空蝉-四章-
「—— この事態だ、ナルトは自来也が預かるそうだ。私もそれが一番良いと思っている」
その五代目火影の言葉は当人の為のようでもあり、自身へ向けられたもののようにもカカシは感じた。
サスケが里を抜けて半月ほど後、火影の予告通りナルトは自来也と旅立った。一たび修行といえば嬉々としてでかける姿はいつもと変わりなく見えた。カカシとしては特段心配しているつもりはなかったが、どこか滲み出るものがあったのだろう。「今回は長旅かもしれないが⋯⋯なに、悪いようにはならん」と、火影は奇妙なものを見たような視線でカカシを見たのである。
ひょっとすると過保護と言われるのも時間の問題かもしれない。
そんな考えが浮かばなくもなかったが、心配よりも喜ぶべきものは成長。カカシはそう思うことで、一旦はそれらを打ち消した。しかし程なくしてもう一人の弟子、春野サクラまでも五代目の元で医療忍術を学ぶこととなり、カカシの身辺はいよいよ静かになった。もちろん、これまで四六時中彼らと居たわけではない。どちらかと言えば任務以外のことは干渉していなかった。それでも自分の手を離れるときが近づいていると考えると、つい先日まで「カカシ先生ー!」と騒がしい日々が遠い昔であったかのように思う。
カカシは火影岩を見るたびに、問題ばかりの手がかかる“若者たち”を見つめる目を思い返すのだった。
次いで一連の事柄についての報告書と始末書で頭を抱えていたカカシであったが、それらを提出するころにはの体調も回復し、いくらか肩の荷が降りたように思った。
が目を覚ました時、カカシはごく普通に振る舞った。取り繕うような文言は何も意味をなさないことはわかりきっていたので「どうも」と短い言葉に留めた。それを見たは一瞬驚いたような素振りをみせたが、カカシを追い払うことはしなかった。もっとも、追い払いたくとも喉が渇いて声がでなかったのかもしれないのだが。カカシはそれを良しとしてさらに続けた。
「ネジもナルトたちも無事だよ」
と、あくまで軽い声色で述べる。するとはほっとした顔をみせ、そして出来事を思い返すように天井を見つめた。カカシは何が巡っているのか想像したが、正解は見えない。もこの件の関係者。事の詳細について説明することもできるが、それは今ではない。言葉の自由がない相手に一方的な話をするのは少々気が引けた。
—— そういえば昨日、日向トクマに睨まれたんだった。たぶんあれはオレに文句を言いたかったんだろうな。
表立って責め立てはしなかったが、彼の『カカシさん、お疲れ様です』が鋭く聞こえたことをカカシは思い出す。
「トクマ君が今度また改めてお礼を言いたいって話していたんだけども……ま、それは一旦置いといて」
カカシは飛び出したグローブの糸を一瞥する。今話すべきことはこれではない。もっと適切な言葉があるはずだ。もともと、ここへ足を運んだのは報告書を読めばわかるような事柄を話すことでも日向の言付けでもなかったのだ。
「色々あったけどさ、」
本当にも大変だったと思うけど。
さらりと述べようとした言葉がマスクの下でくぐもった。天井を見ていたの視線が疑問を浮かべ、次の言葉促すようにカカシを捉える。対話とまでいかないが、少なくとも多少の関心はあるらしい。カカシはふと、いのいちの言葉を思い出す。
『案外、は話したがっているかもしれないぞ?』
しかしこちらに近づく忙しない音がそれに水を差す。この足音はベテラン看護師のものだ。
「ここは女子部屋ですよ、いつまで居るおつもりですか!」
「……延長は?」
「できません。規則ですから」
カカシが仕方なしと背を向ければ強引に病室を追い出される。「お大事に」の一言すら許されない空気は一流の忍であってもしどろもどろになるものだ。ここでの最優先はベッドに寝ている患者である。
「じゃあ、そのうち。そういうことで……」
もはや廊下に向かって話しているような状態でありながら、カカシはかろうじて言葉をかけた。
もしかしたら、自分の願望がそう映っただけかもしれない。カーテンの奥でがほんのちょっと笑ったような。
なぜかカカシは暗雲にほんの少し光が指したような心地になり、翌日の任務に出る足取りは想像よりも軽かった。に「無事で良かった」その一言が言えずじまいであっても。
任務報告書を出す際は多少なりとも疲れた顔をしている方が吉に回ることもある。サスケたちの騒動からしばらくたったある日のこと。五代目火影は片手間のように報告書を手に取り、それからカカシをなじるように見た。しんとした火影室でブヒヒっと側近のシズネに抱かれたペットの気楽な鳴き声が妙な間をつくる。
「随分余裕があるようじゃないか」
確かに任務はSランク1回、Aランクが3回と、比較的疲労の少ない案件が多かった。
基本的には暗殺を伴わない富豪の護衛は中忍が受けることが多い。が、稀に資金を積んで上忍へ依頼を持ちかけるケースがある。近頃は街中にも物騒な噂が流れているのか、そういった護衛の依頼が増えていた。一方でSランク任務は減少傾向にあり、半端者は身を潜め、極力目立たぬように徹していた。その原因は大蛇丸周辺の類であることは明らかだ。その不本意な抑止力を五代目火影が心地の良く思っているはずがなく、不機嫌な様子が度々目立った。こんなときは余計な荒波は立たせないのが鉄則である。
「まさか。肩やら腰やらそりゃもう石のようで……。それで、次はどのような案件でしょう?」
カカシがいつもの調子で答えると五代目は息を吐く。
「カカシに一週間の休暇を命ずる」
「は……休暇?」
何をしたか考えるが、どれも心当たりが多すぎる。とっさに謹慎処分ですかと訪ねようとしたカカシに一枚の紙が差し出された。
「その後、この任務についてもらう」
ひらりと手渡された依頼書を見てカカシはいよいよ戸惑いを隠せなかった。ツーマンセルの長期任務。今までもそういうことは何度かあったので、それは問題ない。だが、
「失礼を申し上げますが、ツーマンセルの相手合ってます?」
「ああ。最初ガイに頼んだんだが、訳のわからんことを言って断りやがった」
“エッ!? い、いくらなんでもオレでは荷が重いといいますか、まさかあのような話になるとは夢にも思わず、そのような計らいを受ける身にあらずでありまして⋯⋯すっ、好かれているかどうかなどは確認してみなければ分かりかねるところで……まぁー、少なくとも? 嫌われてはいないとは思いますが —— ”
そのようなことを言って、ガイはゆでダコのようにみるみる顔を赤くしたという。ガイはああ見えて案外細かなことを気にする質であり、体格のわりに初心なところがある。と、カカシは思う。ひょっとすると弟子たちのほうがその手に関しては詳しいかもしれない。純度が高めな30に差し掛かった男。その姿がはっきりと脳裏に浮かび、カカシは脱力した。
「なるほど。⋯⋯ところで、側近様はオレに何か言いたいことでもお有りで?」
ジロジロ、もごもご。あきらかに不審な仕草にもかかわらず、シズネ本人は自分に話を振られるとは思っても見なかったようで「ハヒっ?!」と素っ頓狂な声を上げた。
「わ、私は何もっ! そんな野暮な事は言えませんよ、言えるわけないじゃないですか!」
しかしその顔にはしっかりと真相について知りたいと書いてある。どうやらなにか良からぬ噂が独り歩きしているとカカシは察する。五代目はそういった事柄に構う気がないのか、そのまま手元の書類に目を通した。
「人選に関してはどこぞの浮かれたくノ一よりいくらかマシというだけだ。くれぐれも心してかかれ」
ガイの発言はともかく、少なくともは五代目から見ても浮かれていないことだけはわかった。どちらかと言えばは生真面目だ。どこぞのくノ一のように「カカシさん、今日はよろしくお願いしますね!」と愛想良く笑って挨拶をするようなタイプではなく、微細な好みはあるにしても任務で浮かれることはまずありえない。あるとするなら拒否だろう。もしも自分がその第一号であったなら。カカシはそこまで考えて、一人乾いた笑みを浮かべた。
忍の掟には休暇は有意義に過ごすべしとある。人によって「有意義」というのはなかなか難しいとカカシは考える。1日目は墓参りに行くとして、2日目は古びた手袋の新調や忍具の買い出しに充てるとする。弟子がいれば様子見というちょっかいもあったが、今となってはそれも懐かしい。要は時間が余ってしまう気がしてならないのだ。その分、気が変わったうちはサスケが里に戻って来たら何でもできる利点はある。情状酌量のための土下座もいくらでもする。その際、火影室の床は硬いので額当てはしっかりしておいた方が良いだろう。ナルト達にも手紙を出したらきっとすぐに帰郷する。一楽に行ってバカみたいな話を延々とするのもまた良い。——そんな愚劣な妄想すら、数分で済んでしまうのでどうしようもない。暇がいかに害であるか、カカシは過去の経験より理解していた。考えないようにしていたことが思い浮かび、悩みの種が芽を出す。そんなときはガイのあきれる笑い話を思い出し、根っこを断ち切っていた。しかし今回はそれも上手くはいかなかった。あー、やめやめ。と、幾度も振り切るのに難儀した。
たとえガイに隠し事があったとしても、
がどれだけガイと親しくしようとも、
自分には一切関係のないことだ。
しかしながら、カカシは任務当日をこれほどまでに気がかりに思ったことは一度もなかった。任務の通達は公正に相手へ届いているだろう。ツーマンセルを組むの元に。変更の知らせがないということは彼女もそれに承諾したことになる。だが、忍具の荷造りをするカカシの手が止まる。冷静に考えて、明日の定刻になってもが来なければ笑いどころでは済まない。任務を放棄したとみなされるかもしれず、最悪は忍者登録の登録抹消に該当する。今から確認のために彼女の元へ出向いて「明日の任務、よろしくネ!」などと明るく言うのはどうだろうか。と、満面の笑みの自分を想像してカカシは身震いした。下手なことはやめておくに限る。任務に支障をきたすレベルで避けられるのは、さすがに困る。手元のクナイの束を見て、カカシはひとつ息を漏らした。
「えーっと……何本まで数えたっけ?」
錆びたクナイを避けていた最中だった。カカシは比較的綺麗なそれらを集めるとポーチへしまった。
なにもかもがすっきりしないのなら、せめて明日の天気が快晴であるようにと願いながら。