空蝉-三章-

 葬儀の後、木ノ葉の上忍たちは緊急招集されることとなった。火影不在の今、代わりに指揮を取るのはご意見番だ。顔を出すと思われたダンゾウの姿はそこになく、コハルとホムラの二人が意見を延べた。まずは早急に次期火影を選出すること。他国・他里への警戒を怠らないこと。留意すべきことが次々と告げられる。中でも忍たちを驚かせたのは、砂隠れの里が全面的に降伏すると宣言したことだった。


「つまり、事の発端は全部大蛇丸ってことでひょ」
 トクマはそれしかないと決定付けるようにそう言った。
「……なんでお前は断りもなく食うんだ?」
 アオバの目の前にある白い丸皿。そこに一つ、ぽつんと残っていた胡麻団子をトクマが頬張ったのだ。
「すみません、腹が空いてしょうがないもので」
 見かねたは自分の皿をそっと前に押しやった。
「これ、よかったら」
 と言っても、の皿にあるのは揚げ饅頭である。胡麻団子とは似て非なるもの。
は気にせず食べてくれ……」
 アオバは気を紛らわすように、手元のグラスに視線を落とす。

 たちが話し込んでいたのは中華屋の一角だ。このように三人揃って非番というのも滅多にない。中忍試験で中断されていた任務受付は、先の一件で今も本格的な再開の目処が立っていない。戦闘で多くの忍を失ったこともあり、まずは里内での立て直しが急務となっていた。

「問題は、次の火影だな」

 三人の視線が一人の男へ集中した。
「でしょうけど……誰が呼んだんですか?」
 トクマが眉を潜め、じろりとアオバを見る。
「呼んでない。付いてきたんだ」
 ここ、中華屋にはそれぞれやってきた。始めは三人だけだった。招待はしていないのだがら、誰かの後を追ってきたとしか思えない。店と隣接するテラス席はまだ空きがある。それにもかかわらず、その男はなぜか相席を希望した。じっとりとしたアオバの視線など気にする様子もなく、マイト・ガイは、神妙な面持ちで揚げ饅頭に視線を落とす。中忍試験の受験者は実質の休暇となっている。それで時間を持て余したということも考えられる。
「なぁ、次の火影って……ダンゾウじゃないだろうな」
 突然、アオバは小声になった。はその気持ちが何となくわかった。ありえない話ではないと思うのだ。今こそ火影になるチャンスに違いない。しかし、ガイはそう思わなかったらしく、
「それはどうだろうな。もしそうだとしたら、この前の招集で顔を出さないのは妙だ」
 真っ当な意見を述べるガイを見て、トクマはいう。
「でも、大蛇丸だって今は三代目の技で弱ってるって話ですよ。どっちにしても狙うなら今じゃないんですか?」
「その前に、別の人物に白羽の矢が立ったと考えるべきだろう」
「他って、誰が」
 トクマの疑問をアオバが拾う。
「その誰かがわかれば、とっくに噂になってる」

 そんな話をしていると、の目の前にすっと手が伸びる。その手は揚げ饅頭を一つ手に取り、「冷めても旨いもんだな」と一言を述べた。呆気にとられる一同を無視し、
「お前さん、ナルトが行きそうな食い物屋知ってるか?」
 と、を見る。甘さも丁度いい。そんなことを言いながら、二つ目の団子を手に取った。
「食事なら、たぶん一楽……?」
 極めて高い可能性を口にしたに、体格の良い白髪の男は言った。
「一楽というと、通りのラーメン屋か」
「そうです。白提灯の」
 以前、立ち寄った部屋の雰囲気から考えて、相当なラーメン好きだと言うことはよくわかる。それには何度か目撃したのだ、ナルトが嬉々として一楽ののれんをくぐる姿を。
「一応、カカシさんに聞いてみる方がいいと思いますよ?」
「そう思ったんだが、探してる間にお前さんが先に見つかったってわけだ。お前たちも真面目だのォ〜。他に話題があるだろ」
「えっと、……」
 は返答を濁した。それが理由で集まったわけではなかったが、皆の関心事は似たり寄ったり。自然に話し込んでしまうのは仕方ない。
「それはそうと、ナルトの奴しばらく借りていくからな」
「連れ出すんですか?」
「太陽と言わずとも、せめてニワトリくらいにしてやろうと思ってな」
 修行につけるつもりなのか。だが、わざわざ里の外に行く理由がわからない。術を教えるのなら演習場でもできるはずだ。
「じゃあ、邪魔したのォ」
 しばらく男が立っていた場所を見ていたは、ハッとして向き直った。
「ねぇ、私思うんだけど、次の火影って……」
 は口を噤んだ。彼らが何を考えているのか、その表情を見ればわかる。現にアオバは絞り出した声で、
「さっきのアレは何だ……?」
 まるで幻でも見たような顔をした。なぜ自来也と面識があるのか。知らない間に顔が広くなったのかとアオバはいう。今までの経緯を話すことも考えたが、結局は「色々あって」と言うにとどまった。
 その一方、トクマは「本当に実在してたのか」と考え深げに言った。トクマが『伝説の三忍』と言われてもピンとこないのは仕方がない。里へ何十年もまともに顔を出していない忍など、雲の上の存在を通り越し、ただの語り草となっていてもおかしくない。あの大蛇丸の存在でさえ、皆始めは半信半疑だったのだから。



「……それで、ガイさんは何の用ですか?」
 ひとしきり話したところで、アオバが切り出した。もちろん、このまま居座っていてもなんの支障もないが、一向に動く気配のないガイをも不思議に思っていた。いつもなら忙しなくトレーニングに勤しんでいるであろうあのガイが、ずっと黙って椅子に座り続けている。しかも、あれきり何も話さずほぼ聞いているだけ。まるで何かをじっと待っているようだ。
「なんでもない。アオバ、オレのことは気にするな」
「いやいや、絶対何かあるでしょ!このメンツで楽しくお茶でもする気か?用があるとするなら……オレか?」
「違う」
 ならばとアオバがトクマを指す。しかし、
「いいや」
「じゃあ…‥」
「いや、別になにも、なんにもない。全然大したことはない」
 ガイの返事を耳にするなり、アオバたちはを見る。
「つまり、ガイさんはオレたちがずっと邪魔だったわけだな。了解した」
 集まって30分も経っただろうか。お開きだとアオバはトクマを連れて席を立つ。通路に出た途端、「じゃ、お疲れ!」と二人は人混みへと消えた。今度はいつ集まれるかわからないというのに別れ際はあっさりしている。物分りが良すぎる二人に置き去りにされたは戸惑いつつガイを見た。
「用事って、どうしたの?」
 さっきのように「なんでもない」そう言ってごまかすのではないかと考えていたは困惑する。
「……折り入って、相談したいことがあるんだ」
 がっちりとした体格に似合わず小さな声だった。




 「どうぞ」とが部屋に招き入れると、ガイは丁寧に靴を揃えた。そして一歩進む度に、みしみしと床鳴りがした。初めて聞く音に床が抜けるのではないかとは心配になったが、幸いそのような珍事は起こらなかった。
「色々考えたんだが、他に宛もなくてなぁ」
 未だ教え子の容態が芳しくないことを、ガイは心痛な面持ちでに話して聞かせた。命に別状なく、本戦の会場に自力で足を運ぶくらいの体力はある。ただ、忍としての生命線は極めて厳しいものだった。木ノ葉病院では手を尽くしているらしいが、予選で受けた傷は深く、はっきり言って手の施しようがない状態だという。試合会場で目にしたリーの体調が万全ではないのは見て取れたが、まさかそこまで深刻だと思いもしてない。
「何か参考になりそうな……薬剤の資料とか、なんでもいいんだ」
「ちょっとまってて。たぶん、まだあったと思うから」
「悪いな」
 の自宅にやってきたガイはが差し出した座布団に申し訳なさそうに座り、その様子を見守っていた。
「この辺に入れたと思うんだけど……」
 が実家を引き払うと決めたの十年以上前のことだ。遺品を含め家財道具など多くの物を処分したが、その中で最も困ったのが母親の私物である。安易にゴミ収集に出すわけにもいかず、紙類は庭で薪をくべて焼いた。薬品類は木ノ葉病院の廃棄係に相談して処分した。そしてその中で唯一残ったのが、数冊の本だった。形見のつもりでそうしたのか処分に困った末であったのか、はっきりと覚えていない。ただなんとなく、としか言いようがなかった。
「あ、これだ」
 アカデミー時代の教科書や古びた学習ノートの下にそれはあった。綴紐でくくられた和本帳が3冊。紙は傷み黄ばんでいて、表紙をめくると湿気た匂いがした。探すのは神経系に関する記述だ。ページをめくりながら、細い文字を追っていく。もしかしたら何もわからないかもしれない。むしろその可能性が大きい。それでも、たとえ1パーセントでも有益な情報があるのなら……。どんな些細なことでも見逃すまいとするガイの様子から、は並々ならぬ思いを感じた。その熱意に押されも懸命に目を凝らすが、その眼差しは徐々に険しいものとなっていく。


「頭が痛くなりそうだな……」
 眉間を抑えながら、たまらずガイが呟いた。みっちりと文字の詰まった和本帳は想像以上に根気が必要だった。よくもここまで細かく書いたものだとは思う。このような作業は情報部で鍛えられた方だと思っていた。しかし、こんなにも複雑怪奇ととれるものは珍しい。しかもそれが身内の残したものというのがまた複雑だ。はたして何のために書き残したものかと疑問に感じるほどだ。それほど読みにくかった。もしかすると、読み返すために書いたものではないのかもしれない。
「情報部はこんな時どうするんだ?」
「もちろん全部読み直すよ、急ぎなら徹夜でも。本人が居れば直接見に行くことだってあるし」
「直接?」
「いのいちさんが装置で相手の脳を探るの。私たちはそれを書き起こすのが仕事なんだけど、なんていうか……私は少し苦手かも」
 見たくもないものが見える。それが苦手だ。
 ガイはふうんと鼻に抜けるような返事をし、ゆっくりとページをめくった。
「脳を探るっていうのは、アレか?映像で見るんだよな」
「そう、相手の目線で見たものをそのまま。そういうことをするのはたいていは犯罪者だから……その、」
「たしかに。罪を侵した人間の思考回路なんぞ、知りたくはないな」
「うん……そういうこと」
「仮に、罪を犯した時の記憶が無くなるとどうなるんだ?」
 思わずは顔を上げた。
「無くなる、記憶を消すってこと?」
「まあ、そうなるな。できるならの話だが」
「できると思うけど……たぶん、難しいんじゃないかな」
「どういう意味だ?」
「成り立ちというか、人の記憶や思考は全部繋がってるから……更生って意味ではその部分だけ取り除くのは難しいんじゃないかって。……あんまりうまく言えないけど、」
 装置を使って脳内を書き起こすのだから、それを応用すればできないことはないだろう。だが、そんな非人道的とも言えることを火影もいのいちも良しとするわけがない。
もそれをできるのか?」
「私は……どうかな、私は見るのも遅いから。装置とは勝手が違うし、もたもたしてる間に追い出されちゃうかも」
「そうか……」
 今日のガイは少し変だ。さっきも妙なことを言うものだと思ったが、今も考え込んだように手元を見たまま動かない。明らかにの知るガイではなかった。もし、「できる」と言ったらガイは何と言うつもりだったのだろうか。まさか、リーの……と、の中で、らしくもない考えが過ぎる。
「でも、ちょっとびっくりした」
「何がだ?」
「ガイが母のことを知ってたなんて思わなくて」
「ふと、ガキの頃を思い出したんだ」
「子供の頃?」
「オレの親父はあまり器用でなくて、よく任務で怪我をしてな……。その度にまたさんの世話になったと言って帰ってきた」
「そうだったんだ……」
 真っ当に人助けをしていた話など初めて聞いた。しかも、それをガイの口から聞くとはおもってもみない。
 自分だってできることなら助けになりたい。そう思うが、そう都合良く事は運ばない。そろそろガイも気づいたはずだ、淡い希望がただの書き遺しとして消えたことに。は手元の本を閉じると、ガイの方へ向き直った。
「……きっと、他にも方法があるよ。私たちじゃわからないけど、医療忍者なら何かヒントを見つけられるかもしれない。この本、見てもらおう」
 としては前向きな話をしたつもりだった。しかし、目の前で突然パシッと痺れるような音がした。
「なっ、何やってるの!?」
 ガイが自身の頬を叩いたのだ。たちまちガイの頬は真っ赤になる。
「これは戒めだ。正直、さっきまでオレは良くない事を考えていた……。見せてくれと頼んだオレが言うことじゃないが、これはに残した物だ。外に出す代物じゃない」
「でも、」
「良くない事が書かれていたらどうする? 所持していたが責任を負うことになりかねん」
「……良い事も書かれてるかもしれないよ。それに大丈夫、木ノ葉病院に頼りになる人がいるから」
「信頼できるのか?」
「うん」
「そうか」
「ごめん、私だけじゃ頼りにならなくて。こういう時、もし……ツヅリとリンちゃんが、二人ならもっといい話が聞けたのかな……とかね、ハハ」
 思わず出た言葉をは慌てて誤魔化した。だが、ガイはクスリともしない。「仮定の話はわからん。今は今だ」と真面目な顔をされ、は急に居た堪れない気持ちになった。「そうかもな」「確かにな」と言われたほうがよほど気が楽だった。
は医療に興味がないのか?」
「私はべつに、そういうのは……」
「あれはに残したものだ。そして、もそれを残していた。これに何か意味があるんじゃないかとオレは思う」
 やはり今日のガイは変だとは思う。いつも言わないような事ばかり言ってくる。意味なんてない。あるはずがない。と、喉まででかかったそれを胸の奥に押し込んだ。
 「そろそろお暇する」とガイは腰を上げた。いつもの廊下がなんだか狭く感じる。靴を履くガイの背を見ながら、は徐に呟いた。
「この前の中忍試験の時だけど、なんであんな言い方したの? リーくんに」
「ん、リー?」
「ほら、特別とかなんとか、ダンベルがどうとかって言ってたじゃない」
「ああ。それが何か問題か?」
「問題ってほどでもないけど、リーくんが色々と勘違いしてるんじゃないかと思って……」
「勘違い?…… よくわからんが、ダンベルは特別だ。何しろ友情の証だからな。いや、 同士の証とも言うか」
「同士……」
「特にに渡したものは特別で、昔カカシに嫌味を言われたことがあってな。『そんなもん、受け取るくノ一居るわけないでしょ』『居たら相当な変わり者だな』とか何とか。だからオレはなんでも決めつけるなと言ってやった」
 思い出してまた腹がたったのか、ガイは見るからに闘志を燃やした。
「今度カカシに会ったらガツンと言ってやる!……で、リーが何だ?」
「あの……何かわかったらすぐに知らせるね、リーくんによろしくね」
「ああ。きっと方法があるはずだ」

 ガイが本調子を取り戻しても、はちっともスッキリしなかった。じゃあな!と玄関を飛び出したガイは、階段を飛び越えあっという間に居なくなる。キャッと声を上げた隣人の声に気づくことなく、は部屋へと戻っていく。テーブルに広がったままの話本帳が、ひどく際立って見えた。

十、思考の切れ端

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