私が花屋になった理由

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 ああ、どうして自分は忍じゃないのだろう。

 がそう思ったことは一度や二度ではない。山中花店のいのは立派なくノ一になっているというのに、自分はと言えば普通の学校に通い、宿題をし、それが終われば店の後片付けをするという代わり映えのない毎日を過ごし、学校を卒業してからは花屋の手伝いが日課だった。

「なんで私をアカデミーに入れようと思わなかったの?」
 花の水を換えながら、は店の掃除をする母親に呟いた。
「あんたが忍なんて絶対嫌って言ったんじゃない。今更何言ってるの?」
 そんなことを言われても六、七歳の自分の言葉など覚えているはずもない。一応、父親も忍なのだからもうひと押ししたっていいはずだ。聞いた話によれば泣いて嫌がった愛娘が可哀相で父親も止むを得ず受験直前で取りやめたという。もうひと押しで試験を受けたかもしれないのに、そしたら自分だって……。そんな事を思いながらは溜めるはずのバケツの水を思いっきりひっくり返してしまった。「次はそっちのバケツも片しといてね」という母親の言葉を耳にしながら、は「は〜い……」と何とも情けない返事をし、ちらりと店の外の様子を窺う。
 —— ああ、今日も会えなかった……。
 空になったバケツを片付けて、は自室へと戻った。


「こんにちは。あれ、君、?」
「はい。です」
「ああ、やっぱりそう。久しぶりだね」
 数年前、土曜の昼間にやって来た客は懐かしそうに言った。相手はこちらのことをよく知っている風だが、こちらはまったくと言っていいほど記憶がない。
「あの、すみません、母が今外出してまして……」
 この時間は誰も来ないからという母の言葉を信じて店番をしていただが、予定外の客が現れ戸惑った。
「ああ、そうか……。じゃあ、がお花売ってくれるの?」
「ええ、あ、私がですか?」
 思わずそう言ったものの、店番をしてるのだから売るのは自分しかいないのだとは気付く。店を開けていながら売らないと言う商売下手がどこにいるというのか。
「その、まだ下手くそだから、あんまり奇麗に揃えられないかもしれないんですけど……」
 だって花屋の娘だ。一応それなりに練習はしているが、母親のように花持ちが良いように切りそろえ、手際よく奇麗に揃える事ができなかった。熱心に仕事を覚えるという事をしてこなかったツケが回ってきたのだ。そんなの気持ちを察したかのようにその客が言った。
「大丈夫。ならできるよ」
 その客が微笑んだのを見てからだ、が忍になればよかったと思ったのは。
 あんなかっこいい忍が居るなんて聞いてない。


 その数日後、さっそく近所のライバル店『山中花店』に駆け込んだのは言うまでもない。三つ年下で木ノ葉の忍である山中いのからありったけの情報を聞き出したは満足気に家に帰った。その情報によれば彼の人は二十代後半、担当上忍というのをしていたらしい。左目を隠しているのは写輪眼という凄い目を持っているからだという。はその意味があまり理解できなかったが、とにかく凄いのだと理解した。

 それからは毎日の様に店に立った。急にやる気を出した娘を両親は臨時収入で何か買いたいのだと思ったらしく、給料的なものをくれるようになった。にとっては一石二鳥だ。だが、そう毎日彼の人が来るわけもなく、のやる気は一気にダウンした。終いにはやる気がないなら店番なんかするなと怒られる始末で、「いのちゃんは忍もやってお手伝いもしてるのに」と言われたこともあった。自分だって勉強をして学校を卒業して店番をしてるじゃないかと思うが、動機が不純であることも知っていた。しかも最近は景気が悪いのか客も少ない。はっきり言って家計が不安になるほど暇だった。

 残暑に入ったというのに夏の日差しは容赦なかった。こんな熱い日は何度も水を換えなければならない上、放っておくと途端に花は元気を無くす。何度目かの水の交換を終えたは扇風機の真下にある作業台の上で、仕方なく花の本や資料を見て時間を潰していた。
 そういう事を何度も繰り返していく内に、自然と花の知識も増えていき、ある程度客とまともな会話ができるようになっていた。先日、不意にご年配の常連が「四代目はだね」と言った事で、自分が四代目であることをはその時初めて知った。


「こんにちは。久しぶりだね」
 その声には作業台から飛び上がった。カカシと顔を合わせるのは数カ月ぶりだ。
「こ、こんにちは!」
「なんかすっごく眠そうだったけど?」
「え、あ、いえ……」
 頬肘をついて船を漕いでいる姿を見られたらしい。恥ずかしいなんてもんじゃない。は慌てて花の陳列へ視線を向けた。
「今日は、どれにしましょうか?」
 カカシが選ぶのは決まって供花だと知ったのはここ最近の事だ。菊じゃなく百合の花を選ぶ事が多かった。誰に当てたものか気にならないわけではないが、さすがにそんな事を聞く程失礼ではない。それにはなんとなくその相手が女性なのではないかと思っていた。母親か姉か、忍という事もある、先生や先輩、そんなイメージを持っていた。

「この時期なら、グラジオラスも良いと思いますよ」
 思い切って勧めてみると、カカシは少し考えるように言った。
「……この花、日持ちするかな?」
「はい。切り花でも暑さには強いです」
「じゃあ、これお願いしようかな」
「かしこまりました」
 はその花を数本取り、バケツの中へ移した。水中で潔くすっぱり切るのが長持ちの秘訣である。「カカシさんが長持ちさせたいと言っているんだから暑さなんかにへこたれずにぐんぐん水を吸って長持ちしろよ」なんて思いながら、は作業を続ける。
「最近、店員さんらしくなってきたね」
「ほ、本当ですか?!」
「うん。数年前はもっとおどおどしてたかな」
 カカシが覚えていたのは意外だった。は心臓の高鳴りを抑えることができなかった。少しでも記憶の片隅に自分がいるのが嬉しくて舞い上がりそうだった。そして、随分手際が早くなった事で一つだけ問題があった。一つ作業を終える度に、これが終わったら帰ってしまうな、と一々考えてしまうのだ。切り花を紙に包んでいると、「実はね、」とカカシが呟いた。
「もうすぐ友達の命日なんだ」
「……そうなんですか」
 その話があまりにも衝撃的ではせっかく束ねたばかりの花を落としてしまいそうになった。家族や先生じゃなく、友達——
「ごめんなさい……百合の方が良かったですよね。百合ならカサブランカは……」
「いや、それにするよ。とっても奇麗だし、彼女らしいと思う」
 そう言って、カカシはが持っていた花を受け取ると、代金を支払った。「ありがとう」と言って去っていくカカシの後ろ姿にお辞儀をしたものの、はなかなか顔をあげられなかった。花屋には様々な理由で客がくる。誕生日、親孝行、プロポーズ、それにカカシのようにお供え用の花を買い求める者。人が亡くなる理由なんてそれぞれだし、想像してもしきれないものだ。忍の世界というのは常に死と隣り合わせだと言う。分かっているが、本当の意味では全然分かっていなかった。
 カカシは随分前からこの店の常連だった。友達に花を添えなければならないなんてには想像もできない世界だ。あの人はそう言う世界でずっと生きているのか……。
 切り終えた枝を見て、はなんとも言えない気持ちになった。


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