空蝉-三章-

 試合開始を告げるゲンマの声を耳にし、は思う。あんな登場ができるのは彼らくらいなものだと。

 到着後、試験官であるゲンマと話をしたカカシは、主役にバトンタッチするように素早くその場から立ち去った—— ように見えたのだが、姿を消したはずのカカシはなぜかの隣に現れた。もちろん分身ではなく、今度は本体のはたけカカシだ。
 は何処となく気まずかった。てっきりカカシを怒らせたと思っていたし、余計な詮索をしたことも良くなかった。は無意識にズボンのポケットに指を這わせ、頭の中のゴタゴタを何とかしようと試みた。だが、へどもどするばかりで何の解決にもならなかった。

「いやー、今回ばかりは間に合わないと思ったよ」
 カカシはははっと笑った。しかし、ににこやかに笑う余裕などあるはずもなく。鉄のように固まった頬はピクリともしない。
「……もしかしたら、ライドウさんにあとで何か言われるかも」
「あーそうか、火影の護衛だったっけ」
 あれだけ派手な登場をしたにもかかわらず、カカシは平然としている。
 思い返せばアカデミーの時からそうだ。フェンスに集まったギャラリーにも全く動じず、完璧に手裏剣を当てていた。いつも悔しいほどに冷静だ。
「このまま何もないといいんだけどねぇ……」
 そう言い残し、カカシはガイたちが居る客席へと降り立ったのだった。





「風影様もこの試合を楽しみにしていらっしゃったって話だったからな。間に合って良かったよ、ホント……」
 五年は寿命が縮んだかもしれないと言うランカは、大仕事をやり遂げた後のようにほっとした顔をした。
 本来なら試験の遅刻は失格対象。先延ばしにすることなどあり得ないことだ。カカシたちが失格にならずに済んだのは、政治的裏の事情も兼ねていたからだろう。砂隠れとの関係を保つためには風影の機嫌を損ねるわけにはいかない。うちはの末裔という無二の存在は里内外で良くも悪くも目立った形となっていた。

 が試合に目を凝らしていると、ランカは神妙な面持ちで問いかけた。
「……それにしても、今年のルーキーはどうなってるんだ?」
 ランカが疑問を抱くのも無理もない。今年の受験者は強者が揃っていた。みたらしアンコが第二試験で予定より落とし損ねたことに不満を漏らしていたらしいが、なるべくしてなったと言わざるを得なかった。何しろとても下忍らくしない。特に今行われている第三試合・本戦はハイレベルな戦いばかりで、試合を見慣れた大人でも唸るほどだった。
「砂もそうだが、木ノ葉もなかなかだよな」
「そうだよね、この前までアカデミー生だったなんて思えないもん」
「もし自分が担当上忍だったとして、ここまで仕上げられる自信あるか?」
「そんなこと、答えらんないよ……」
 下忍を率いている姿などには想像できなかった。反面教師になるのであればまた話は別だが、それでも違和感は拭えない。
「ランカは自信あるの?」
「あったら聞くはずないだろ? それよりアイツらが中忍になったら同僚ってのがオレは……はぁー、うちはサスケか。ヤツが狙うわけだよなぁ〜」
 納得だ、とランカはいう。
 うちはサスケ……。
 カカシがナルトの修行に付かずサスケに付きっきりになっていたのも……。その理由を理解した途端、はカカシが口にした不穏な言葉が現実味を帯びてきた気がしてならなかった。このまま何も起こらない。そう願うのだが、時折何かが肌を刺す。まるで得体のしれない物が機会を伺っているように。
 ランカはと隣を見るが、彼は試合に釘付けになっている。もしかしたら、外で結界を張っている影響もあるかもしれない。気の所為か。
「ねえ、ランカ」
「なんだ?」
「熱心に観るのはいいけど、見回りは済んだの?」
「……そうだ、ゆっくり見入ってる場合じゃなかった!」
 マズいと言いながら、ランカは小走りで裏口から出ていった。

 何もない。何も起こらないに決まってる。
 暗示のようなその言葉は、収まりどころを無くしたままの胸に積み重なった。指先が無意識に足元のホルダーへと伸びては止まる。言いようのない不安にかられ、終いにはひどくみっともないことを考えた。
 もう少し引き止めておけばよかった。
 裏口に視線を向け、は小さく息を吐いた。





 そしてそれは、試合が盛り上がりを見せる中で起きた。

 目の前が眩む感覚に、は一瞬自分がどうなったのかわからなかった。目の前に、ふわり羽が一つ二つと舞い降りる。次第に瞼が重くなっていく。

 は瞬時に印を結んだ。一瞬の無を保ち、一気に体中のチャクラを乱す。頭からつま先まですべての熱が混ざり合う。それを一気に解き放つ。

 —— 解!

 視界が開けるのを待たずして、忍具ポーチに手をかけた。そしてクナイを構えたは目の前の光景に言葉を失った。
 会場は静まり返り、観客のほとんどがだらりと前のめりになり意識を失っている。ここにいる誰かが、何百人もいるこのスタジアムを一瞬にして静寂を作りだした。皆、術に落ちた。その事実に、武器を持つ手も力が入る。他にも侵入者が居るのか、遠くの方から警笛の音がする。こちらも合図を、とは銀笛を取り出したが、

「三代目!」

 背後で暗部の男が叫んだ。振り向いたの目に飛び込んできたのは信じがたいものだった。風影に捉えられた火影は誰も寄せ付けないまま、屋根上へと飛び移っていく。笠帽子の下で、男は愉快げに口角を上げた。
 なぜ、どうして? 三代目が、火影が——
 その疑問はすぐに無意味なものとなる。
 は恐ろしく不気味だった。体の深部に突き刺すような鋭い冷たさと、底知れない恐怖。あれは風影ではないと直感が告げる。自来也とは真逆の境地にいるあの者が。あれが、大蛇丸なのか。




 そこからは早いものだった。スタジアムには砂と音の忍たちが侵入し、目の前でクナイが飛び交った。どれほどの数か検討もつかない。さっきまで賑やかだった会場が、じわりじわりと戦場へと染まっていく。
 漂う血の匂い。時折耳にするうめき声と金属音。
 少しずつ取り戻した平穏が崩れていく。

「……っ!」
「ぐはっ……」

 背後の殺意に振りかざすその手は重い。鉄を伝い、鈍く肉を裂き、の拳を濡らした。
 二人、三人、それ以上は数える暇もない。スタジアムの上階には塀を越え、敵と味方がひっきりなしにやってくる。近くで戦っていた男も肩で息をする。その頬には汗か何かわからぬものが滴った。

 戦いながら、はランカのことが気がかりだった。裏口から外へと続く通路は一本道。そしてその先は情報部の地下へと続いている。もし、扉の先で何かあったら……。考えるだけでぞっとする。しかし、彼を追うにも裏口前は小競り合いが続き簡単に通してもらえそうにない。どうにかしてたどり着けないものか。
 敵はの隙を見逃さなかった。頬を横切るクナイには肝を冷やした。あと数ミリ動いていたら無傷ではいられなかった。

「よそ見してると首が飛ぶぞ。裏手はまだ気づかれてないし、あっちは暗部も居る。それに、彼ならきっと上手くやるはずだ」

 今追うのは賢明ではない。
 そう言って、カカシは右の頬についた血痕を拭った。顕になった赤い左目が、を射抜くように見つめた。

「わ……わかった」

 は小さくうなずいた。
 心配ばかりが勝っていたが、カカシが言うようにランカは軟な男ではない。三代目も認めた器用さ、賢く度胸もある。安易に敵に気づかれることは避けなければならなかった。
 こうして話している間もカカシは容赦なく飛んでくる武器を器用に弾き飛ばす。四方に目がついているかの如く、面白いほどに的中するのだ。も応戦するが、カカシの方が早かった。が一人相手にする間に何人ものしていく。それでも次々と襲いかかる敵に、近くに来たガイが小言を漏らす。

「格好つけてる暇なんかないぞ、カカシ。 全然減りそうもないがどうなってるんだ? まさか結界ごと破られたわけじゃあるまいな」
「悪い冗談はよせ。お前こそ、ぺちゃくちゃ喋ってると舌を噛むぞ」
「ぺちゃくちゃ喋ってるのはお前もだろ、トオーッ!」
「……こっちに向けて蹴るな」
「ああ、すまんな。わざとじゃない」

 ああだこうだと言い合いながらも二人の闘う姿勢は衰えない。それどころか、勢いは増すばかりで側にいるのも憚れるほどだった。状況はこちらがやや優勢。とは言え、スタジアムまで乗り込んでくる数を考えれば、市中も無事ではないはずだ。これは、ただの襲撃ではない。戦争だ。危惧していたことが起きたのだと、は身を以て感じていた。

 そこでふと、ナタネの顔が浮かんだ。イトは、彼女たちは大丈夫だろうか。花屋の奥様、いつもの団子屋に蕎麦屋の店主、常連客は……。

 すると、視界の端に影が写り込んだ。その先には戦闘中のアオバがいる。柱で死角になっているのか、その存在に気づいていないようだった。そろりと近づきは足元のホルダーに指をかけた。が、手裏剣では間に合わない。今度にクナイを持ち替えた。
 届いて!—— その一心で投げた二本のそれは、一方は男の顳かみに、もう一方は喉元に突き刺さる。男が手にしていたクナイは転がり落ち、その身体はアオバの後ろで砂袋のようにどさりと横たわった。
「大丈夫?!」
「わるいな、助かった」
 ふっと息を吐いたアオバは小難しい顔をして遺体を見つめた。
「どうしたの?」
「こんなときに言うのも何だが……クナイ上手くなったんじゃないか?」
 は真顔で呟くアオバに気抜けした。もっと重要な話だと思っていたのだ。
「そ……そうかな」
「ああ」
 任務に同行していたのはたった数年のことだったが、クナイの当たりが悪いことをアオバも気付いていたらしい。アオバはサングラスを正し、クナイを持ち直した。その姿を見ては思い出す。この人物もカカシ同様に冷静な男だということ。
、今のうちに直しとけよ」
「え?」
「それ」
 アオバの視線が額当てに向いた。動いてる間に崩れたのだろう、手を這わせば緩んでいた。結び方が甘かったようだ。
「ほんとだ、ありがとう」
 落ちないようきつく縛り、は同じくクナイを握った。にとって特別な物だった。譲り受けたそれは今ではいい色合いになっている。は何度も持ち手の感触を確かめた。

「いつぶりかは忘れたが、なんとかなるだろ。今は専門外なんて言ってられないからな」
「……もちろん、わかってるよ」

 背中を合わせるのは久しぶりだった。それでも一度覚えた形は忘れておらず、相手の動きもよく読めた。視野が広がり、一人で戦うよりもうんと気が楽だ。
 だが、戦いが長引くほどにとって部が悪かった。少しずつ手癖が出て、当たりがずれているのだ。かと言って、手裏剣では不意を突くことはできても大した殺傷力はない。急所をつけば動きは鈍るが、この状況で一気に片をつけるのは厳しいだろう。加えて目まぐるしく変化する状況下。は内心焦っていた。任務時はトクマが居た。それでも今までどうやって乗り切っていたのか考えるほどに非力を感じていた。

は手裏剣使えよ」
「でも、」
「残りはオレが打ってやる。それよりオレの背中がグッサグサにならないか気にしてくれ」
「グ、グサグサになんてさせるわけないじゃない!」
「ならいいんだけどな」

 アオバは屋根上を盗み見た。大蛇丸と三代目火影は結界の中だった。誰も手を出すこともできない状況に眉をひそめる。

 —— 三代目様……。

 初めて配属が決まった時、額当てを付けたクラスメイトは嬉しそうに頬を綻ばせた。
 私は誰と組むんだろう。
 嬉しさと期待と少しの不安で胸を弾ませたものだ。だが、だんだんと不安が大きくなっていく。既に班が決定して、友人のツヅリも出ていってしまった。ぽつんと残ったに声をかけたのは、知らない年上の忍だった。
さんはうちの班に来てもらうから』
 その声で何を思ったのかといえば、やはり落胆が大きかった。だから、どうせこの班も同じ。そんなものだろうと……。

 カカシやガイのように手早く方を付けることも力で相手をのすことはできない。アオバのように器用になんでもできるわけではない。それでも、精一杯やるしかない。

『わしはこの歳になっても学ぶことが多々あってな。不思議なことに、ある時、はたと気づくのじゃ……』





 屋根上の結界が燃えるように消え、この戦いの終わりを告げる。

 崩れた塀、充満する血の匂い。歩けば遺体が転がっている。
 ついさっきまで、同じ場所に立っていた忍が今は息をしていない。
 気づいたときには、十数年前と同じ景色が目の前にあった。

「忍とは何なんでしょうね」

 面を付けた男がの耳元で囁いた。
 が投げたクナイは何の手応えもなく虚しく転がり落ちる。

 スタジアムの中心にはカカシ、ガイ、ゲンマの姿が。彼らの前には砂の忍が立ちはだかっている。そこにさっきの男が降り立ち、面を外した。

 “カカシの眼は、うちは一族ほど完璧に使いこなせていない”

 そう言い残し、薬師カブトは砂の忍・バキと共に消え去った。
 顕になったその顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。

八、紛糾の根

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