空蝉-三章-

 年季の入ったテーブルには対のソファーが並んでいた。一人用のそれらは見るからに反発力を失っている。腰を下ろすと、想像通り座面が深く沈み込む。

「なかなか味のある店だろ?」
 メニューを閉じながら、アオバの口調は少しだけ得意げだった。
 班を組んでいた時は食事を除きお茶に誘われることなど滅多になかったが、しばらく会わない内に趣味が変わったのかもしれない。
「うん、ちょっと意外だったけどね」
「外観がアレだからな」
 アオバはもったいないと呟く。というのも、この店の外壁は自然のままに育ったツタが店ごと飲み込むかのように覆い尽くしており、通りに面した窓ガラスは拭き跡が残りひどくくすんでいた。アオバが行こうと言わなければには縁のない場所だっただろう。
 しかし実際はその見た目とは対照的で、少し暗めの店内にはゆったりとした曲調の音楽が流れ、どこかほっとするような空気が漂っていた。斜め前の老夫婦が優雅にティータイムを楽しむのも納得だ。

はもう会ったのか? ほら、例の下忍」
「うん」
「どうだった?」
 興味津々なアオバとは裏腹に、は一瞬言葉に詰まった。
 第一印象は衝撃的だった。やんちゃな男の子というイメージは持っていたが、それだけには収まらない。大きく言えば、発想が豊かだ。スパイという言葉が一番に出てくるのはあの少年、ナルトくらいなものかもしれない。おまけにナルトはこちらをまじまじと見る。青い宝石にいっぱいの光が詰まった瞳をして。
「……太陽」
「太陽?」
「あ、何ていうか……アオバさんも会って話せばわかると思う」
 その答えが思うようなものでなかったのか、アオバはふうんと息の漏れたような返事をし、カップに口をつけた。


「そういえば、ちょっと変わったよな、あの人」
「誰のこと?」
「カカシさん」
 は様子を窺うように視線を向けた。
「……何かあったの?」
「何ってわけじゃなくて、オレは今のほうが安心していられるというか……こう、気張らずにすむというか……いや、なんでもない」
 アオバは何かを思い出したのか、小さく息をつく。

 変わった、と言っていいのかはわからない。だが、カカシが何かと気にかけているのは理解できる。下忍とカカシの様子を目にすれば、アオバは一目瞭然だと言い切るかもしれない。ラーメンの空き容器と萎びた野菜にため息を漏らし、料理をしないというナルトが手軽に野菜を取る方法を模索するカカシの姿など、想像もしていないだろう。
 そして、はふと思った。
 ねえ、私はどう思う? 少しは変わった?
 突然そんなことを言い出したら、アオバはどう答えるだろうか。彼なら思ったことを素直に答えてくれるかも? いや、変に気を遣って無理やりにでも答えを探すかもしれない。

「というか、変わったといえばトクマもだな。背もでかくなって、おまけに態度も二割増し……」
 頬杖を付き、アオバは大きく息を吐く。
「トクマくん、今は隊長なんでしょ?」
「らしいな。時々スリーマンセルで居るのを見かける」
「話しかけないの?」
「特には」
「え、どうして?」
「気軽によっ!なんて言ってみろ、任務中とか何とか言いながら睨まれるのがオチだ」
「そう?」
「そうだろ」
 最近のトクマは寡黙だ。もちろん、里で会えば話をするしたまには冗談だって言う。だが、さすがにすべて昔のようにというわけにはいかない。が初めてトクマと顔を合わせた日から約七年。少年だった彼も今は立派な成人だ。
「アスマたちも下忍の世話をする立場だし、後ろも迫ってる。もうすぐ中忍試験もあるし……オレたちも頑張らないとな」
 感傷に浸っているのかしみじみと言うアオバに、は頷くことしかできなかった。




 それから一ヶ月後。木ノ葉主催、中忍試験の開催が正式に決まった。試験は年二回。試験に携わる部署はあっという間に慌ただしくなる。そして同じく情報部も試験の準備に追われていた。過去問から出題を決定するまで何度も会議が行われ、資料集めを任された同僚のランカは忙しなく書庫を行き来していた。その一方、は当日まで通常業務に勤しんだ。一応、試験監督を任された身ではあるが、試験を構成するわけではない。の担当は受験票のチェックと各会場の見回りや報告書の回収。あとは、庶務を少々。

「上忍は暇そうだな」

 コピー機の前で『中忍試験の注意事項』の印刷が終わるのを待っていると、イビキが声をかけてきた。今日は印刷係かと嫌味とも取れる事をいう。「そうですね」とが仏頂面で返事をすると、イビキは口元だけにやりと歪めた。彼が暗部を抜けてからというもの、やたらと絡まれるような気がする。できる限り近寄らないでおこう……。がそんなふうに考えているとは思いもしていないだろう。イビキは当たり前のように書類を差し出しだした。

「ついでにこれも頼んだ」
「……何部刷りますか?」
「予備を入れて、120枚ってところか」
「120ですね、了解」
 ポンとコピー機の上に置かれたファイルを何気なしに見る。そして、は慌ててファイルを手にとった。
「ちょ、ちょっとイビキさん待って!」
 腕を掴んだつもりがするりと抜け、ようやく掴んだのは上着の端くれだった。
「なんだ?」
「なんだじゃないですよ!」
「120じゃ少なかったか」
「120でいいと思います……いえ、そうじゃなくて。こんなところに置かないでください、誰かに見られたどうするんですか?」
 信じられないとイビキを見るが、彼はまったく焦っていなかった。それどころか、何食わぬ顔で「それがどうした」と言うイビキには不信が募る。
「……本当に森乃イビキさん?」
 一瞬、無言になったイビキはははっと大笑いした。なんだかよくわからない男だ。試験問題を無造作に置く方がよっぽどおかしいはずだ。
「誰かに答えを知られてもいいんですか?」
「ああ、別に構わん」
「はぁ……」
「カカシたちには言うなよ? ヒントを与えられると困る。もちろん、いのいちさんにもな。あと、刷り終わったらランカに渡してくれ。彼がチェック係だ」
 ピーとコピー機の刷り終わる音が聞こえると、イビキはその場を後にした。“120”。コピー機にセットをする。スキャナーに挟み込み、はぎょっとした。
 よく見るとただの筆記試験ではない。どれも難問ばかりだ。早々に雲行きが怪しくなった気がして、は小さくため息を吐いた。




 そして、中忍試験当日。
 ここ数日は遠方からやってきた受験者の対応に追われたが、準備も整い、あとは試験が始まるのを待つばかりとなった。始まってしまえばする事は少ない。バインダーを片手に空き教室から待機所まで入念にチェックする。
「ここも異常なし……」
 丸印が連なった書類を見つめ、はほっと胸を撫で下ろした。後は上忍待機室を残すのみ。これが終われば休憩、もう一息だ。気を取り直すように『人生色々』と書かれた見慣れた看板を見上げると、窓際に人影が映り込んだ。中忍試験中は外からの出入りが多く、任務は制限されている。つまり、そこで待っている必要はないということだ。

「失礼しますー……」
 開けっ放しの出入り口を覗くと、そこにはカカシの姿があった。こちらを見て、一瞬不思議そうな顔をする。
「あ、見回りか」
「え、あっ、うん。そう、見回り……」
「さっきまで紅とアスマが居たんだけど、昼飯食いに出ていったところだよ」
 は腕時計を見つめた。昼食にしてはやや遅めの時間だ。待機室にはまだタバコの残り香が漂っていた。アスマたちが出ていった後、カカシはまた誰かと話し込んでいたのだろうか。それともひとりきり? 何とはなしに疑問が浮かぶ。
「で、は一日中試験に付きっきり?」
「うーうん、ここが終わったら休憩」
「あーそう。オレも昼飯まだなんだけど一緒にどう?」
「え?」
「弁当支給じゃないでしょ、確か」
「そうだけど、……」
 何か聞きたいことでもあるのだろうか。例えば、第一試験の内容。それとも第二試験について。もし、何か聞かれたら何と答えよう。
 の煮え切らない返事も何のその。
「じゃ、オレは下で待ってるから」
 カカシは開きぱなしの窓からするりと出ていった。




「大盛り、お待ち」——
 そば処のカウンターで、は神妙な面持ちで鍋に立ち込める湯気の様子を見ていた。アルバイトの男は休みのようだ。最近入ったという中年女性が手際よくかき揚げを作っている。今日は常連の大工の姿はない。だが、随分繁盛している。試験関係者と思われる他里の忍もちらほら見受けられる。
「今日は何かの集まりなの? 街が賑やかなようだけど……」
 慣れた手付きで天ぷらを揚げながら、恰幅の良い女性店員がカカシに話しかけてきた。
「今日から試験がありましてね」
「あら、それは大変ね」
「国外から出入りもありますし、しばらく騒がしいかと。ご迷惑をおかけします」
というカカシを見て、は合わせるようにぺこりと頭を下げた。
「いえいえ、畏まらないでちょうだい」
 ふふっと愛想の良い笑みに合わせ、「クメ」と書かれた胸のネームプレートが踊る。
「どうりで見慣れないのを付けてる人が多いはずよ。あなた達のそれ、色々あるのね。お二人もその試験を?」
と、クメはカカシの額当てを見つめた。そしてその視線はへと移る。
「あ、今日は忍の昇格試験なんです。中忍の」
 しかし、の説明も虚しく、彼女はピンとこなかったようだ。「昇格試験……」と、その返事は少し間が抜けていた。
「我々は中忍より一つ上の上忍です。額当ては里によって異なり、木ノ葉は皆この額当てと決まっています。マークは里を象徴するものが多いので比較的覚えやすいと思いますよ」
「中忍に、上忍……ならば下忍っていうのはその下……そういう意味だったのね」
 ぶつぶつと独り言を呟きながら、クメはカカシの説明に感心しきりだ。
「教えてくれてありがとう。恥ずかしいことに火の国から出たことないもんだから、まだどこの国の人か……あ、はーい!」
 客からのお呼びの声でさっとそちらに駆け寄っていく。どうやら彼女はおしゃべり好きなようだ。またも世間話に花を咲かせる姿が視界に入った。彼女の凄いところは喋りはしても動作は止まらないことだ。
「……意外と知らないんだね」
「まあ、一般人ならそんなもんでしょ」
 カカシは特に気にした風でもなくそう言った。
 彼らにしてみれば、中忍試験が忍にとって大事な試験だというのも関係ない。他国の忍やすぐそこに里を危機に晒すような者がいても気づくことはない。自分の二つ隣に腰を下ろす忍がどこの忍でも構わない。店に入る者は皆、普通の客だ。
 それにしても、今日は本当に遅い。いつもは三分もあればカウンターに並ぶ蕎麦がなかなか来ない。よく見れば店主が懸命に蕎麦を切っている。トントン、トントン、と規則的な音がした。きっと、お喋り上手な彼女が居なければ更に待ち遠しいと思うだろう。

 そうして待っていると、壁際から気配を感じた。退席の邪魔にならないよう、少し前に詰め寄る。
「失礼」
 頭に布を巻いた男はとカカシの後ろをするりと通り抜け、が店の外を見た時には既に姿を消していた。
「……知ってる?」
 カカシがちらりと横目で見る。は慌てて書類の内容を思い起こした。
「確か、名は“バキ”。砂隠れの上忍で……今回は引率として登録されてたと思う」
 他里にも担当上忍というものがあるかはわからないが、きっとそのような立場に違いない。「ふーん」と呟いたカカシはいつの間にか届いていた蕎麦に箸をつけた。
 そういえば、彼は食べるのが早いんだった。
 その事を思い出し、は目の前に集中した。しかし何度掴もうとしてもかまぼこがつるりと箸から逃げる。
「あ、猫舌だったけ」
「え、猫舌?」
「オレ、食ったら先に出るから」
「あ、うん」
 気づけは店は満席。すぐに入れ替わりに客が入ってくる。あまりゆっくりしてはいられないと感じたは急いだ。しかし、困った。
「あつッ!」
 今日は特に熱い。出来たてもいいところだ。
 —— ん?
 ゴトッと音がする方を見ると、コップのお冷が波打っていた。
「あ、ありがとう」
 顔を上げたはむせ返りそうになった。
「わかるぜ、伸びた蕎麦ほどまずいもんはないもんな」
 よっ!と笑みを浮かべたのは常連客。急に店内が狭くなった気がするのは気の所為だろうか。こうなってしまうと蕎麦どころの話ではない。『すみません、今日は急いでいるので。』そのフレーズで頭がいっぱいになっていく。
 しかし、ドンっと目の前に現れた大ぶりのかき揚げで完全に箸が止まった。
「奢りだって、ラッキーね!」




 きっとカカシは随分な猫舌だと思ったに違いない。
「すみません、お待たせしまして……」
 申し訳なく思いながら店を出ると、予想外な人物と目があった。
「ええ。随分待ったわ」
 カカシを代弁するかのように言ったのは、紅。その後ろにはアスマも居る。そしてその側に居る人物はといえば、妙に疲れて見えた。待ちくたびれたのかもしれない。
「少し早すぎたようね」
 紅は腕組をして残念そうにそう言った。
「早いって、なにが?」
「蕎麦屋」
 さっぱり意味がわからないとが視線を巡らせると、カカシが口を開いた。
、二人に説明してくれない? オレは何も聞いちゃいないって言ってるのに全然信用してくれないのよ……」
「えっと……?」
 は問うように紅とアスマの顔を見つめた。たった数十分の間で何が起きたというのか。
「抜け駆けなんてズルいだろ?」
「ぬ、抜け駆けっ?!」
 思いもよらない言葉に、自分でも驚く程にひっくり返った声になる。
「な、なに、何のこと?」
「試験の話に決まってるじゃない」
 それ以外何があるのよと言わんばかりの紅には一瞬たじろいだ。
「試験の話って言っても……何も話してないけど」
 怪しいと言わんばかりに紅とアスマは目配せする。そこではやっと二人がとんでもない誤解をしていることに気がついた。
「あのね、一応言っておくけど、試験の内容を知ってるのは本当に一部の人だけなの」
 そして、その一部の者は今は試験会場に居る。そして私は今蕎麦屋の前に居る。
 の言葉に紅とアスマは目を点にした。そして、だんだんと表情が変化する。
「カカシが珍しいことするから……てっきりそうだと思うじゃない」
 珍しく紅は視線を泳がせた。
「いやー、いくらなんでもそんなことしないから。知った所で教えようもないし……で、第二試験官って誰だっけ? 第一試験はイビキって聞いたけど。」
 はぎくりと肩を揺らした。すると三方の視線が一気に貫く。
「試験官は、問題ないよな?」
「そうよね?」
 これも可愛い部下を思ってのことと言わんばかりだ。確かに試験官の名を漏らしてはいけないという規定はない。因みに、第二試験の内容は昔から決まっている。巻物の争奪戦、もしくは対一の個人戦である。今年は巻物争奪戦と聞いているが、試験官によって色が出る。細かなルールは試験官が決めるからだ。あと一時間もすれば受験者たちも第二試験の案内を聞く頃だろう。
「例年通りなら、特別上忍か。」
 カカシの呟きには小さく頷いた。
「ライドウだったらいいんだけどな〜。あ、でもアイツは護衛があるか」
 と、アスマ。彼らなら過酷な試験にしないだろうと思っているに違いない。なかなか「うん」と言わないにまたもカカシが続く。
「あとは……アオバとか?」
 まるで誘導尋問のようだ。この時間に下忍たちが戻らないと言うことは第一試験は突破したことになる。問題ない。それはわかっている。わかってはいるが、言い出しにくい。三人がどんな反応をするのか手にとるようにわかるからだ。しかし、事実は変わらない……。
「第二試験官は、……」
 その名を耳にした瞬間、案の定三人はがっくりと肩を落とした。

「あいつら上手くやってるだろうな?」
 アスマがタバコを吹かしながら、空を仰いだ。ゆらりと煙が空に上がる。それを見ながら紅は当然だと畳み掛けた。
「自信がなきゃ、端から受験なんてさせないわ」
 しかし、次の言葉で二人は一瞬黙り込む。
「でもね〜、アンコのことだから何でもありでしょ?」
 カカシは心配しているのかそうでないのかわからない。
 言わないほうがよかったのかも。
 はそう思えてならなかった。さっきからずっとこの調子だ。代わる代わるこぼすのは三人とも試験が気になって仕方がないからだ。きっと大丈夫、と言いかけては口を噤んだ。そんな保証はどこにもない。ここにガイが居たら少しは気分が晴れただろう。こんな時はポジティブすぎるくらいがちょうど良い。だが生憎彼はトレーニング中だ。下忍たちが頑張っているのに呑気にしていられないとのことらしいが、本当は彼も気が気でないのかもしれない。

さーん!」
 遠くから聞こえる飄々とした声色。
 はそれが誰であるのか、すぐに理解した。うっかりため息をついてしまったことにも気づかない。一方、紅たちはぎょっとした表情を浮かべた。こちらに手をふる男は息を切らして駆け寄ってきた。顔布が特徴的なその男は、本日初めて試験官を任され人一倍張り切っていた。
「お疲れさまです! 探したんですよ〜。これ、イビキさんから預かったんですけど」
 そう言って男は乳白色の紙を広げた。は不思議に思いながらそれに目を通す。『物品手配書』、申請には上忍のサインが必要とある。
「試験会場で喧嘩でもあったの?」
「違いますよ、そんなのイビキさんが黙ってないですって」
「それもそっか……でも、」
 疑問は晴れない。品目は「窓枠ー2」「ガラスー2」「天井用石膏板ー2」。
「窓の修理ってどういうこと?」
 何か奇抜な技を使う忍でも居たのだろうか。見回りをした時には異常なしと聞いていたが……。
「あ、アンコさんが窓を突き破って来たんです。それで、その修繕を情報部が持つことになったらしくて、ソレっす」
 あっけらかんとした声がその場に響く。
「はァ?」
 これは誰の声だっただろう。
 呆然とするに加え、紅とアスマは複雑な表情を浮かべていた。唯一、カカシだけが現実を受け止めるかのように、書類を覗き込んだ。そして慌てる様子もなくぽつりと言った。
「でも、そういうのはじゃなくてもいいんじゃないの?」
「あ、バレました?」
 ははっと男は照れたように頭をかいた。
 —— まさか……。
 男の行動に察しがついたは密かに後ずさる。しかし、くるりとの方を向き直った男は見逃さなかった。
さん、今度こそお願いしますっ!」
 男は白い封筒を差し出す。
 それは受け取れない。最初にそう言ってどれくらい経っただろう。とにかく、男はしつこかった。隙あらば現れ、場所を問わず話し出すのだ。だが、今回は試験官もこなしている。もしかしたら、チャンスはあるかもしれない。さすがに数年も続くといつかは根負けするものかもしれない。封筒を見たは数度手を出しかけては止めを繰り返した。薄っぺらい封筒が何倍も重く見える。
「一つ……結果に文句は言わないって約束してくれる?」
「はいっ! もちろんです!」
「……絶対だからね」
 男の手から封筒を受け取ると、表情がみるみる変化した。
「よ、宜しくおねがいします!」
 ありがとうございます、失礼します、お疲れ様でした、と三方にぺこぺこと頭を下げて男は軽快な足取りで去っていく。
 とりあえず、中は確認すべきだろう。さっそく封に手をつけると、アスマが言った。
「ここで見るのか?」
 人通りは少ないが邪魔だろうか。は道の端まで移動し、再び封に触れる。すると今度は紅が口を挟む。
「それ……今見ていいの?」
「あ、ダメかな?」
「だ、ダメではないと思うけれど」
 と、言いつつも紅は困った顔をする。確認するなら早めに、そう思っていたが止めたほうがよさそうだ。

「ところで、さっきの彼も情報部? 見覚えないけど」
 カカシはすっかり見えなくなった男の残像を追うように、道の先へと視線を向けた。
「うーうん、彼は中忍の飛竹くん」
「飛竹クンね……で、それは?」
 カカシは封筒に視線を落とした。アスマと紅が何か言いたげに口を動かしたが、カカシは気づいていないようだ。
「これは異動願と推薦書。彼、情報部に入りたいんだって」
「あー。上忍なら条件満たせば推薦できるんだっけ」
「でも今は人も足りてるし、私にはそういうのは無理だって何度も言ったんだけど……」
 受け取ったものの、いのいちにどう説明するか悩む。封筒にはおそらく熱烈な文も入っているだろう。上司の困り顔が目に浮かぶようだ。やはり今回も突っぱねたほうがよかっただろうか……。は封筒をポケットにしまった。これで彼の人生が変わるかも、そう考えると責任重大だ。
「だからって、何も逃げ回らなくてもいいでしょ」
 カカシは呆れた顔をするが、は不思議だった。いくら思い返しても見られた覚えはない。
「でも、私が推薦だなんてそんな……」
 もごもごというを見て、カカシはため息をつく。
「こう言っちゃ何だけど……そんなの気にしちゃいないよ、彼」
 紅とアスマは頷いたが、どっと疲れた顔をした。

二、選抜試験

-29-