の先に誰が居るのかわかりきったことだった。紅だ。カカシは視線だけをそちらに向け、再び正面を向き直った。

「二人で任務の打ち合わせ?」
 カカシが何も言わないでいると、「そんな感じ」とアオバが口を濁した。じっと二人の様子を窺った紅は、空いた席に腰を下ろすと団子屋の店主に声をかけた。

「どう? カカシ。 久しぶりの通常任務は」
「ふつう」
「そう。ガイは任務?」
「たぶんね……」
 適当に返事をし、カカシは少し冷めたお茶でぐっと喉を潤した。
「そういえば二人とも。見かけなかった? 近頃ちっとも家に居ないのよね」
 今度の休みは美味しいものを食べようとが誘ってきたらしいのだが、全く予定が立たないという。そんな彼女に淡々と答えるのはアオバだった。
「それこそ普通に任務に出てるだけじゃないですかね」
「そう? 前はもう少し会えてたのに」
「それはたぶん、予備日がないからだと思いますよ」
 予備日。長期任務に組み込まれ、任務の進行具合で休暇にもできる。それをは全部任務に当てている、ということだ。
「あのこ、ちゃんと休んでるのかしら?」
「……まあ、その辺はなんとかしてるはずですけど。日程通りに帰って来てるんなら、休みは一応あるわけだし」
 問題ないだろうとアオバは湯呑に手を付けた。しかし、そうだろうか。先日の様子を彼は知らないのだろう。
「日程通りに帰っていればね」
 カカシの言葉にアオバは押し黙った。

「……あのー、」
 聞いて良いのか悪いのか。そう思っているのか、アオバは何度か口を開きかけてはまた閉じるを繰り返した。そして、思い切ったように言った。
って……アカデミーの時どんな奴でした?」
 紅はちらりとカカシを見て、「そ、そうね……」と、珍しく視線を逸らし、しばらく考え込んだ。

『……私は昔からこう。タイミングが悪くて、気が弱くて、おまけにどんくさい。アカデミーの時から……——
と、がぽつりとこぼしたのをカカシは思い出した。しかし、それはあくまでも本人の主観だ。

「大人しい子だったと思うけど……」
と、絞り出したように告げた紅は何とも言えない顔をした。途端にアオバは罰が悪そうな顔をする。
「あ、いや、あいつが情報部以外の奴と歩いてるの見たことなかったから、てっきり紅が昔からの仲だとばかり思って……まさか」
 同情するのもおかしい。かと言って笑い飛ばすこともできないのだろう。はは……とアオバはぎこちなく渇いた笑みを浮かべた。すると、慌てたように紅が口を開いた。
「ち、違うわよ、仲の良い子が他にいただけの話。一番仲が良かったのは、医療忍者のやなだツヅリ……」
「あ、そうなのか?」
 アオバはどこかほっとした顔をした。わざわざ言うことでもない、そう考えてあえて黙っていたのだろうかとカカシは思う。が彼らに何も話していないのは意外だった。
「じゃあ、そのくノ一にそれとなく聞いてみるか」
 今度会った時にでも、と呟くアオバを紅がぴしゃりと制した。
「それは無理よ」
「え?」
「もう、五年くらい経つかしら……」
 水を打ったように静まり返る。やっぱり聞くんじゃなかった。アオバがそう考えているのは間違いなかった。誰一人言葉を発しなくなった代わりに、斜向いに座った男の声が自然と耳に入る。

「担当上忍ってのも楽じゃないぜ」
 ふーと息をつく男は言葉とは裏腹に自慢も混ざっていた。
「ちょっと目を離しただけだって言ったら、“死んでたかもしれないのに!”だと。謝りに来たんじゃないのかよってね。はいはいって感じよ」
「説教か。で、その女は?昔の知り合いか?」
「いや、初対面。顔は好みだったけどな。っていうか、仮に失敗してもオレのせいじゃないだろ?」
「お前のせいだろ、少しは」
「少しはな」
 ははっと男は笑う。
 あまりにも軽く、あっさりと。


 これをガイが聞いていたら間違いなく激怒しただろう。そして、その男が嫌いな説教を延々したに違いない。胸ぐらを掴んで、二、三発ぶん殴ったかもしれない。そして三代目に進言する。「こんな奴、担当上忍に向きません!」と。自分の立場などお構いなしにそうしただろう。呑気に大口を開けて団子を頬張る男を盗み見て、カカシはそう思った。
 あのような愚痴は珍しくはない。どこかで耳にするものだ。そして、そういう忍は外面だけはいい。体良く事を進める方法も知っている。このようなタイプは、意外と厄介だ。



 カタン——
 カカシは前を見つめた。紅が立ち上がり、こちらを見下ろしていた。
「そろそろ出ましょう」
「……」
 既にアオバの姿はそこになかった。先に帰ったのか。カカシがそう思っていると、紅は続けた。
「アオバならあっち」
 振り返るとアオバは気を紛らわせるように通りの人々を眺めていた。背後から「あれ、カカシさんだ」という声を耳にしたのはのれんをくぐった後だった。

 その後は誰も声をかけようとしなかった。新しい話題を振るようなこともせず、なんとなく歩いている。当然、それで間が持つはずがない。一つ目の十字路に差し掛かり、頃合いを見ていたかのように散り散りなった。

 それからというもの、胸中には甘ったるい団子を食べた後のような後味の悪さが残っていた。
 正直なところ、カカシはあの男の口に目の前の団子を目一杯突っ込んでやりたい気分だった。「お前がちゃんとしてればその好みの顔に傷がつくことはなかった」と。だが、そうすると何があったのかあの二人が感づいてしまう。ただでさえ忌々しいと思ったはずだ。
 考え事をしていると、こつんとつま先に小さな石ころが当たった。ころころと転がり止まった先は子供の足元。夢中になってそれを追いかけ始める。右に行ったり、左に行ったり。とにかく危なっかしい。カカシが前に立つと、予想どおり太ももの辺りへぼふっと顔面から突っ込んできた。
「下ばかり向いてると危ないよ?」
 子供はぽかんとした顔でカカシを見つめた。一瞬、なにが起こったのかわからなかったようだ。
「……はーい」
 素直にそう言って、駆け出していく。
 その背中が角を曲がるまで見届けて、再び歩みを進める頃には幾分気分は和らいでいた。
 ふと、とあるアパートの前で立ち止まる。しっかりカーテンが閉まった部屋。人の気配は全く無い。当然だ。部屋の主は里の外に居るのだから。
「やっぱり団子は突っ込んどくべきだったな……」
 ぽつりと呟くその声は、空に混じり消失する。






「どうしてオレを誘わなかった。探そうとは思わなかったのか?」

 数日後。ガイに詰め寄られたカカシは困った顔を隠すことなく前を向いた。というのもあの日、ガイは任務ではなかった。一人でトレーニングをしていたらしく、どこで聞きつけたのかしきりに文句をいう。仲間はずれにされたと思いこんでいる。
 団子屋で集まるのはいつものことだ、特別でもなんでもない。カカシはそう思っていたが、彼にとってはそうではなかったのだ。

「アオバと紅の三人で楽しくお茶をしていたらしいな。オレが誘ってもちっとも来ないくせに」

 べつに楽しくはない。
 何度もそう言っているにもかかわらず、ガイは聞く耳を持たなかった。さすがに「あの場に居合わせなくてよかった」とは言えなかった。彼にどんな光景が見えているのか……。わかりすぎて、ため息もでない。
「カカシ、お前はそんなに冷たい奴だったのか……?」
「だったのかもしれないね」
「み……見損なったぞ……!」
 そう言ってガイは泣き出した。もちろん半分は嘘泣きだ。だが、その割には一向に側から離れようとしなかった。むしろ、いつもより執拗にくっついてくる。
「じゃあガイが誘えばいいじゃない、アオバと紅を。三人で行って来たら?」
「わかってないな、これはそういう問題ではない。青春に後戻りなどないんだ……」
「……」
 このままでは当分根に持たれそうだ。そう感じたカカシは「なあ、ガイ」と声をかけた。こんな時は話題を変えるのが一番だろう。

「お前さ、アカデミー時代の、覚えてる?」
「そう、お前はアカデミーの時から……ん?」
 思惑通りだ。しくしくと涙を流すふりをしていたガイはぴたりと止めた。
「……ああ。はくノ一の中でも大人しい奴だったな」
「……」
「それから、縫い物がいつもビリケツだった。何度か教室に居残ってるのを見た記憶がある」
「……」
「でも、刺繍は綺麗だったな。編み物はそこそこだ。料理の腕は……わからん。見たことも食ったこともないからな」
 忍術とは関係のない話をするガイはなんだか妙だった。先日の違和感は払拭されるどころかますます酷くなる。紅でさえあのような反応だというのに……。しびれを切らしたようにカカシは言った。
「……なんでそんなこと知ってんの?」
「アカデミーの廊下に展示されてたのを見たんだ。カカシはそういうのとことん見てないだろう?」

 展示物。記憶をたどってみるがカカシが思い当たるのは、リンの作品があるとオビトが騒いでいたことだけだった。

『オレが火影になったら、刺繍はリンに頼もっかな〜』

 そんな妄想をしてはへへっと嬉しそうに、そしてみっともなく頬を緩ませていたオビトの姿が脳裏に浮かんだ。
 そしてガイはそこそこ他人の事を見ていることはわかった。ただ、人の顔をすぐ忘れるのはなぜなのか。そこまで考え、カカシは本を手に取った。

二、惴々

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