空蝉-三章-

 昔話をしていたのも気をそらそうと企んでいたから。今はそのようにも思える。

 それは国境に差し掛かった時だった。「ちぃとワシは用があるからのォ……は先に行っといてくれ」と自来也は頬をかき、何もない空を見つめた。「わかりました」とはしばらくその場で待っていたのだが、待てど暮らせど自来也は戻らない。まさか。いや、そんなまさかと繰り返す内に、朝靄の中にカラスの声が混じり始めた。
 結果を言えば、今回の任務は失敗。さあ、一刻も早く火の国へ。そう思っていたのはだけだったのだ。


 作業の手が止まったを、同僚の男が流し見る。
「こればっかりは仕方ないって。今回は予選があった分、本戦は見ごたえはあるはずだ」
 見かねたランカはそう言った。久しぶりに作業場にやってきた彼は、草隠れの里に状況を説明すべく資料をかき集めている。
「そうだね、今年は本戦もあるもんね」
 自来也を探している間、第二試験は予定通り終了し第三試験に突入していたのだ。
 安請け合いをしたつもりはなかった。アスマや紅、そしてカカシ。皆の教え子は忍者登録証を作った下忍たちでもある。少しだけでも、そうは思っていたが、……。
「これ以上余計な仕事が増えなきゃいいんだけど」
 ランカは手を止める暇はないと言わんばかりに作業台に写真を並べた。変死体で発見された受験者の物だ。
、写真はこれだけだよな?」
「うん、受験票は返すの?」
「ああ。大事な所持品だからな。亡骸も帰してやらないと。引き取りには……来ないよなぁ」
 中忍試験を受けにでかけた彼らが、まさかあのような形で帰還するとは考えても居ないだろう。ランカは悩しげに書類をなぞる。
「ねえランカ、この二人……」
 入院中という文字に不安がよぎった。死ぬ気で挑めと言われる中忍試験。まさに我武者羅だったに違いない。が手にした資料には試験の負傷者、辞退者、並びに試合結果が記されていた。死亡者も数名出ている。
「オレも見たわけじゃないが、結構無茶したらしい。だが、命には別状ないとのことだ。そもそも、ルーキーたちが無事ってことが奇跡みたいなもんだろ」
 そう言い残し、ランカは作業場を出ていった。



「大蛇丸……?」
 がその名を耳にしたのは偶然に等しかった。唖然とするくノ一に目もくれず、遺体処理班の男は書棚を物色する。
「どうやら試験に潜り込んでいたらしい。里のどこかに居ると思うと、生きた心地がしないな……」
 地図と巻物を手に取り、男は参ったと言わんばかりに息をついた。
「……大蛇丸が、里に居るっていうの?」
「捕まえたなんて聞かないしな。まあ、見たって話も聞かないが。全く、今更何しに来たんだか」
 大蛇丸が三忍の一人であることは有名な話だ。そして昔、追い出されるような形で里を出た抜け忍であるということも。がアオバたちと任務で何度も通った山地。そこで大蛇丸がアジトを構えていた痕跡が発見されたのが数年前。一部の忍の間では、それが追われた原因かと囁かれていた。
「でもまあ、俺らがどうこう言っても仕方ないよな。じゃ、これ借りてくからな」
「うん……」
 三代目が自来也を探す理由はこの件だろう。だとしたら、さすがにあの自来也も里に戻っているかもしれない。そう考えたはそっと作業場を抜け出した。

 外へと続く渡り廊下を歩いていると、一人の青年と鉢合わせた。木ノ葉の額当てをした素朴な雰囲気の男は、を見ると会釈した。
「すみません、情報部の方ですよね?」
「はい、そうですけど」
「中忍試験を辞退したんですが、ボクの書類はすべて破棄していただけるんですか?」
「……どうしてそんなこと聞くの?」
 大半は試験を断念したショックから立ち直ることで精一杯のはず。書類の行方など気にする余裕があるとは思えない。様子を窺うの視線に気がついたのか、
「すみません、気になったら安心できない質なもので。きちんと確認しないと落ち着かないんですよ」
 と、青年はメガネを正した。整った指先、曇りのないメガネとシワのない白いシャツ。確かに几帳面な空気がある。
「悪いけど今急いでるから、後でもいい?」
「ええ、構いません」
「えっと、たしか」
「薬師カブトです。……よろしくお願いします」
 青年は一礼し、口元に弧を描いた。





 古いアパートまでやってきたは慌てて階段を駆け上がった。自来也はナルトのことを気にしていた、ここに立ち寄った可能性もある。しかし、ノックをするも人の気配はない。窓側へと回り込んでみるが、室内はもぬけの殻だった。活発な少年が大人しく家に閉じこもっている方が不思議かもしれない。

「またナルト探し?」

 その声に、どきりとする。カカシがこちらを見上げているのは分かっていたが、は振り向くのを躊躇った。数秒悩んだ挙げ句、とびきり跳ねた心臓を無視すると決めたはベランダのフェンスを飛び越え、カカシの元に降り立った。
「……ナルトくんは、修行中?」
「当たり。エビス先生と仲良くね」
「エ、エビスさん?」
 思いも寄らない名前を耳にし、は呆けた顔をした。
「ほら、あの人基礎教えるの上手そうじゃない? どうも理解してないようだからオレが頼んだのよ」
「頼んだ……」
 家庭教師をしているくらいだ、エビスなら丁寧に教えるのは得意だろう。しかし、だからといってカカシの教えが悪いとは思えない。火遁の練習をしていた時。森の中で偶然会った時。癖を指摘してもらったことをはしっかりと覚えていた。
「本当なら、オレが教えるべきなんだろうけど」
 そうも言ってられないのだとカカシは息を吐いた。
「……そんなに悪いの? うちはサスケくん」
「え?」
「資料で入院中になってたから」
 ランカはああ言っていたが、本当は誰かが付きっきりで居なければならない程に重症なのだろうか。
「いやいや、サスケなら問題ないよ。ただアイツも気が強いもんだから、色々とね……」
「そっか、じゃあ大丈夫なんだね」
「そうそう。そんなことより、この前あうんの門に居なかった?」
 辺りに目を配り、カカシはの方を見据えた。
「一週間くらい前だったか。この時期に任務ってのもねぇ……気になるでしょ」
 言い逃れのできない状態に、は視線を泳がせた。何となく、カカシには黙っておきたかったのだ。
「実は、湯の国に捜索を……。だからその、予選は観れなくて……」
「捜索? こんな時に誰を」
「……じ……自来也様」
 思わずは小声になった。
 意外だったのか、カカシは「え」と声を漏らし、珍しく急かした。
「それで、自来也様は?」
「ちょっと用があるらしくて……“先には行っといてくれ”って、……」
 尻すぼみになるのはどうしようもなかった。あまりにもお粗末で口がその先を拒むのだ。もしあの時一緒に帰郷できていたら、もっと胸を張って答えられたはずだ。
「なら、そのうち里に……」
 視線を下げたカカシは渋い顔をした。
「あの、……」
「ん?」
「自来也様が里に戻られるかどうかはわからないというか……」
「会ったことは会ったんでしょ?」
「一応」
「じゃあ、いいじゃない」
 良いか悪いか、問われれば良いはずがない。カカシが良しとしても任務は失敗、それは変わらないのだ。

 は宛が外れたような気分だった。カカシの様子から考えても自来也は戻っていない、そう考えるのが妥当だ。あれから自来也がどこに行ってしまったのか、さっぱり見当もつかない。再捜索となれば、相当苦労すること間違いない。は転がった石ころを無意識に追った。
 忘れようと思えば思うほど気になって仕方がなかった。子供の頃に見た、優しそうな人物。神社で見たカカシ。黄昏時のシルエット。“ダブった”と言った自来也の気持ちと似ているかもしれない。もしかして、あの時の客人は……。いつの間にか、はおぼろげな記憶を手繰り寄せていた。
、時間はいいの?」
 はカカシを見たまま静止した。思い浮かんだのほったらかしになっている作業台だ。
「なんならオレがいのいちさんに説明してもいいけど。のことだから結構探し回ったんじゃない?」
 それを聞いた瞬間、全身がカッとなった。
「だっ、大丈夫」
 言葉にして更に頬が熱くなる。上忍に弁解してもらう上忍がどこにいるのだろう。カカシにとって自分は下忍と同等なのだろうか。煙に巻かれ、はすべての景色を遮断するように目を閉じた。


 こっそり作業場に戻ると、案の定待ち構えていた男が一人。
 の前に仁王立ちで立ちはだかるのは上司のいのいち—— ではなく、鬼軍曹こと独楽マワシだった。彼は出入り口のボートを無言で指差し、訴えた。『』の隣にはしっかりと『内務』と書かれた札がぶら下がっている。
「勝手に居なくなられると困るんだが?」
「すみません、用事を思いだして……」
 ほら、と突き出されたのは黒い封筒だった。まだ資料が揃っていないのか、重要保管箱は鍵を書けずに空いたままになっている。滅多にお目にかかれない口外厳禁の極秘資料。視線で問うに、マワシは不愉快を顕にした。
「見たらわかる」
 封筒の色から推測すると良いことではないのは明らかで、は一瞬手に取るのを躊躇った。
「うそ……」
 中を見たはなかなか状況が飲み込めなかった。資料はついさっき会ったばかりの男、薬師カブトの物だったのだ。おそらく「失効」の判を押したのはマワシだろう、押し付けた跡が憎々しいと言わんばかりに歪んでいる。は証明写真に目をやった。覚えのある、素朴な顔。
「嘘のまさか、こんな奴がスパイだったとはな……」




 翌日、遺体処理班が朝から忙しなく渡り廊下を行き来していた。さすがにマワシも気になったのか、廊下へと視線を向ける。するとスパンっと扉が開き、マワシの眉間にシワができた。
「ノックぐらいしたらどうだ?」
 情報部にやってきた男は息を切らし、青ざめた顔をして呟いた。
「ハ、……ハヤテさんが…………」

 招集がかかったのはその日の昼。火影室に集められたのは上忍と特別上忍だった。席には相談役の二名の姿もある。ただ事ではないと察するには十分だった。
 開口一番、三代目火影が月光ハヤテの死を告げると室内に動揺が広がった。諜報活動中の殉職。その突然の訃報はにとっても衝撃的だった。ハヤテとは親しい間柄でないにしても、それなりに面識はあった。口数はそう多くはないが、温厚そうな雰囲気にどことなく親しみを感じていた。何か頼み事を引き受ければ、「いつもすみませんね」「ありがとうございます」とほんのり笑みを浮かべる。目立った空気がなくとも、ハヤテの得意とする剣術には誰もが一目置いていた。認められた存在だった。その彼も、二度と言葉を交わせない存在になってしまった。実感のない事実が淡々と告げられ、言いようのない気持ち悪さが駆け巡った。

 どよめきが続く中、音隠れの里のスパイと判明した薬師カブト、大蛇丸の関わり、ここ数日で起きたことについて報告と今後について話が進む。最前列に座るアンコやライドウ、カカシが声を上げ、各々意見を述べる。積極的に意見を交わす彼らの姿は、かつて見た大人たちそのものだ。それを在々と見せつけられたようで、いつの間にかの視線は自分の膝へと向いていた。
 それに気づいたのは、ふとした違和感だった。誰かが腕を握っている。
「……また戦争になるの?」
 隣の忍がぽつりと言った。の知らないくノ一だ。意図しない行動に本人も気づいていないのか、彼女の眼は正面を見たままだった。
「決まったわけじゃないよ、可能性の話」
「あ……すみません、私……」
 彼女ははっとした顔でを見つめた。
 何か様子が変だ。ぎゅっと両手を握りしめ、何かに耐えているように見える。周りを見渡すが、生憎彼女と親しい者は居ないようだった。
「大丈夫? 具合悪いんじゃない?」
「いえ、大丈夫です」
「ほんと……?」
「はい」
 白くなった彼女の手に、ほんのりと赤みが戻っていく。
 そのやり取りを耳にしていたのだろう。たちの斜め前に座る男がぼそっと呟いた。
「こういうのが足手まといになる。偶々生きてるような奴が」
 くノ一の肩がびくりと震えた。周りの者もこの男と同意見なのか、何も言わず眼が合うとあわてて逸した。「ごめんなさい……」と言う彼女のか細い声は、周りの雑音にかき消される。俯いた彼女は両手で口を覆った。男はそれを見やると、何食わぬ顔で向き直る。その横顔を見て、言葉よりも手が動いた。
 振り向いた男は肩に触れたの手を睨み、面倒そうに舌打ちをする。
「あの、」


「そこ、何をしている。意見は挙手をしなさい」

 相談役の一声で、前を向いていた忍たちの意識が背後に移る。

「……他、 意見がある者は——

 最後尾に座っていたのが幸いした。議論が深まる中、はくノ一を外へと連れ出した。
 後になって、男の言葉がちくりと胸を刺す。慌てて引っ込めた手が情けなく思えてならない。
 どうして口ごもってしまったのか。
 は戦火の記憶に怯える背を摩ることしかできなかった。

五、揺らめき

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