空蝉-三章-

 この日、木の葉の里は天気に恵まれ清々しい朝を迎えた。弁当を持ってランチに出かけるのも良いだろう。絶好のピクニック日和。
 しかし、ここではそれも関係のない話だ。薄暗い廊下からは重々しい音が鳴り響く。鉄格子に張り付く男が慈悲を乞う。

「オレは……オレはよかれと思って、アイツのことを思ってやったんだ! 生徒を思うのが教師というものだろ?」
「往生際の悪いことを……」
 その男を見下げるのは森乃イビキ。暗部を退き、今の主な仕事は尋問と拷問。その隣でくノ一がバインダーの上で筆を滑らせる。

・被害者に対する謝罪 ー 無し
・余罪の可能性 ー 有り

「なあ、そこのアンタはわかるだろ? そうだ、あれは親心みたいなものなんだよ……」
 額に冷や汗を流し、鉄格子を握りしめた男は食い入るように見つめる。しかし、それに反応する者はここには居ない。くノ一はちらりと一瞥し、すぐに手元へと視線を戻した。

「……では、ご希望どおり只今より逮捕状の内容を読み上げます。予め申し上げておきますが、本日付で中忍資格及び忍者登録を抹消することが決定しました。三代目火影、猿飛ヒルゼンによる決定です。寄って、あなたの現在無職となり、アカデミーの教師ではありませんので、自らを「教師」「先生」と名乗ることは禁じます。イロハより18項目程ありますので、心してお聞きください。尚、一項目毎に全て返事をしていただきます。万が一、虚偽と思われる発言がある場合は強制的に心理調査が入ります」

「心理調査……記憶を見るのっていうのか?」
「これは木ノ葉隠れの里において合法な調査方法の一つであり、貴方が該当する行為をしなければ実行されることはありません」
「い、嫌だ、そんなの絶対に嫌だからな! 他人に見せびらかすなんてごめんだ……!」
「先程申し上げました通り、貴方が該当する行為をしなければ実行されることはありません。尚、情報部は貴方の情報を聴取する権限しか持ち合わせておりません。」
「なあ、オレはこの先どうなるんだ?」
「お答えできません。」
「何か知ってるだろ、少しくらい何か、」
「お答えできません。」
「お前……生身の人間か? 傀儡じゃないだろうな」
 くノ一の顳顬こめかみがひくりと動いたが、男は気づいていなかった。黙ったまま凝視する様に気味の悪さを感じたのか、途端に尻込みする。
「なっ、なんだよ……」
「……いいえ、何も。」

・その他 ー 錯乱傾向有り

 資料をめくる姿を目にし、気が遠くなったのかもしれない。または事の重大さをようやく把握したのかもしれない。もしくは、この女は一字一句漏らすことなく読み上げると確信したのかもしれない。さあ、今から本題だ。という時になり、

「もういい……」

 牢の中の男、ミズキはか細い声でそう言った。本人の希望通りわざわざ罪状の詳細を書き起こしたというのに、肝心な部分は一つも読み上げていない。困ったものだとくノ一は内心ため息を吐く。

「……そうですか。では、最後に三代目火影様より伝言ですが、「特にない」とのことです。予定通り明日収監となります。尚、移動中の飲食は厳禁です。以上」

 そうしている間に食事が運ばれてきた。銀のトレーには申し訳ない程度に乾パンが乗っている。ミズキはそれをじっと見つめて手にとった。だが、それは口に運ばれることなく再びトレーに転がった。

・【備考】反省の言葉無し。

 くノ一は最後に付け加えると、バインダーを閉じた。







—— ということでしたので、詳細は告げておりません。余罪の可能性を含め、引き続き取り調べを行うことになっています」
 の報告書を目にした三代目火影はじっと見つめると目を閉じた。ミズキという男に心底失望したのだ。

 穏やかでお人好し。優しくて親切。
 教師としてのミズキの評判は上々だった。その温厚な人物が子供を騙し、禁術の巻物を盗み、殺人未遂を起こすようには思わないだろう。ただ、留置所に放り込まれた後のミズキしか知らない者からすると、本当にそのような一面があったのかと思う程にミズキという男は滑稽だった。いつまでも自分は正しいということを主張した。「理由を知りたい」というものだから、わざわざ資料を作ったというのにそれはすべてシュレッダー行き。どっと疲れが増したが、長文の資料を読み上げることなく終わったのは幸いともいえる。
 一つ不思議だったのは、留置所を出た途端にイビキが笑ったことだ。何が面白かったのかにはわからなかったが、とにかく彼は面白いらしく、また同じような事があれば頼みたいと申し出た。「気力を削ぐにはちょうどよい」とのことだが、またあのような目に会うのは勘弁してほしいというのが本音である。「ああいう場合は威厳が必要だ。感情は“無”。情が移るとろくなことにならないぞ」とマワシのアドバイスを受け、はそれを実践したつもりだった。だが、ミズキやイビキの反応を見ているとどうも違うような気がしてならなかった。


 三代目は苦い顔を取り払うように咳払いをすると、にこやかに封筒を手渡した。良い報告というのがひと目で分かる。
「今年は実りの良い年のようじゃ」
 いつもより分厚いそれは定員いっぱいを意味していた。しばらく忙しくなりそうだ、はそう思いつつ封筒を覗いた。
「これは……?」
 あきらかな不備だ。こんなことは担当以来一度もない。
「ああ、まだそのままだったかの。撮り直すよう言っておったんじゃが、すっかり忘れておるな。すまんが、直接当たってみてくれんか?」
「承知しました」
 例え一族の決まりであったとしてもフェイスペイントや装飾品は禁止。証明写真は個人の識別が可能でなければならないと決まっている。彼はどこかの一族なのか。
「うずまきナルト……」
 ナルトという名はこの里では知らない者は居ないくらい有名だった。一つはイタズラ小僧として。もう一つは禁句となっていることが関係している。しかし、うすまき姓はこの里には……。
 は三代目の視線を感じ、正面を向き直った。
「九尾以外で興味を持つ者が居るとはの」
 目が合うと三代目は意味深に口角を上げた。
「……なんでもありません。全然、何も。」
 なんだか悪い予感しかしない。
 思わず先走ってしまった答えはなんの意味もなくなっていた。三代目が左手を上げると、護衛の暗部も居なくなる。人払いがされた火影室は驚くほど静かだった。




 その後、作業場へと足を向けたは部屋に入るなり肩をたたかれた。いのいちだ。
「忍者登録書か。これはオレが見ても問題ないよな?」
「はい、もちろんです」
 どれどれといのいちは封筒から一枚の書類を取り出す。「昨日、一生懸命書いてたからな」と、物思いにふけっている。愛娘が下忍になったのを心から喜んでいる。それはわかるのだが、その先を進めなければならないことをはなかなか言い出せなかった。今から「うずまきナルト」の家に行って、場合によっては写真屋へ行かなければならない。それからこの書類を忍者登録証として発行して、明後日の任務の準備をすることになっている。は封筒からうずまきナルトの書類を探し出した。しかし、それをすぐに引っ込めた。新たな予定が追加されたからだ。「うずまきナルトの家」ではなく、まずはアカデミーの元担任を訪ねなければならない。彼なら少年の住所を知っているに違いない。

「マワシさん、私、アカデミーに行ってきます」
 近くで書物をしていたマワシは顔を上げた。
「ミズキの件か?」
「いえ、下忍のうずまきナルトくんの住所を知りたくて。手続きの件です」
「……まったく。最近の下忍はなってない奴が多いと聞くが、早速か。担当上忍に言えばいいだろ?」
「それはそうですけど、どこに居るのか見当もつきませんし、こういうことはやはり確実な方がいいかと。」
「住所なら知ってるから、ちょっと待ってろ」
と、さっそくマワシはメモ紙に地図を書いて手渡した。
「さすがですね、助かります」
「これくらいどうってことはない」
 そう言いつつ、マワシはもごもごと口を動かしてメガネを整えた。ガミガミと説教が多い普段の彼からは想像もつかない姿だ。思わず凝視すると、マワシは途端に眉間にシワを寄せた。これは説教の前触れだ。
「マワシさん、あの書類預かってもらえますか? まだいのいちさんが見てるので」
「え? ああ」
 話題転換は上手くいったようだ。はマワシの返事を耳にすると、そそくさと作業場を飛び出した。


 とある一角にたどり着いたは建物とメモを見比べる。表札は無いが、間違いない。
「御免ください」
 呼び鈴を押し、こうして呼びかけてみるが応答はない。ここで間違いないはずだが、物音一つしない上に人の気配もしなかった。今日の任務はないと聞いている。と言うことは、修行に勤しんでいるか、もしくは出かけているか。
 仕方ない、また出直そう。
 は諦めて玄関に背を向けた。その瞬間、の肩が飛び跳ねた。

「どうも。」

 ぬるりと現れたカカシは何食わぬ顔をしてこちらを見る。彼がここに来たということは、任務関係かもしれない。
「どうも……あ、ナルトくんなら外出してるみたい」
「ん? アイツなら家に居ると思うけど。昨日は演習でクタクタだったし、爆睡してるはずだから」
「え、ほんと?」
 再び呼び鈴を押し声をかけるが、変わらず音沙汰なし。時刻は昼を過ぎている。そろそろ起きてもよさそうなものだが、余程疲れているのだろう。
「あのさ、
 振り返ると困り顔をしたカカシと目があった。不都合でもあるのかと尋ねると、カカシは小さく息を吐く。とても不都合だと。

「何でそうなったのか知らないけども……ここ、オレの家ね」

「…………はい?」

 確かにマワシは家を知っていると言った。だが……「うずまきナルトの家」とは言っていない。原因は相互確認を怠ったからだ。は何度も心の中で思い返した。確認は、大事だ。


「それより、情報部がナルトに用って何事?もし、アイツがなんかしでかしたんだったらオレも聞いとかないと」
「あっ、全然そんなんじゃないから大丈夫。今日は登録の件で」
「あれ、アイツまだ出してなかった?」
「書類はあるの。ただ、登録用に使う写真を取り直さなきゃいけなくて」
 役者のようなフェイスペントをした写真では登録不可となってしまう。
「あー……」
 カカシは想像がついたのか何とも言えない顔をした。


「そういや、ミズキだっけ。あれからどうなった?」
 ナルトの家の案内を買って出たカカシは徐に呟いた。
 大事な巻物の盗難事件は捜索隊を組む大騒動となった。それをカカシが知らないはずがない。
「今日聴取が終わるけど……彼は明日収監することに決まってる」
「ま、そうなるでしょうねぇ……」
と、カカシの返事はぼやけた声をしていた。至極当然の結果。特段驚きはしないということだ。


、最近里に居ること多いでしょ」
 カカシはちらりと視線を向けた。火影室に向かう姿を度々目撃されていたらしい。
「うん、色々と手続きが多くて。終わったらまた外務だけどね」
「そう。オレがさっさと撮らせときゃよかったな」
 うっかりしていたとこぼすカカシを見て、は焦った。
「忙しいといっても今回はたまたまで、写真一枚どうこうってことじゃないから」
  はそれとなく隣を盗み見た。カーキのベストと濃紺のズボン。今は一般の忍と同じ制服。ポケットに手を入れ、その歩調はゆったりとしていた。
 カカシが担当上忍になったのはここ最近のこと。今まで不合格者を出していたこともあり、一生合格させる気がないのでは? などと噂か飛び交った。そんなことも相まって、この度晴れて下忍になった子供たちは色々な意味で忍たちの間で注目の的だった。忍に歳は関係ないと言うが、アカデミーを出たばかりには変わりない。担当上忍というのは気苦労も多いようだ。
「でも、そういうのってオレの責任でもあるからさ」
 と、カカシは息を吐いた。

 数年前、カカシのことを気にしていたガイはあれから何も言ってこなかった。ひょっとすると、真剣な面持ちで相談を持ちかけたこと自体、もう忘れているかもしれない。ただ、カカシが担当上忍なったと知ったガイがほっとした様子だったのはもよく覚えている。「これで対等だ」とライバル勝負に熱を燃やしていたのがつい最近のことだ。カカシが暗部を退き通常任務を担うようになってからは、もこうしてカカシと会えば話をする程度にはなった。だが、その殆どが業務連絡。下忍たちの話どころか、アスマや紅、ガイの話題があがることなど殆どない。もう少し気の利いた世間話でも……と考えはするものの、厄介なことに一度黙り込むと口を糊でくっつけたように開かなかった。そうこうしているうちに目的地へ到着するのが常である。
「ここの二階」
 歩みを止めたカカシは建物へと視線を向けた。

 が見た先。そこは随分と年季の入った木造アパートだった。呼び鈴は無く、数回ノックをしたが誰かが近づく気配は感じられない。
 その様子を見ていたカカシは前に出ると、玄関に手を伸ばした。そしてなんなくドアノブを回す。
「ナルトー、入るぞ」
「勝手にいいの?」
「施錠しないアイツが悪い」
 躊躇いなく部屋へ入るカカシに驚いた。不法侵入罪という文字が脳裏を過ぎった。いくら用があると言ってもカカシのように勝手に家に入るわけにもいかず、玄関先で立ちつくしていると部屋から出汁の匂いが漂ってきた。醤油出汁、カップラーメンの匂いだ。玄関から続く廊下の先は物置だろうか。戸は開きっぱなし。巻物や派手な色をしたバケツ、雑巾など雑多な物が見え隠れしている。慌てて着替えたのか、奥の扉から押し出されるように廊下の隅にはナイトキャップが転がっていた。部屋の奥から「まったくアイツは……」とため息まじりのカカシの声がする。
 なかなか出てこないカカシを待つ間、は端のベランダを覗き見た。散らかり放題かと思いきや、いくつもの鉢植えが日当たり良く並んでいる。水は撒かれたばかりでベランダは濡れていた。植物の葉先からしずくが滴っている。

「残念ながら写真はなかったけど、ちゃんと撮りはしてるみたい」

 カカシはの側に近寄ると、同じようにベランダを覗き見た。結論を言えば家主は不在。入れ違いになったようだとカカシはいう。その手には写真屋の受け取り表が握られていた。ただ部屋に入ったのではなかったようだ。
「現像は今日か……後で持っていくように言っとくから」
「ありがとう、助かります」
 カカシが居なければ随分時間を無駄に過ごしたに違いない。
 これも仕事の内、そう言ってカカシは受け取り表をポケットにしまった。

「ナルトくんは、植物が好きなんだね」
「部屋はあんな感じだけど、不思議とこういうのはマメのようでね」
「普段はどんな子なの?」
「んー、どんな子……口で説明するより会って話す方が早いようなヤツかな」
「……そう」
 要は分かりやすいタイプということなのだろうか。は鉢植えを見て、カカシの答えを模索した。

「ところで……どこまで知ってる?」
 カカシはさり気なく呟くと、視線だけをこちらに向けた。
 何のことだと聞き返すまでもない。理由は一つだ。
「……三代目が、話したところまで」
「じゃあ、情報部のお目付け役って言うのはなわけね」
「お目付け役って程でも……たぶん、いつもの気まぐれのようなものだと思う」
 余計なことを口走ったのも原因だろうが、ただの思いつきに決まっている。はそう考えていた。お目付け役というには心もとない。はたけカカシが居るのだから十分だ。そう思うのだが、三代目はこちらの都合などお構いなし。軽い口調であっさりと“口外無用”と口止めをするのだ。
 カカシは「気まぐれね……」と呟くと、鉢植えに視線を落とした。


 —— 何か来る。
 そう思った瞬間、疾風のような風が巻き起こり、は思わず目を覆った。間近に感じる人の気配に目を開けて、呆気にとられる。

「カカシ先生!人の家で女の人口説いてんじゃねーってばよ!」

 と、少年が指さす。オレンジの服と鮮やかな金髪頭。かんかん照りの太陽のようだ。

「……なんでそういう発想になるわけ? それよりナルト、そんな所に突っ立ってるとひっくり返るぞ」
 と、カカシが言うや否や、ナルトの足元がぐらりと揺れた。
「あっ!」
 はとっさに手を伸ばしていた。しかし、その手は何も掴むこと無くするりと空振りする。腕を掴まれるのが嫌だったのだろうか。既の所で避けられた。ナルトは辛うじてフェンスに捕まってぶら下がっていた。じっと青い目が凝視する。
「さては、ねーちゃん……」
 見透かされたような気がした。
 もしかして、三代目の言付けを既に? そんな考えが過ぎる。

「敵のスパイだな!」

 はフェンスによじ登る少年を見つめた。仮に彼が言うように敵のスパイだったとして、堂々とカカシの隣を歩けるものなのか? と真面目に考えていると、カカシがこっそり囁いた。

「ね、言ったでしょ?」

 そして、カカシはポケットから受け取り表を取り出し、少年に向けて事の経緯を説明する。写真がないと登録証にもならない。登録証にならないと忍者登録もできない。任務の報酬も受け取れない。全部「忍の手引き」に書かれている内容だった。わかりやすく噛み砕き説明するカカシの姿は違和感すら覚えるほどに珍しい事だった。

「そんで、この人は誰だってばよ?」
 がぼんやりとしていたことに気づいたのは、少年がこちらを指差した時だった。一瞬、横目で見やるカカシと視線がかち合う。

「ん……この人は情報部の人で、先生の同期。」

 のんびりとした声で、はっきりとカカシはそう言った。

一、新しい風

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