空蝉-三章-

「何してるんだろうな、オレたちは」
 ぶっきらぼうな声がする。
 いつもガミガミと説教うるさく現場の指揮を上げる男が、ぽろりと弱音を吐いた瞬間だった。

 火影が命を落とした。
 それは里にとって、最も重要なものを失ったに等しい。
 幸いにも情報部の忍たちは皆無事だった。もちろん、が気にしていたランカも。市中は荒れはしたものの、一般人への被害はそれほどないようだった。それでも、作業場の空気は一段と重い。登録証の殉職という文字が何も意味を持たないただの印に見えてくる。作業場に聞こえるのは耳触りの悪い話ばかりだ。砂や音、そして木ノ葉。屍はどれも同じような扱いだ。遺体袋に包まってしまえば忍であることすらわからない。遺体処理班がせっせと資料を運び入れ、作業台には未処理の書類があっという間に積み上がる。尋問部でも生け捕りとなった忍から様々な情報を聞き出しているという。それらもまた分厚い資料となって加わることは必須だ。

「二人とも、祭壇の準備が整ったそうだ」

 同僚の声に、マワシは手を止めた。
、先に行けよ」
「マワシさんこそどうぞ。元は私の仕事なので」
 空気を読んで、という気は毛頭ない。は作業台から頑として動かなかった。
「……まったく。遅れるなよ」
「はい」
 出ていったマワシを見て、は書類一式を保管箱にしまった。
 まっさらな作用台を見つめていると、コンっと小さく音がした。視線を向けたに、柱に寄りかかった御仁はわずかに口元を緩める。





「お前さんは探す手間がかからんな。エビスに聞いたら一発だった」
 悠長に聞こえるのは下駄のせいだろうか。前に進むたびにかっぽかっぽと音が鳴る。

「自来也様」

 自来也は立ち止まることなくそれに耳を傾けた。「なんだ?」と先を促す声はどこか上の空だ。
「あの日、……どうして私と一緒に戻ってくださらなかったのですか?」
 理由くらい聞いても罰は当たらないだろう。は晴らすおりのなかった言葉を吐き出した。
 説得できなかったのは自分。
 それでも、もし、自来也が戻っていたら……。
 そんな風に考えてしまう。
「私はあの文の内容を知りません。でも、おおよその見当はついています」
 ははっきりと言い切った。それでようやく本気で聞く気を持ったのか、自来也はの顔を盗み見る。
「……置いていったのは悪かった。だが、誤解のないように言っておく。ワシはただぷらぷらしておったわけじゃないからな」
 前を向き直った自来也は続けた。
「あの後、大蛇丸のアジトの情報を得て様子を見に行った。破落戸ごろつきの集まりがあると聞いて、隣町の外れに向かった」
「抜け忍、ですか」
 自来也は疎むように空を見上げる。里を抜けた忍が寄り集まるのはよくあることだ。放浪したり、富豪の用心棒を務めているのならまだマシだろう。体よく使われることを好まず、盗賊と手を組み事件を起こす者もいる。里を出た理由も然り、そのような者が改心するのは稀である。
「詳しいことは言えんが、一癖二癖ある厄介者だ。それからは、例のガキの相手をしておったわけだが……」
「ナルトくんの相手?」
「アレは見かけも中身もまだまだ手のかかるヒヨッコだのォ」
 自来也から見れば、ナルトが幼く見えるのは仕方がないかもしれない。しかし、相手をしていたというのは引っかかる。エビスの件はカカシから聞いたのだから間違いない。カカシが嘘を付いていなければ……。だが、自来也が里に居ると知っていたとしたら、あのような反応はしないはずだ。もしかして、嘘をついているのは自来也なのではないか。はそう思いはじめていた。
「自来也様、ナルトくんにはエビスさんが修行に付いていたはずです。なのに、……どういうことですか?」
 前のめりになるに対し、自来也は面食らったようにきょとんとする。
「知っておったのか。ちょっとばかし気になることがあってな、エビスに変わってもらった。まあ、色々あって戻ってみればあの有様だったが……」
 この時、初めて自来也の声が沈んで聞こえた。
「理由があるのなら、あの時言ってくださればよかったのに……」
 問い詰めてしまった手前、少々決まりが悪い。
俯いたに、自来也は呆れた声を出した。
「わかっとらんの〜」
「え?」
「“つきまとう”と吐かした女子にわざわざ言うバカが居るか」
「ですが、」
「火影が向かわせたのは湯の国。それ以外はない。目的は何が起こるかわからん僻地だ、勝手に連れて行けるわけがなかろう。それに、理由を聞いて素直に帰るようにも見えんからな」
 どうだ、外れちゃいないだろ? と自来也は己の勘を見せつける。
 の返事はぐっと喉につっかえた。自分でもあの状況で「わかりました」と言うはずがないとわかっているからだ。
「案外、中身は母親似だったりするのかのォ?」
 自来也は顎に手を当て思案する。
「思い違いです」
 ツンとした声色に、自来也はくすりと笑った。

「ところで、……初めてナルトを見た時どう思った」
 は視線を泳がせた。
「どうって……」
 きっと自来也はアオバのように流しはしないだろう。あんなことを言ったら大笑いするかもしれない。御伽の話か、と。既に察しが悪いと言わしめたのだ、次はもっと上の言葉が降ってくるかもしれない。様子を窺うに、自来也は顔を顰める。
「ほらっ、勿体ぶらずに正直に言ってみろ」
「そんなこと聞いてどうするんですか?」
「ただの好奇心だ」
「……後で笑わないでくださいよ?」
 初対面の時もそうだったが、先日の試合でより一層感じた。眩むように地を照りつけ、空の青を鮮やかにする。
 何度考えてもこの答えしか浮かばない。
 の答えを聞いても自来也は笑わなかったが、何か口にすることもなかった。
 もしかして笑いをこらえているのではないか。そう思っただったが、自来也の表情を見てほっとした。ふっと笑みをこぼした自来也は、「なるほどな」
と感慨深げに呟いた。



 第三演習場の前までやってくると、自来也は足を止めた。
「まだあったのか」
 垣根の先に見えたのは、直立した三本の丸太。たちの下忍時代、既にあったものだ。昔は到底届きそうにない大木だったはずだが、実はそうでもないことに気づく。背の高い自来也が隣に立つとより小さく見えた。
「ここも変わらんな、ガキの頃と同じだ。そういえば、鈴取りは今も登竜門らしいな?」
「はい。今年もそうだと聞いています」
 長年の雨ジミと日焼けと傷。年輪ははっきりと見えない。だが、随分昔からこの場所を見守ってきたのは本当だろう。
「もしやジジイが立てた……いや、もっと昔からあったのかもしれん」
 ぽつりと雨粒が落ちた。降り出した雨はだんだんとひどくなり、見通しを悪くする。自来也は丸太から視線を移し、前を見据えた。
「何を見てるんですか?」
 踏み出した足先が、こつんと何かに触れた。視線を落とすと、クナイが一本転がっていた。おそらく演習時に回収し忘れたものだろう。
「錆だ」
「サビ?」
「少しの傷から広がり続け、芯から腐らせる。手入れを怠るとあっという間にな」
 自来也はそれを拾い上げ、樹木の中に投げつけた。それはトンッと的の中心に突き刺さる。さすがと思ったのも束の間。ぽきりと折れたそれは雑草の中に紛れ込んだ。

 は再び自来也が見ていた先へ視線を向けた。
 遠目からははっきりとはわからないが、その影は人の形をしていた。打ち付ける雨を気にともせず、前のそれを見据えている。見た所、随分長いことそうしているようだった。今も立ち去る様子はない。
 すると、花束を持ったくノ一がこちらに気づき、小さく会釈した。凛とした雰囲気をしている。素直に綺麗な人だとは思った。
 前を向いた影は、彼女と入れ替わるようにこちらを向いた。ぼやけていた形がだんだんとはっきりとしていく。そしてその人物は、はたと立ち止まる。

「自来也様……と、?」

 は自来也の後ろで隠れるように立ちすくんだままだった。それを見て、カカシは物言いたげな視線をよこす。
「なに、諸々について弁解しただけだ。放っておくと、くの一の評価がガタ落ちしかねんからな」
 人の噂は早いもんだと自来也は愚痴をこぼした。
「疾しいことは早めに精算するに限る。そう思わんか?」
「そうかもしれませんが……」
 行かないんですか? と問いかけるカカシの視線に、自来也はふんっと鼻を鳴らし、
「生憎、昔からああいう湿っぽいもんとはどうもな。説法なんて聞けたもんじゃない」
 と、そっぽを向いた。お前たちで行ってこい、と一人歩みを進める。
「あっ、自来也様、」
 の声にも振り返らず、背中越しにひらひらと手を振る。
 だんだんと遠ざかる下駄の音が寂しく鳴いた。
 通り雨は足跡を消しさり、できたばかりの水溜りに青空を映し出す。

 その背を見送るように、は無言で立ち尽くした。すっと息を吸うが、何を発していいのかわからなかった。湿り気のある空気が灰汁のように嫌なクセを残す。まるで喉の粘膜から気道までをも侵されたように、胸の奥がずんとする。
 視界の端に石碑が映り込む。カカシがあの場に立っていた理由がそこにある。そう思うと、何も言えなかった。
 そうしていると、カカシの隣に影が降りた。
「カカシ先輩、私は先に行きますよ?」
 さっきすれ違ったくノ一だ。濃紺の長い髪からキラリと雫が落ちる。カカシが「ああ」と短い返事をすると、あっという間に居なくなった。
はどうする?」
「あ……行く、私も」
 は軽く水気を払い、身なりを整えた。


 聞いて良いもの、だろうか……。
 瞬身で移動しながらは考えていた。あの花はおそらく月光ハヤテへ宛てたものだろう。
「さっきの人って?」
 はそれとない口調で問いかけた。
「ああ、昔からの後輩」
「あの人も暗部だったんだ」
「だったというか、彼女は現役」
「えっ、そうなんだ」
「今のところはね」
 今後は火影次第だとカカシはいう。
 悠長なことを言っていられないのはもわかっている。それでも、葬儀に向かうこの足で、「次」を考えられなければならないのは複雑だ。






「遅かったな」
 の気配に気づいたマワシは訝しげな視線を送る。
「すみません、急用で外してました」
 火影の棟の屋上は集まった忍たちでいっぱいだった。
 遺影を見ても、三代目火影が居ないという実感はわかなかった。本当なら今頃、中忍試験が終わり結果が出ている頃で、三代目火影から昇進した者への辞令が言い渡させるはずだった。火影室に行けば、煙管を吹かし書物をしているような気がする。様々な準備をしていても、この事態を誰が想像しただろうか。若い忍だろう、しくしくと泣く声が耳の奥に残る。自来也が苦手だと言っていた説法は漫談のように面白いものでもなく、淡々と決まった一節を告げている。そんな中、マワシが に囁いた。
は三代目の最期、見たんだよな」
 は小さく頷いた。

 屋根上の結界が解け、スタジアムの戦いも終わりが見えた時。はアオバたちと最期の場所へ駆けつけた。目にしたのは、横たわった三代目火影の姿。まだ息があると信じて疑わなかった。
 しかし、三代目は旅立ってしまった。
 腹に深い刀傷と封印式を残して。激闘の末の死だった。

「三代目様は、笑ってました」

 いろいろなものを背負ってきて。戦って、失って。裏切られて。
 それでも、三代目火影は笑みを浮かべて逝ったのだ。

 マワシは前を見据えていた。顔岩を見ているのだろう、その表情は硬い。子どもの泣き声はいつの間には止んでいた。
 前方でナルトたちの声がする。自ら前を向く姿に、自然と周囲もそれにならう。
 駆け出していくナルトの先には、彼を待っている友人たちとカカシの姿があった。

 は背を向け、地を蹴った。
 この時、は慰霊碑を見ていた後ろ姿を思い浮かべていた。

九、先を見るもの

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