空蝉-三章-

『ええ、隊を組んでいたのは本当よ。私も一時期は同じ隊にいたからよく知ってる。隊長がサクモさん、そしてユーキさんも医療班では隊長のような役割だったの。

 忍術はもちろん人としても素敵な人よ。人当たりが良くて、仲間思いの優しい方だった。それで私たちがどれだけ救われたか。あんな事さえなければって、今でも思うもの……。

 任務の事で色々あってね。……自害されたのよ。それからかしら、少しずつ変わっていったのは。元々研究熱心だったけれど、より没頭していたようにも思うわ。
 誰が悪いわけでもないし、誰のせいでもない。頭ではわかっていても、なかなかそうはいかないものなのよね……。

 だけど、ユーキさんがあなたに何も話してないなんてね。
 想像できないかもしれないけど、二人ともよくあなた達のことを話してたのよ。だから、サクモさんだってもしかしたら——






「考え事か?」
 その声に、は慌てて配置図をポケットに仕舞い込んだ。
「うーうん……ちょっと確認を」
 打ち合わせを終えたばかりというゲンマは、千本を揺らしながら中央に視線を向ける。

 予選から一ヶ月。中忍試験の本戦開催に伴い、大名を初めとし忍頭など要人たちが招かれ、木ノ葉の里は普段にない賑わいを見せていた。
 会場では上忍たちが等間隔で配置につき、警備に当たっている。一般人はもちろん、下忍たちにも何も知らされていない。余計な混乱は避け、何事もなく終わるに越したことはないからだ。
「特等席じゃないが、全然見えないよりマシか」
 の待機場所は客席の最上部、端近くでスタジアム内外を見渡せる場所だった。
「それに比べて……トクマの奴、へそ曲げてんじゃないか? ネジの試合観たかっただろうに」
「大丈夫だよ、……たぶん。」
 残念なことにトクマはここには居なかった。国境付近の警備に回されたのだ。しかし、それも白眼の能力を買われてのこと。喜ばしい話ではあるが「よりによって」という気持ちは多少なりともあるかもしれない。中忍試験中の任務の数を考えると、としてもゲンマの言わんとすることはわからなくもなかった。
「まあ、当主が来るんなら仕方ねーか。んなこと言ってる間にそろそろ時間だ。何かあったら即合図な」
「了解」
 ゲンマはの返事を聞くや否や、スタジアムの中央へと降り立った。普段どおりのゲンマの姿には感心した。もし、あの場所に立つのが自分だったら。緊張で頭が真っ白になってしまうだろう。
 それからしばらくするとアスマと紅がやって来た。二人は観客席の中程に腰を下ろす。するとに気づいた紅が小さく手を振った。もそれに答えようとしたが、行き来する客がそれを遮る。
「あの柱がなければなぁ……」
 壁と観客席の間にできた微妙な死角に、は小さく息を吐いた。


 そうこうしている内にスタジアムにはぞくぞくと人が集まってきた。忍の進級試験ということを忘れてしまいそうなほどに、活気と高揚感が会場を包んでいく。
 微かに聞こえた足音に振り向くと、そこにはアオバの姿が。裏側の連絡通路を通って来たようだ。
はここか」
 アオバは周囲を見渡し、まずまずだと呟いた。
「アオバさんは?」
「オレはあの辺」
 と、アオバは客席中央後部を指す。スタジアムの構造は把握しているらしく、余裕の表情を見せた。も同じように見渡したが、見えにくい場所がちらほらある。問題は死角だけではないようだ。着座してしまえばどうということはないのだが、立ち座りの多い今は見通しの悪さが気になった。どうにも頭一つ分惜しい。あと少しが届かない。すると「ふっ」とアオバが吹き出した。つま先立ちをしてしまった所を見られたようだ。
「笑わなくてもいいでしょ?」 
 のむっとした顔を見たアオバは「わるい」と言いつつ口元を隠す。しかし、その目元は笑ったままだ。この様子を見ていると『アイツなりに気にしてるのよ』と言われても紅の思い違いとしか思えない。それに彼女は知らないのだ、このような状況下でトクマが揃えば茶番劇を始めることを。
 今更格好悪いところを見られても何ともない。そう思うのだが、遅れてやってきた頬の熱はどうしようもなく、はごまかすようにコホンと息を吐いた。
「ところで、はどっちを応援する気なんだ?」
「どっちって、……もちろん、平等だよ? この試合は中忍試験。私も試験官なんだから、一応……」
 たとえ誰かと試合を観る約束をしていても。試験監督らしいことを何一つしていなかったとしても。公平な立場で居るのが試験官だ。
「アオバさんこそどうなの?」
「そうだな、オレは期待を込めて……お、出たな」
 スタジアムの電光掲示板に文字が灯され、アオバは曖昧に答えたまま足早に階段を降りて行った。
 アオバが席に着いたのを見届けて、は再びスタジアムを見渡した。
 やはり何度見ても同じ。居るはずの人物が見当たらないのだ。




 開始時刻に迫り、会場は満員御礼となった。不知火ゲンマの合図で中忍試験、第三試合・本戦が開幕する。
 初戦はうずまきナルトと日向ネジ。名家の忍の登場に一方へ絶望的な雰囲気が漂う中、うずまきナルトは堂々としていた。大勢の観客に囲まれてもまったく物怖じしていない。心なしか顔つきも以前よりたくましく見える。しかし、彼らの間で何か因縁でもあるのか、挑戦的な目をするナルトの姿にはハラハラした。
 以前、トクマからネジは日向家でもかなり腕が立つと聞いていた。そうでなくともネジは昨年度のナンバーワンルーキー。相当な実力があるのは間違いない。それに、思慮深そうな面持ちと絶対的自信。一瞬でも負けを意識すれば、あっという間に飲まれてしまいそうだ。
 しかし、の心配など何のその。思わぬ激闘を繰り広げる二人の試合は観客を沸かせる。倒れても何度でも立ち向かう姿にわっと歓声が広がった。次第に「行け!」「いいぞ坊主!」と客席の声が大きくなる。

 危なっかしいのにワクワクする。
 もう十分だ、そう思いかけてまた期待する。

 いつしか手に汗を握り、の胸にいつぶりかの興奮が駆け巡った。
 少しだけ応援しよう、そう思ったのは間違いだったのかもしれない。


 しかし、マイクを通し聞こえる声には息を呑んだ。ネジが額当てを取り去ると、額の呪印が顕になった。同時に思い出したのは、昔のトクマの態度だ。あの時は反抗期だと言って何となく事なきを得たが、そんな優しいものではなかったのかもしれない。
 忍の一族には忍術以外でも様々な習わしや独自の掟がある。平穏な生活の裏で、一忍には想像もできないことが、当たり前のように行われる。
 それをずっと彼らは背負って生きているのだ。

「火影になりたいんだってさ、あのガキ」

 目の前の出来事がそうさせているのか、それとも記憶がそうさせているのか。

『アイツの試合だけでも観てやってくれない?』

 カカシはどんな気持ちで声をかけたのだろう。
 一度たりとも気にしたことがないと言えるだろうか。

 薄く積み重なり沈殿した過去が、奥底からかき乱されていく。上澄みで誤魔化した世界がよどんでいく。
 試合の行方を見届けながら、の心境は複雑だった。



!」
 初戦の真っ只中。巡回中のランカが焦った顔して言った。
「カカシさん見てないよな?」
「うん、今日は一度も見てないよ」
「そうか。こんな時にどこに行ったんだろうな」
「紅とアスマには聞いたの?」
「ああ。でも二人とも見てないらしい。逆に何か隠してないかって聞き返されてさ……」
 ランカは困り顔でため息をつく。
 周囲は上忍や暗部の姿こそあるものの、カカシの姿はどこにも見当たらなかった。うちはサスケも現れない。もし来なければ、彼は失格になってしまう。
「もし見かけたら、至急ライドウさんに知らせてくれ」
「ライドウさんね、了解」


 試合は急遽順序を入れ替えることになり、慌ただしくなった。ヤジがようやく落ち着いた頃、ふっと頬を何かがかすめた。はクナイを握りしめ、気配の方へ突き立てた。

「うっかり消されるところだったよ」

 は慌てて声を飲み込んだ。柱の影に隠れるようにして現れたカカシは中央の試合会場を盗み見る。
「……皆、カカシさんたちを探し回ってる。それにナルトくんの試合も……今どこにいるの?」
 ランカとやり取りをしている間に、第一試合はナルトの勝利で幕を閉じた。スタジアムの歓声や熱気。あの感覚を師であるカカシが知らないのは惜しい話だ。そう思いつつ、はその姿を見て密かに胸をなでおろす。突然姿を現したのは分身体。そのことに、内心ほっとしていたのだ。
「どこにいるかはさておき、ちょっと伝言頼みたいんだけど。内容は、そーだな……『直接行くからよろしくお願いします』とかそんな感じでいいから」
「そんな、」
「また“どうして”なんて言うのはナシね。オレがに頼んでるってこと、忘れないでちょーだいよ」
 時間がないのかカカシの口調は早口だった。こちらのことなどお構いなしに「よろしく」と言い残し、分身体は蜃気楼のように揺らぐ。
 悶々とした気持ちがこみ上げる中、は慌てて影分身を走らせたのだった。



 スタジアムの通路を通りながら、はカカシの伝言のことだけを考えた。邪魔にならず目立たないように客席を通り抜ける。主賓席までたどり着くのは一苦労だ。ライドウの元にカカシが行けば、ちょっとした騒ぎになってしまっただろう。幸いにも、一番早くたどり着ける通路は頭に入っていた。裏口を駆け抜け、はそっと扉を開けた。すると目線のすぐ先に、見知った後ろ姿が見えた。

「ライドウさん……!」
 の囁くような声でもライドウはすぐに気づき駆け寄ってきた。
、どうした?」
「カカシさんから伝言です」
 途端にライドウの表情が一変する。
「カカシ?」
「『直接行くからよろしくお願いします』とのことです」
「待て、直接とはどういうことだ。それよりカカシは今どこに居るって? うちはサスケと一緒なのか?!」
 次々と疑問を投げかけるライドウの剣幕に、は思わず後ずさった。
「すみません、それを聞く前に居なくなってしまったので……でも、分身だったからスタジアムには居ないと思います」
「オレは火影に………………いや、わかった。ありがとな」
 影分身のに何を言っても同じだと悟ったのかもしれない。全ての煩いを吐き出すかの如く、ため息を吐いたライドウは火影の元へと足を向ける。
 何はともあれ、頼まれごとは片付けた。これで何とかなるはずだ。
 通路を抜け、スタジアムを見下ろしたはふと一点に視線を向け立ち止まった。

 あの容姿を見紛うはすがない、丸っこいオカッパ頭と緑色の全身タイツ。ガイだ。もう一人の居ないと思っていた人物が現れたのだ。そしてその隣には入院中となっていた受験者が。松葉杖をつき、ぎこちない足取りで最後の段差を登りきる。予選での出来事は書面でしか把握していない。だが、一目見れば彼の容態が芳しくないのは明らかで、一瞬は言葉に詰まった。
「ガイ、」
「おお、試験官様!」
 ガイにしては珍しいことだ。まさかそんなふうに言われると思いもせず、は反応に困った。そして第一試合の結果を見たガイは「どんな結果も青春だな!」と笑う。暗い顔なんてさせやしない。にはそう言っているように見えた。
 その傍らで、ガイとそっくりな風貌をした少年がキョトンとした顔をしてを見つめていた。
「ガイ先生、こちらの御方は?」
「お、初めて会うか。この人はな、この人は……」
 特に詰まる場面ではないはすが、ガイの顔はみるみる真顔になっていく。カカシのようにさらりと言う様子はない。そんな恩師の姿を、ロック・リーと名乗ったガイの教え子は固唾を呑んで見守っていた。
「私は情報部のです。ガイ先生とは、そのー、」
 友達……いや、ただの同期?
 ガイが止まってしまったのはきっとこういう理由だろう。カカシがナルトに言ったように、この少年にも同じように伝えるのが一番だ。はそう考えていた。こういう時は仕切り直しだ。
「私とガイ先生は、」
 と、が口を開いた途端、何を思ったのかガイはがっちりとの肩を組んだ。いきなりぐっと身を寄せられ、身動きを封じられたは棒立ちになった。見た目通りの筋肉質な身体、硬い掌。ムンっと感じる熱気はスタジアムのものだけではないだろう。鍛え上げられた腕っ節に、の肩は早々に抗うことを諦める。
「リーよ。この人はな、先生の同期で特別な仲だッ!」
 ニッと笑みを見せたガイとは裏腹に、は完璧な木人形と化した。丸い目をこれでもかと見開いた少年を目にしながら、は首を横に振ることはもちろん、瞬きすらできずにいた。
「ガ、ガイ先生! とッ、トクベツと言いますと?」
 ガイの一言はリーの好奇心をくすぶらせ、青白さの残るの頬を朱に染めた。その素直な教え子の問いかけに、ガイはすんとした顔をして、
「ダンベルを渡した仲だと言えば、わかるだろう……」
 と、当たり前のように言ってのけた。
「ダ、ダンベルを……!」
 もはやには何が起きているのか分からなかった。ただ、はっきりしているのは、が長年抱いていた疑問を若き少年は知っていることだ。近くの警備班は職務を遂行中。スタジアムの中央では急遽試合となった奈良シカマルとテマリが熱戦を繰り広げている。そんな中、廊下の一角の出来事に構う者など居るはずがない。熱い眼差しで見つめ合う師弟二人に口を出す者は、誰一人としていなかった。
 だんだんと事態を飲み込めてきたは思う。ガイのいう特別を「普通に考える」というのは全く意味のないことだ。カカシの考えていることもわからないが、ガイが考えていることもわからなかった。それはまた違った意味でを困らせた。兎にも角にも詳しく聞き出さなければ何も見えはしない。それに同期という事実はあっても、特別は言い過ぎな気がするのだ。
「あの、ガイ? 特別というのはちょっと……」
 しかし、そこでぷつりと視界が途切れる。
 消えゆく中で影分身が目にしたのは、リーが手にしていた松葉杖が脇腹を直撃するところだった。



 程なくてスタジアムの中央に木の葉が舞う。
 は唖然としたまま、その光景を見ていた。葉の渦が収まり視界に飛び込んできたのは、行方をくらましていたカカシとその教え子のうちはサスケ。
 二人の劇的登場にスタジアムには動揺と歓喜が入り混じる。

七、若葉と名残り火

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